夜の初めの数分間 公演情報 夜の初めの数分間」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-10件 / 10件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    出だしからぐっと惹きつけられて、気がついたら最後まで前のめりで観ていた。
    役者さん一人一人が個性があって面白かった。
    特に主人公の画子とひまわり素晴らしい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    想像もしなかったような世界観、歪んだ親子の関係、題名の意味するところ。自分もこの世界に入り込んだような錯覚を覚えながら観劇させていただきました。それぞれの役者さんの演技もとても素晴らしかったです!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    今回の公演も二度見ることができ、見る毎に理解が深まり、70代の私でも台詞や演技をより楽しむことができました。俳優さん、それぞれの演技に笑ったり、泣いたり。見終わったあと、一緒に見た家族との会話は何日も舞台のことばかりでした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    平体まひろさんと井上薫 さん出演ということで取ったが、チラシが手に入らず前知識なく入場。
    渋谷さんの構成・脚本が上手い。演者も皆さんテンポかいいし、なにせバランスが良い。タイトルの意味は最後に納得‼️超オススメ。映像化もあると思います。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    #夜の初めの数分間
    #平体まひろ
    出会ってからずっと観てきた平体まひろさんが、また一つ殻を破ったのを目撃したような気がしている。毒を吐くことが心と身を守る鎧。でもそれを脱げば、生身の画子は繊細で、文字通り自分の姿を探し続けている。
    人間の姿だけが鏡にもガラスにも何にも映らないという設定が、現代の我々の未熟さを映し出しているかのよう。
    写真を加工して別人のような顔になって登場するSNSでの投稿写真は、現代に生きる人間の闇を象徴しているように思う。
    年の瀬に、素晴らしい作品と出会った。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    話の出来の良さに驚き、「おやおや」と引き込まれた。この世界がある変化を遂げた事が芝居の序盤、(後で分る)写真家役によって説明される。これを聞き逃したらちょっと理解が難しくなったかも知れない(間に合って良かった)。
    鏡に人の姿だけが映らなくなった世界。過去にも同様の設定でドラマを書こうとした人はいただろうしメタファーとして利用した芝居を観た気もする。だが、科学的にあり得ないこの設定が「ある」と端から観客を招き入れる芝居は初めて。意外に破綻が訪れず、架空の世界に巧みに引き込む。
    人の姿は写真にも残らず、映像にも、鏡と同じ効果を持つ水面にも映らない。勢い映像メディアは衰退し、ラジオが人々にとって中心的なメディアとなる。人は自分の顔が判らなくなり、似顔絵を描く画家たちが重用され、鏡と呼ばれる彼らが人気の高い職業となる。といった具合。
    今回の観劇のきっかけとなった井上薫女史は一世を風靡した女優役。前に観た芝居では名脇役であったが「売れっ子女優」なる役も、ある映画撮影現場にて新人女優の「声の出なさ」にカリカリして発声の指南と悪態につい没入するというコメディエンヌぶりを基調に存在感。
    この冒頭シーンの後、世界の「変化」が訪れる。彼女は引退を余儀なくされる。
    で、もう一人の目当ての女優、平体まひろ女史がその娘役。母はスパルタで自分を描く「鏡」に育て上げる。やがて成人し、若くしてカリスマ「鏡」となっている。肖像を描いてほしい芸能人は引きも切らぬが、母にとっては隠しておきたい存在でもあり、出自を隠している。このカリスマ的な絵描き役を平体が好演。肖像画を描くスピードも速い。相手が著名人だろうがモデルに指示を出すなど横柄なキャラが板に着いて気持ち良い。
    物語の軸になってくるのは母娘の関係だ。娘は母の「鏡」として今も彼女の顔を描き続けている。ところがある時ラジオで主催されるミラーフェスティバル(的なタイトルの画家のコンペティション)のモデルにと、母にオファーが来る。かつてのマネージャーが回して来た仕事だが、娘はこれを断固辞めさせようとする。
    既に見えている問題が最後に露呈するが、そこに至るまでの周辺のドラマの絡ませ方がうまい。
    ただ終盤のコンペ(実はやらせ)場面では、「その趣向、誰も見てないんですけど」と突っ込ませたかったり、女優のヒモ(詩人志望)の面目躍如を見たかったり、その妹の目が見えない属性をもう一つ生かしたかったり・・要望がもたげたが、尺の事情もあるのだろう。主題はその後にある。
    画家たちのキャンバスは木枠だけの無対象。客は想像するのみ。コンペの結果発表の際に起こるべくして起きた悶着を経て、娘が真実を語った後、「私が本当に描きたかったのはこれ」と、母に今描いた絵を渡す。女優が「現実」をどのように受け止めたのかは想像の域だが、その絵を見た母の目は悦びに満ちる。そこで作者の意図は汲み取れた。
    ルッキズムの観点で「美」を語ろうとしたナカツルブールヴァールの芝居をちょうどその後に観て、結論的には同様の所に落ち着いていた。美には一つの尺度だけがあるのでなく多様である・・。
    だがその芝居の中で悪役である「市長」に言わせた台詞・・人類は戦争をいつまでも止めないし、常に美しいものを見ていたい(醜い存在は無視したい)欲求も変わらない・・は、人間にとっての難問。人類が終りの瞬間を迎えるまで携えていく問題なのだろう。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    素晴らしかったです。W主演の親子の女優さんの演技に度肝抜かれました。ほんといいものを見させてもらいました。最後の最後で「なるほど、そういった理由であのタイトルなのか…」と思いました。ほんと最高の舞台でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    とても面白かったです。私の中ではありそうで今までなかった設定(内容)で良くできたお話だったと思います。役者の皆さんの演技も鬼気迫る場面や弱さ、悲しさなど表現されて素晴らしかったです。ラストも、こう来たか!見つめ会うことでわかり会える。コロナ等で人間関係が希薄になった今に響きました。良い時間が過ごせました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2023/12/16 (土) 18:00

