空ヲ喰ラウ 公演情報 空ヲ喰ラウ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-9件 / 9件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2023/11/30 (木) 14:00

    言われてみれば確かに新機軸。設定は現代だし、悲劇の度合いも従来作と較べて(あくまで相対的に)マイルドだし「桟敷童子といえば」な「アレ」もないし。しかしそのことによって「各人物のドラマ」がより前面に押し出された感じ。
    そして脚本・演出・演技に舞台美術・音響などのスタッフワークも含めて「桟敷童子の芝居」なんだと改めて認識。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    12月3日午後、東京は墨田区にあるすみだパークシアター倉で上演された劇団桟敷童子新作公演『空ヲ喰ラウ』を観てきた。これは、知人の役者・もりちえが出演していた関係からである。

    客席について目に付いたのが、丸太を組んで作り上げられた舞台装置。バックステージツアーの組まれた日もあるので、この舞台装置、いつものようにラストシーンで大転換をするであろう事が予想された。出演する役者は、劇団員15人に客演4人という桟敷童子としては大人数ではないだろうか。
    今回、脚本のサジキドウジは話の骨格に空師という職業を据えた。当初自分はこの空師というものはサジキドウジが舞台のために作り上げた架空の職業と思ったのだが、開演前スマホで検索すると、この空師というのは実在の職業である事を知ってビックリ。ん~、ただ、舞台を観ていて空師達の発する「来々」(らいらい)や「ご安全に」というフレーズは過去の作品でも結構聞かされていたなぁという印象。何か新しいフレーズもあってほしかった。

    さて、話はとある山村。この山々の木々を管理しているのが、中村組と梁瀬組という空師の組織というか会社。かつては中村組が幅をきかせていたのだったが、今は頭領が脚を痛めて妻にその座を譲り、梁瀬組が大きくのし上がってきている。過去の歴史もあり、梁瀬組も一応中村組の顔を立てているが、なにせ中村組は女性ばかり。まして、中村組の空師の一人・織本千尋は心臓に持病を抱え、空師の厳しい仕事を続けて行くには不安があった。そんな山地に紛れ込んできたのが、町で問題を起こし逃げてきた彦島春一。偶然中村組の人間に発見され、空師の仕事に向いている事が分かり千尋の元で空師の仕事を学び始める。そこに横やりを入れてきたのが中村組の元頭領、現頭領・中村歩生の夫で脚を痛めた中村成清。町で起こした事件を空師達に暴露すると春一を脅し鐘をせびるようになり、それがエスカレートして春一は死を覚悟して山に消える。中村組や梁瀬組の山師達が春一を探すが見つからず、どうやら春一は山で命を絶ったらしいことが知られる。
    その後、中村組は梁瀬組の傘下となり、空師達は今日も仕事に死を出す。

    劇のクライマックスは春一が死を覚悟をして山に入り、それを皆が探すシーン。舞台装置が左右に展開し、巨木が現れる場面であろう。
    舞台を観ている瞬間は感動と衝撃を受けるのであるが、よくよく考えてみると春一の犯した町での罪は死を覚悟するほどのことだったのかという疑問。春一を死に向かわせる動機がやや弱かったのではなかろうか。
    その春一を演じた吉田知生の演技が素晴らしかった。それに、中村組頭領役の板垣桃子、織本千尋役のもりちえと、中村組を演じた役者達の熱演が目立った。客演陣も頑張ったけれど、今回はこの3人に良いところを全て持って行かれたという感じ。

    次回は来年の新作。楽しみにしている。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    見どころ有り。筆頭はもりちえの役柄。凡そ役どころの決まった桟敷童子の役者面々だが時折振り幅が大きくなる。「できる」立ち姿を見てきたもりちえは今回、板垣桃子共々「女だてら」に高木に登って作業をする「空師」集団として衰退する中村組を担う女空師の役。思わず拳を握り「やるな」と心で呟く。歌舞伎にも似て桟敷童子の芝居はある種の「型」があり人物らは「粋さ」を競う部分がある。大向こう(歌舞伎で屋号の掛け声を掛けるアレをそう呼ぶらしい)を入れたくなる演技というヤツである。一方の板垣桃子も「女だてらに」の役が深まっている(もりちえが影響を与えたのかもと想像も逞しくなる)。
    林業の衰退は特記するまでもない事実となっているが、ウ露戦争で木材輸入が滞る分一時的に需要が高まっている、という会話がある(他に現在を語る台詞は特にない)。時代に翻弄され衰微していく産業を桟敷童子は取り上げて来たが、時代の「必然」を受け止める人々の姿は、その先に未来を見せた。だが林業はどうか。「どうあるべきか」の問いと共に、簡単に衰退してほしくない気持ちがもたげる。農業しかりだ。高い木材でもそれは自国の「第一次産業」、生存の根幹にかかわる産業を守る選択をしない国のあり方は、これで良いと言えるのか・・。

