夜の初めの数分間 公演情報 劇団牧羊犬「夜の初めの数分間」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    話の出来の良さに驚き、「おやおや」と引き込まれた。この世界がある変化を遂げた事が芝居の序盤、(後で分る)写真家役によって説明される。これを聞き逃したらちょっと理解が難しくなったかも知れない(間に合って良かった)。
    鏡に人の姿だけが映らなくなった世界。過去にも同様の設定でドラマを書こうとした人はいただろうしメタファーとして利用した芝居を観た気もする。だが、科学的にあり得ないこの設定が「ある」と端から観客を招き入れる芝居は初めて。意外に破綻が訪れず、架空の世界に巧みに引き込む。
    人の姿は写真にも残らず、映像にも、鏡と同じ効果を持つ水面にも映らない。勢い映像メディアは衰退し、ラジオが人々にとって中心的なメディアとなる。人は自分の顔が判らなくなり、似顔絵を描く画家たちが重用され、鏡と呼ばれる彼らが人気の高い職業となる。といった具合。
    今回の観劇のきっかけとなった井上薫女史は一世を風靡した女優役。前に観た芝居では名脇役であったが「売れっ子女優」なる役も、ある映画撮影現場にて新人女優の「声の出なさ」にカリカリして発声の指南と悪態につい没入するというコメディエンヌぶりを基調に存在感。
    この冒頭シーンの後、世界の「変化」が訪れる。彼女は引退を余儀なくされる。
    で、もう一人の目当ての女優、平体まひろ女史がその娘役。母はスパルタで自分を描く「鏡」に育て上げる。やがて成人し、若くしてカリスマ「鏡」となっている。肖像を描いてほしい芸能人は引きも切らぬが、母にとっては隠しておきたい存在でもあり、出自を隠している。このカリスマ的な絵描き役を平体が好演。肖像画を描くスピードも速い。相手が著名人だろうがモデルに指示を出すなど横柄なキャラが板に着いて気持ち良い。
    物語の軸になってくるのは母娘の関係だ。娘は母の「鏡」として今も彼女の顔を描き続けている。ところがある時ラジオで主催されるミラーフェスティバル(的なタイトルの画家のコンペティション)のモデルにと、母にオファーが来る。かつてのマネージャーが回して来た仕事だが、娘はこれを断固辞めさせようとする。
    既に見えている問題が最後に露呈するが、そこに至るまでの周辺のドラマの絡ませ方がうまい。
    ただ終盤のコンペ(実はやらせ)場面では、「その趣向、誰も見てないんですけど」と突っ込ませたかったり、女優のヒモ(詩人志望)の面目躍如を見たかったり、その妹の目が見えない属性をもう一つ生かしたかったり・・要望がもたげたが、尺の事情もあるのだろう。主題はその後にある。
    画家たちのキャンバスは木枠だけの無対象。客は想像するのみ。コンペの結果発表の際に起こるべくして起きた悶着を経て、娘が真実を語った後、「私が本当に描きたかったのはこれ」と、母に今描いた絵を渡す。女優が「現実」をどのように受け止めたのかは想像の域だが、その絵を見た母の目は悦びに満ちる。そこで作者の意図は汲み取れた。
    ルッキズムの観点で「美」を語ろうとしたナカツルブールヴァールの芝居をちょうどその後に観て、結論的には同様の所に落ち着いていた。美には一つの尺度だけがあるのでなく多様である・・。
    だがその芝居の中で悪役である「市長」に言わせた台詞・・人類は戦争をいつまでも止めないし、常に美しいものを見ていたい(醜い存在は無視したい)欲求も変わらない・・は、人間にとっての難問。人類が終りの瞬間を迎えるまで携えていく問題なのだろう。

    0

    2023/12/20 08:59

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大