    初見のユニット。新劇っぽいかと思ったら、ちょっと違ったファンタジー。面白い。127分。
     ひまわり(井上薫)は大人気の女優だったが、妊娠を秘密にするために休暇に入り娘・画子(平体まひろ)を産むが、同じ時期、鏡・レンズ・画像に人が映らなくなる「現象」が起こり始める。人々は自身の状況を見るために、肖像画を書いてくれる人を求め、その達人を「カガミ」と呼ぶようになる。有名なカガミになった画子だが…、の物語。SFチックな設定の下で何か事件の展開を考えるのかと思ったら、ファンタジーとして母娘の物語が展開される。ちょっと予想したものと違った展開だったが、それでも面白く観た。作・演出の渋谷は映像系の人らしいのだが、観るのは初めてで、独特のセリフのセンスが面白いのだが、ちょっと過剰な感じがする。また、登場人物それぞれに振ったエピソードをすべては回収できず、これはどうなったんだろう、と思うところが結構あるあたりが惜しい。
     『東京原子核クラブ』から興味を持って観ていた平体だが、今までのイメージとはちょっと違ったテイストの役をしっかり演じていた。『ホテル・イミグレーション』で観た井上は確かな役者だと改めて思った。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    フェルナンド・メイレレス監督の『ブラインドネス』を彷彿とさせる設定。
    ある時突然、世界中のガラスやレンズや鏡に人間が映らなくなった。鏡の原理とは反射した光を網膜が電気信号に変えて脳が認識する訳だが、人間の姿だけを脳が認識しなくなったのか?とにかく認識出来ないので自分の姿を自分で見ることは不可能。鏡も水面もショーウィンドウも写真も映画も人間だけは写らなくなる。テレビ番組もセットに声だけになり、アニメや人形劇がメイン、エンターテインメントの主流はラジオに戻ることに。
    いわゆる「現象」が始まって24年経った。
    人々は自分の姿を確認する為に、似顔絵を描く絵描きを「カガミ」と呼び重宝することに。言葉の表現で姿を実況解説する者を「声カガミ」と呼ぶ。

    美貌の大人気女優、神戸(ごうど)ひまわりは極秘出産の為、長期休養に入る。ちょうどそのタイミングで「現象」が始まった。産まれた娘、画子を自分専属の「カガミ」として育てるひまわり。毎日毎日母の顔を写生させられる画子。天才的な画力とセンスを兼ね備えた画子は少女にして「ミラー・グランプリ」で優勝。出自を隠して人気「カガミ」となる。