    ネタバレBOX

    中盤から芝居の中心人物となるのが、都会から来たらしい身元不明の青年。彼が姿を現した後は、中村組がある事業を請け負うために必要な頭数に数えられるが、予測に反して空師としての天性の素養を持つ事が(その道を知る者にしか分からぬ特徴から)分かる。それは村のもう一つの組である柳瀬組(こちらは勢力を広げ中村組を吸収しかねないが組頭は仁義を弁えている)共々に、希望の的となる。
    だが、、彼は皆の前に出て来る前、村の鼻つまみ者でかつて崖崩れで脚をダメにした元空師(稲葉能敬=板垣の夫)と会い、互酬関係を持ってしまっていた。足を引き摺り金属パットを杖代わりに歩く彼と青年のしがらみは、村人の介入で一応は解消するも、純朴まっさらな青年の「弱み」を稲葉は握っており、最後にこれが効いてしまう。前にいた職場ではバイトの身でありながら「犯罪に手を染めた」と彼は思っており、逃亡を図った彼はバイト先の親父さんとその会社の者たちから逃げている、とも思っている。
    客観的には彼は煩わしい都会から逃れた一人、なのであるが、都合よく使うために稲葉が彼に「負い目」を注入したものと思しい。
    中村組が受注した仕事は柳瀬組とそれぞれ別の山をを受け持つ形で進める事となる。林業仲間では一の山、二の山等と呼び習わし、中村組はかつて持ち山であった五の山を自分らだけでやらせてくれと頼み込む。渋々承諾した柳瀬組だったが、程なく彼らは中村組の女空師の仕事の確かさに改めて唸らされる事となる。中村組を出て柳瀬組に入った番頭は躍起になるも叶わず、仲間に宥められ、良き競争関係が形作られる。
    そんな中稲葉は妻の板垣や村人と一悶着あり、村を追い出される。もりちえ演じる空師は心臓の持病を拗らせ木に登る仕事を止められ、俺はこいつを育てると宣言する。
    空師の仕事にやり甲斐を見出した青年は稲葉とそれに付随する枷から逃れる。確かな伝統技能に根差す事にこだわって来た中村組の未来に光が射す。

    が、このドラマは悲劇へと歩む。
    あるタイミングで稲葉は背広を着て現れ、青年が一人でいる所を脅し上げ、折しも吹雪が吹き始めた夕刻、パニックとなった彼は山に逃げ込む。せせら笑う稲葉。その前段として彼は青年に「もし空師になったらお前を殺す」と耳元で囁く。「自分なんかがなれる訳ないっすよお」と青年は頭を低くしながら答えるが、その後村人皆の前で「空師になる」と本心が噴き出してしまう、という事があった。
    予言通りと言うのか、稲葉の計算づくか、必死の捜索にも関わらず彼は死ぬ(樹上で雪と一緒に固まって死ぬ事を「空死に」と言う)。ラストで板垣が一人、組の解散後も青年を探し続ける姿を残像に残す。

