実演鑑賞
満足度★★★★★
待ちに待った作品の再演。チェーホフの『三人姉妹』を、彼の地で我が物顔で傍若無人な振る舞いをする日本人に置き換えて作られた作品。いろんな『三人姉妹』を観ているけれど、それぞれの人物が背負っているものがどの作品よりもしっくりくる。『この人は何でそんなことを言うのだろう、するのだろう』という違和感がなく、『そうだよなぁ、そうするよなぁ』と思える。汚れた美しくない色の日の丸が舞台の床に描かれていて、その上に絨毯が敷かれてその上で彼等は生きている。背景にも日の丸の映像が映し出されていて、それが旭日旗に変化したりする。それが何を意味し、彼の地の人々に何を強いる象徴であったかを思うと苦しくなる。やがてその舞台から日本人がみな降りて行く。まるで彼の地から追い出されていくように。剥き出しになった汚れた日の丸の舞台では、自分たちを人間扱いしなかった日本人が去り、誇りを取り戻したことを、いや誇りを失わなかったことを喜び讃えるかのように穏やかに踊る。その何と美しいことか。
我々は、過去の過ちをきちんと認識し、本当の謝罪から始めなければ、本当の国際交流なんてできない。ナチスやヒトラーの過ちを認めたところから始めたドイツと日本の違いはそこにある。
こう書きながらも、その日本人に対する怒りのエネルギーは初演よりも抑えられ、そのことで一層、そのメッセージが感情で押してくることなく根幹の問題としてズシリと伝わって来た。
この作品の肝は、原作にはない若い女中の存在にある気がしている。鄭亜美さんが見事に演じられた。そして、次女役の李そじんさんが美しく、切ない。
今作品も、繰り返し上演して欲しい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
初演とほぼ同じキャスト(高橋ひろし→佐藤誓のみ)。舞台装置もああこうだったなと思い出す。下手手前にマイクが置かれ、たまにここで独白するが、何となくの感じだが使用頻度は減り、全体に深刻さがシニカルさに寄り(これは俳優の演技の自然な変化の範疇か?)、長男の嫁の憎らしさが減っていた。
連隊が移動しドラマが終局に向かう段で、孤独と先行きの見えなさをそれぞれ抱えた姉妹三人が体を寄せ合い、それでも生きて行くと言うあの場面、本作はここがラストにはならず、日本人らが出て行った後、残った朝鮮人の登場人物四人による無言の場面が置かれている。この場面との兼ね合いを考えたため、というのは深読みし過ぎかもだが、朧ろな記憶では、次女が恋に破れ泣いた後、初演では「断念と共に家庭生活に戻る」兆しがあったに思うが今回は夫を最後まで拒否する。また三女の新婚の夫との決闘の結果を彼女に告げるのは原作と異なり決闘相手(三女を男尊女卑的に恋慕していた)、しかしその前段にある「愛はなくともそれを合意の上で未来へ一歩踏み出す」瞬間が刻印されないため悲劇性が際立たない。等の些かの淡泊さを覚えたのだが、これは朝鮮人が閉じ括る最後の場面との兼ね合いだったのかも・・と思ったりもする(三人姉妹ドラマが燃焼し尽くしてしまうと最後が取って付けたようになってしまう)。
そのラスト、「解放」を祝い、新たな時代を刻む儀式は、初演より簡略になっていたが、その素朴さがぐっと迫るものになっていた(客席斜め前の年輩女性、他にも涙を拭う仕種が見られた)。
思えば劇中、登場頻度は少ないものの「外地の日本人」の人間模様を捉える朝鮮人の眼差しが、劇をシニカルにさせていた、このあたりが初演から幾許か変化の認められた理由かも(と言ってもごく微妙な変化ではあるが)。
だが「三人姉妹」の物語としてはもっと「燃焼したい」「しっとりしたい」思いが残った気がする。そう考えるとこの翻案戯曲の限界という事になるかも知れない。
だが植民地支配の構造の片鱗が、演出も含めてちりばめられており、批評的な一面が、瞬間が翻案作品としての悦びをもたらすのは確か。拍手。
実演鑑賞
満足度★★★
舞台上には赤茶けたいろんな小道具が雑然と転がっている。年月を経て赤錆が浮いているようにも見える。開演前、女中のサヨ役の佐山和泉さんが鏡台に座りメイクを始める。ガチで老婆になるまでをやってのける。
1910年日韓併合、日本の植民地とされた朝鮮。舞台は咸鏡北道(かんきょうほくどう=ハムギョンブクト)の都市、羅南(らなん=ナナム)。すぐ北東にソ連のウラジオストクがある緊迫した土地。現在は北朝鮮の領土になっている。
①1935年、父の一周忌であり三女の誕生日でもある一日から幕を開ける。普通学校(朝鮮人学校)の教師をしている長女(伊藤沙保さん)、中学校教師(夏目慎也氏)に嫁ぎ近所に住んでいる次女(李そじんさん)、高等遊民を気取る長男(亀島一徳氏)、女学校を卒業した三女(原田つむぎさん)。この家に長く仕える女中(佐山和泉さん)、離れに下宿している軍医(佐藤誓氏)と“男爵”と呼ばれる中尉(田中佑弥氏)。
赴任して来た中佐(大竹直氏)がこの屋敷に挨拶に来る。
やたら下手糞な俳句を詠む中尉、波佐谷聡氏。板尾創路似。
下手糞な太鼓を叩く伍長、松﨑義邦氏。
長男・亀島一徳氏は大学教授を目指していたが挫折。朝鮮の有力者の娘、ソノク(アン・タジョンさん)と交際している。
ソノクの下女、鄭亜美(チョン・アミ)さん。
近所に住む日本語が下手糞な下男、イ・ソンウォン氏。ピエール瀧似。
第二幕は1936年、第三幕は1939年、第四幕は1942年。
休憩後の第三幕が面白かった。
MVPは屋敷に嫁いで来る長男の嫁ソノク役のアン・タジョンさん。日本人のイメージする韓国人女性を見事に表現。これが火病なのか?
鄭亜美さんも名助演。ラストの舞も美しい。
次女の駄目亭主、夏目慎也氏はトレンディエンジェルのたかしっぽい。
博打に溺れる長男・亀島一徳氏の屑っぷりも痛快。
三女・原田つむぎさんさんは『生きる』の小田切みきの雰囲気。
“男爵”、田中佑弥氏はカンパニーデラシネラの『気配』で印象深い。長身なので絵になる。
『東京節』のメロディー(「ジョージア行進曲」)で韓国独立を煽る当時の朝鮮の歌が流れる(「独立軍軍歌」)。興味深い。