満足度★★★★
対称的な質感の2作品
「わたくしという現象」:
幕切れに闇夜に伸びる青いビームこそが「わたくし」。精緻に作られた文明(椅子の列)が超常的な力で瞬時に崩れ去った後、何もない荒地から立ち上る「わたくし」。キリスト教の世界観を連想させる理知的で美しい表現である一方、体温や肉感の感じられない「展示」作品だったと、個人的には思いました。
「じ め ん」:
ノイズの混じった玉音放送、荒地をひたすら掘る少年が振るうスコップが土に刺さる音、爆弾のオブジェ。どれも演劇的なアクチュアリティを内在しているけれど、その足元にはゴミでできた夢の島が広がっている。虚構の上に成り立っている強烈な生。壮大な遊戯そのものが、演劇という表現の本質を照らし出していました。
満足度★★★★★
「夢」とは何だったのか? 過去の、未来の私たちの「夢の島」を掘り起こす
「じめん」に座り、「夢の島」を白いビニール越しに感じる。草の匂い、夜空に流れる雲、に垣間見える星、ときどき上空を横切るヘリコプター、風。周囲にいる人々。
まさに「あの瞬間」「あの場所」での出来事。体験。
満足度★★★★★
グラウンド・ゼロからはじめるセカイ
観劇。というよりもその場に居合わせたというか、これまでなかったことにされてきた歴史的な空白、いないものとされてきたわたしという存在との痛切な和解に向き合いその瞬間に立ち会ったという感覚の方が近い。
こりゃ・・・宗教でしょうか?
いや、ね、「パナウエーブ」かと思っちゃいましたよ。 この作品がオープニングってのは、今年のF/Tは前途多難。…「正しさ」の呪縛からのスタートのようですから・・・
満足度★★★★★
強烈なアクチュアリティ
2人の演出家による、宮沢賢治のテキストに触発された作品のダブルビル公演で、屋外ならではの演出が素晴らしい公演でした。
『わたくしという現象』(構成・演出/ロメオ・カステルッチ)
入口で畳1枚より大きい白い旗を受け取り、それを手に持ちながら不穏なBGMが流れる中を行列になって会場へ進むときから既に独特の世界観が広がり、会場に整然と並べられた膨大な椅子に1人だけ座っているというビジュアルに圧倒されました。超常現象のような冒頭シーンから引き込まれ、白い服を着た70人以上のアンサンブルの静かな佇まいが美しかったです。観客参加のシーンもあり、まるで宗教儀式のような厳かさがありました。人と自然が溶け合うような最後のシーンが印象的でした。
台詞がない無言劇で象徴的な作品でしたが、おそらくレクイエムの典礼文を用いていた音楽と美しい照明によって、天国のような世界が描かれ、30分にも満たない短い作品ながら強烈なインパクトを残す作品でした。
『じ め ん』(構成・演出/飴屋法水)
ゴミで埋め立てられ、水爆実験で被爆した第五福竜丸が展示してあるという夢の島のコンテクストを活かした、放射線や命、死、未来について考えさせられる作品で、悲観的な未来が描かれる中に微かな希望も感じさせる印象深いでした。
『2001年宇宙の旅』(2001年は主役の小山田米呂くんの生まれた年)、『猿の惑星』(米呂くんの父親、小山田圭吾さんのソロユニット「コーネリアス」の名の由来になった作品)、そして日本SFの代表作(題名を記すとネタバレになるので伏せます)とSFの名作が巧みに織り間込まれていて素晴らしかったです。ガムランの生演奏が神秘的な雰囲気を生み出していました。星空や虫の音も作品の世界観に取り込まれマッチしていました。子供達の行列や飴屋さんのでんぐり返りが孤独と希望を同時に感じさせて美しかったです。
たくさんあった印象的な台詞が音響のバランスが悪くて聞き取りにくかったのが残念でしたが、それを差し引いても余りある魅力のある作品でした。
両作品ともいわゆる演劇とは異なるタイプの作品ですが、舞台上での絵空事が描かれているのではなく、現実世界と繋がる強烈なアクチュアリティがあり、むしろあまり演劇を観ない人に観て欲しく思いました。