    個人的にこの末路は選びたくなかった。先述したような、「その先」が見えない。
    この結末を選ぶのであれば、青年の死は中村組やそこに繋がる人々の個人的な悲しみに止めず、私たち皆が財産を失ったのだ、とまで言い切ってほしかった。衰退も致し方ないと言える産業と、そうでない産業とがあると思ってしまうからである。
    諦めの美学は「その先」がなければ諦めに終わる。
    久々に厳しい評価を持ってしまったが、ここ近年の桟敷童子舞台に「今」に分け入る模索の姿勢を(何となくだが)感じていただけに、そこが個人的には残念であった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    iakuに続き、二週続けて日本の山林労働者を素材とした舞台を見た。
    日本は国土の七割(だったか?)を山林に覆われていながら、そこで生活する人たちがドラマに登場する機会は少ない。iakuの素材は猟師、桟敷童子の「空ヲ喰ラウ」は森林保全の労働者が素材である。
    山の労働者が、土建業のように、「組」で組織されていて、『空師」と呼ばれていることも知らなかったから、素材としては新鮮である。その仕事の作業実態も、日々の生活も、労働者不測の現状も知らなかった。そのような情報に関してはほとんどキャンペーンドラマのように整理されてせりふではっきり説明されるのでよくわかり、面白く飽きない。
    しかし、ドラマがそこに住む人たちのリアルな心情を映して、下界で生きているものに訴えるかというと、そこが弱い。労働者たちの作業する山の領域を争う組の対立で、描かれる人々は、まるで落ち目になったやくざの組の勢力争いをする人々のようなキャラクター付けだし、異分子として山に入ってくる若い人たちも、よくあるテレビドラマ的な安易な設定と古めかしい物語展開である。パガニーニの選曲もどういうつもりが分からない。こけおどしか。
    舞台がべた、割セリフのように進むのも興をそぐ。2時間弱。満席。
    「空師」という言葉は確かに新鮮で、象徴性も訴迫力もありいい言葉だが、そこへもっていけば収まる、というところがつまらない。この劇団は、戦後一時流行った集団製作のような劇団制をとっていて、今の時代にどういう作品が生まれるが見てみたい気もするが、せっかくの素材を、セットでしか生かせないとすると、集団の創作力も鈍っていると自戒しなければならない。戦後のこの手の製作手法で活動した劇団は、その自戒を怠った所から自壊していった。


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    山に入って木の高所の枝打ち などを行う作業員を空師というらしい 。山深い集落で、林業が衰退する中、かつて7つもあった空師集団が今 2つしかない。そのうちの大きい方の梁瀬組が、もう 女3人しか残っていない 中村組 に共同作業を呼びかける。しかし 中村組としては今までの経緯 もあって素直に受けられない。そんなところに、山に迷い込んだ若者が中村組見習いとして入ってくる。
    山育ちの人間と都会の人間との対立や、天井までセットされたうっそうとした木組みを、縦横に上がり 下がりする姿は素晴らしい。群像劇ならではのパワーがある。
    惜しむらくは後半、新人青年春一(吉田知生)が、命の危険を感じるほど追手を恐れている設定に説得力が乏しい。吉田氏は白のつなぎで図体はでかいが気の弱い青年を好演していた。もう少し無理のない設定を考えてほしい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    今日観た劇団桟敷童子公演、よかったですよ。2時間あまりの舞台。丁寧な感想を書くとネタバレにも繋がるので、詳しい感想は千穐楽後。一言書き添えるなら、役者の中で、吉田知生、板垣桃子、もりちえの3人の熱演が光ったとだけ記しておこう。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    いつもこの作家が創り出す独特の世界と物語に魅せられる。それを具現する舞台美術と俳優たちの演技の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2023/11/30 (木) 14:00

    座席1階

    約2時間の間、舞台に視線がくぎ付けになった。久しぶりにこのような体験をした。マチネの舞台は昼食後でもあり、眠気を誘うもの。だが、この舞台は冒頭から目が離せない。気が付いたら、ラストシーンに向かって突っ走っていた。スタンディングオベーションがあってもおかしくない、強烈な拍手が舞台の成功を表していた。

    桟敷童子の舞台はまず、美術だ。今作は森の保全という林業がテーマだけに、左右に深い森の木々を模したセットが組まれている。ここを「空師」と呼ばれる木の高所で作業をする職人を演じる俳優が軽業師よろしく演技をしながら登り降りする。男女は関係ない。板垣桃子、もりちえ、大手忍の看板女優たちの軽快な動きは目を見張るばかりだ。
    冒頭の演出がハートをつかむ。音楽の選択もすばらしい。「ラ・カンパネラ」がこのように使われるとは想像もしなかった。
    タイトルの「空ヲ喰ラウ」は一番天空に近いところで作業をする空師の人生を象徴する。空と一体化する、というイメージだ。極めて狭い山の頂上に立ち、両手で空を抱きしめる感じ。桟敷童子らしいタイトルだ。
    物語は、空師の仕事を守ってきた二つの組をめぐって展開されていく。外部からの流入に抵抗感を持つ山村の生え抜きと、都会から「逃げて」来た若者。これらの人間関係や人生もこの舞台の見どころである。