    神戸ひまわりに井上薫さん。最早、今作は井上薫オン・ステージ。プライドの高いナルシシスト、嫌味な大女優を素のように演じてみせる。彼女の出ているシーンは全て面白い。ファンは必見。元は間違いなく取れる。

    娘の画子に平体まひろさん。全く彼女のイメージとかけ離れたひねくれてすさんだ毒舌家。ボサボサの髪は「た組。」の加藤拓也に寄せているように見えた。

    凄い発想をする作家、ワンポイントSFとして面白い。井上薫さんは恐ろしい。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    大友達人氏はひまわりの元マネージャー、後にプロデューサーとして大成。口癖通り、「OK」と名乗る。
    渡部瑞貴さんは女優業に挫折したが「現象」を逆手に取って声優として大ブレイク。Gu-Guガンモみたいな声が必殺。

    熊野仁氏は東山紀之っぽい美形、「声カガミ」としてひまわりに仕える。
    山田梨佳さんは彼の妹、事故で盲目に。触診師として働く。

    川口茂人氏は交通誘導員だったが、大ファンだったひまわりに「いつも皆の安全を守ってくれて有難うございます」と声を掛けられて人生が変わる。
    小駒ゆかさんは彼の娘。人の遺影を描く「カガミ」になりたいと画子に教えを請う。人の心の中の風景を読み取る才能に長けている。

    田名瀬偉年(たつとし)氏はカメラマン。この時代に道行く気になる人に声をかけ被写体になって貰っている。そして誰も写っていない背景だけの個展を開く。目には見えないがその空間に人の存在をきっと感じられる筈だと。

    徳岡温朗(あつろう)氏とセキュリティ木村氏は公園の公衆トイレの前で「カガミ」をやっている売れない絵描き。

    復帰を画策する神戸ひまわり、だがもう時代が違う。今じゃ誰も知らない老いさらばえた老女。その現実を受け入れざるを得なくなるクライマックス。画子とひまわりが見つめ合い、泣きながら嫌な真実を伝える。夢に逃避して生きていたひまわりは受け入れ難い現実に狂いそうになる。だが必死の画子の瞳の中に自分が見える。互いの瞳の中に自分が映っている。その時、世界中で「現象」が変化したのだ。日が暮れて『夜の初めの数分間』だけ、人間の瞳の中に姿が映るように。

    透明人間の原理と同じで服だけは見える筈だが、どうも脳の問題なので人間の存在全体を認識出来ない設定。広瀬正なら何とかそれっぽい理屈を付けそうだが。ミラーやモニターに人が映らない為、交通事故が多発。赤外線センサーと警報を組み合わせた商品の発明で大金持ちになった男が描かれるが、赤外線なら脳は認識するのか?設定を突き詰めると粗が出る。

    昔、BOØWY時代の布袋寅泰が語っていた言葉。「ギター・ソロになると、皆速弾きで音数を一つでも増やそうとするが、自分は逆に音数を減らすようにしている。それがセンス。」
    全くその通りでどれだけ要らないものを削除するかがセンス。今作は作家の優しさが全面に出てしまい、出演者全員それなりに見せ場が与えられる。ただ全体を通して観ると主旋律を邪魔するノイズになってしまっている。善人ばかりの織り成す人間ドラマが互いの色を打ち消し合って、作品の印象を茫洋としてしまう。寓話としての力が弱い。
    ラストに辿り着くエピソードが詩的で美しいだけに勿体無い。

    『ブラインドネス』では原因不明の失明病が流行り出す。未知の伝染病だと怖れた政府は患者を病院に隔離する。主人公のジュリアン・ムーアだけは何故かその病に罹らない。失明した夫を補佐する為、目の見えない振りをして病院に入る。患者に溢れていく病院は無法地帯の収容所と化し、元々盲人だった連中が支配者となって仕切り出す。地獄のような殺し合いの中、やっと逃げ出した主人公達は外界で絶望的な現実を知る。世界中の人が失明して、何処もかしこも獣のように争う人間の群れ。そしてその中でも優しさと美しさが人間の中に確かに在ること。盲目の世界でこそ、人間の真の姿がはっきりと見えることを知る。
    ただ、映画の出来はイマイチなのでお薦めはしない。

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