実演鑑賞
カミュの未完の自伝小説、短編小説をもとに構成された舞台。
日本ろう者劇団のメンバーのほか、それぞれ異なるバックグラウンドを持つダンサー、俳優の参加を得て、カミュの文学が空間化されていく。いつもながら驚かされるのは、舞台上にあふれる「言語」の多様性とそれらが切り替わり続けながら時間を構成していく推進力。
「言語」とはもちろん、手話や生演奏(驚くべき活躍!)の音楽のことだけではない。カミュの書いた物語に沿った(いわばマイム的、演劇的な)場面もあれば、そこから離れ、書き手をも含む世界を俯瞰するような場面もあり、自在に視点が、語り方が変わり、それにしたがって演技も動きも変わっていく。
かつて同じ作家の『異邦人』を題材にした時から、さらに、文学とその世界を舞台化することへの挑戦の深度が増していると感じた。
実演鑑賞
いつもの、と枕が付くデラシネラ舞台。
この日は劇場をハシゴしての観劇日となり、この前に眠い身体も叩き起こすパワフル舞台を観た直後。後部席から「さあ存分に寝てくれ」と言わんばかりの抑えめの照明では、抗いようもなくほぼ全編寝落ち。耳をつん裂く三味線の音だけが覚醒の足掛かり。
凡そどんな動きをしていたかの断片が網膜に映るのみ、「the sun」のモチーフをその中に見出す高度な情報処理は無理であった。
その動きとアンサンブルはデラシネラのもので、私が初めて観た頃はこの動きの連鎖の美そのものを味わっていたが、ある何かを抽象化した表現として鑑賞する時、この比喩性は些か難解だ。
今作では手話を繰り出す踊り手がいて、聾者とのアンサンブルという難易度の高い身体表現を密度高く仕上げていて、その模様もつぶさに観察したかったが...終演の拍手で目を覚した。残念であった。
三味線奏者は歌も歌い、和風の謡いのみならず(三味線の伴奏に乗せた)洋楽をオペラ風の発声で歌うなど何気に際物をやっていた。
実演鑑賞
満足度★★★
音曲師・桂小すみ(こすみ)さんが上手に座り、三味線を叩き長唄を唸る。各種の効果音を作り、鉦や太鼓を打ち笛やケーナを吹き、時にはグリーンスリーヴスを奏でる。
今作はアルベール・カミュの母親の物語。
「私は正義を信ずる。しかし正義より前に私の母を守るであろう。」とはカミュがノーベル文学賞を受賞した後の討論会で述べた有名な言葉。
母、カトリーヌ・サンテスは文盲で難聴の為、耳が殆ど聴こえなかった。この役を演ずる數見陽子(かずみあきこ)さんはろう者(聴覚障害者)の為、観客にもろう者が大勢いた。ほぼ台詞のないマイムの無言劇。(手話で会話するシーンが一つだけあり、そこだけ音声が流れる)。
自分が観ていてハッと思ったのが、これは音楽の視覚化をやろうとしているのではないか。動きや表情、リズムや各種多彩な遊び。これはメロディーを見せているのではないか。
北アフリカのアルジェリアのノートルダムダフリックをイメージしたような背景。
「一人の母親の素晴らしい沈黙と、この沈黙に釣合う愛や正義を見出すための一人の男の努力」。
是非観に行って頂きたい。