    舞台美術を堪能するだけでもこの劇団の舞台は見る価値があるとかつて書いた。今作は度肝を抜くような舞台美術ではないが、完成度は高い。劇場入口に模型が展示してあるのをお見逃しなく。今作も見ないと損するレベル。劇団員の奮闘に心から拍手を送りたい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    新境地開拓的な斬新さもあり、配役にも捻りを感じた。お馴染みの役柄ではなく、ちょっと意外な設定に。勿論いつもながらの重厚な世界観はどっしり地に根を下ろしたまま。リアルに地の着いた現実を歩き通した果てからかすかに垣間見える奇跡。

    『ラ・カンパネラ』〈鐘〉はニコロ・パガニーニ作曲の協奏曲をフランツ・リストが編曲したピアノ曲。耳に入れたAirPodsでそれを聴きながら陶酔するシーンが印象的に繰り返される。空に一番近い場所で神のメロディーに打たれながら溶けていく。

    空に一番近い所でする仕事である為、空師(そらし)と呼ばれている伝統的な職人達の住む村。高所や重機の入れられない狭所で高木を伐採する。剪定、枝打ち、下刈り、玉切り。今作では山の森林保全整備を国から受注している。

    由緒正しき空師の名門「中村組」は土砂崩れの事故に巻き込まれてからというもの傾きっ放し。先代の息子の嫁である板垣桃子さんが棟梁として一人気を吐く。怪我で空師をやれなくなった息子はびっこを引き、杖代わりの金属バットを振り回しては日がな一日酒を喰らう。村の鼻つまみ者を稲葉能敬(よしたか)氏が森下創氏っぽく怪演。
    かつて自分達のもとで修業し独立していった「梁瀬組」、今では比べ物にならない会社に成長。大きな仕事を受注したことから「中村組」に声を掛けてくる。

    もりちえさんが渋く寡黙な中村組の女空師役。いぶし銀でカッコイイ。
    出戻りの井上カオリさんはムードメーカー、喋りで沸かす。
    空師を目指している大手忍さんは茶髪の都会っ子で活躍。
    梁瀬組の棟梁は原口健太郎氏、奥さんの藤吉久美子さんが美しい。娘の井上莉沙さんはセーラー服で和ませる。

    山に侵入して来たよそ者役はある意味主演の吉田知生(ともき)氏。一見、今野浩喜(元キングオブコメディ)っぽいユーモラスな雰囲気で観客に好感を持たれ易い。傑作、『飛ぶ太陽』の主演も素晴らしかった。今作では金髪が「やる気、元気、モリシ!DON'T STOPだ、この野郎!」で一世を風靡した森嶋猛を思わせる。

    かなり身体を酷使する動きが多く、怪我には気を付けて貰いたいもの。板垣桃子さんはかなり鍛えているのだろう。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    滅びていく空師の会社が劇団をイメージさせるダブル・ミーニング。若手を育てて作っていかないことには未来はない。この劇団はそれを見事にやってのけている。吉田知生氏のような有望な若手をどんどん抜擢して主要な役に配置、観客は役者の成長を毎回目の当たりにすることに。これからが楽しみ。

    後半の展開がまどろっこしい。吉田知生氏の人に言えぬ過去を暴露する稲葉能敬氏の流れがスムーズじゃない。

    かつて永遠の名作、『獣唄』のラストにBUCK-TICKの名曲、『FLAME』を重ねて涙した。今作では「僕は両手を広げ···」、やはりBUCK-TICKの『die』の詩が重ねられラストの板垣桃子さんの笑顔が恐ろしい程美しい。死ぬことは哀しくて惨めで不幸なものだけではない。空と同化してやっと到頭救われた“病んだ魂”。もうこれ以上苦しむ必要はない。山の醜い女神は強く抱きしめた。

    ※間違い訂正しました。有難うございます。

    ※許されない罪を犯して死のうと思っていた男が、山奥の集落で必要とされたことでもう一度生き直そうとする話。だが罪はそんなことを許さない。過去に追い詰められた男は山の女神にその身を委ねる。足りないのは男の犯した罪。絶対に許されない反吐が出るような犯罪であって欲しかった。そこをぬるくぼかしたせいで男の境地がぼやけた。

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