外地の三人姉妹 公演情報 KAAT神奈川芸術劇場「外地の三人姉妹」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初演とほぼ同じキャスト(高橋ひろし→佐藤誓のみ)。舞台装置もああこうだったなと思い出す。下手手前にマイクが置かれ、たまにここで独白するが、何となくの感じだが使用頻度は減り、全体に深刻さがシニカルさに寄り(これは俳優の演技の自然な変化の範疇か?)、長男の嫁の憎らしさが減っていた。
    連隊が移動しドラマが終局に向かう段で、孤独と先行きの見えなさをそれぞれ抱えた姉妹三人が体を寄せ合い、それでも生きて行くと言うあの場面、本作はここがラストにはならず、日本人らが出て行った後、残った朝鮮人の登場人物四人による無言の場面が置かれている。この場面との兼ね合いを考えたため、というのは深読みし過ぎかもだが、朧ろな記憶では、次女が恋に破れ泣いた後、初演では「断念と共に家庭生活に戻る」兆しがあったに思うが今回は夫を最後まで拒否する。また三女の新婚の夫との決闘の結果を彼女に告げるのは原作と異なり決闘相手(三女を男尊女卑的に恋慕していた)、しかしその前段にある「愛はなくともそれを合意の上で未来へ一歩踏み出す」瞬間が刻印されないため悲劇性が際立たない。等の些かの淡泊さを覚えたのだが、これは朝鮮人が閉じ括る最後の場面との兼ね合いだったのかも・・と思ったりもする(三人姉妹ドラマが燃焼し尽くしてしまうと最後が取って付けたようになってしまう)。
    そのラスト、「解放」を祝い、新たな時代を刻む儀式は、初演より簡略になっていたが、その素朴さがぐっと迫るものになっていた(客席斜め前の年輩女性、他にも涙を拭う仕種が見られた)。
    思えば劇中、登場頻度は少ないものの「外地の日本人」の人間模様を捉える朝鮮人の眼差しが、劇をシニカルにさせていた、このあたりが初演から幾許か変化の認められた理由かも(と言ってもごく微妙な変化ではあるが)。
    だが「三人姉妹」の物語としてはもっと「燃焼したい」「しっとりしたい」思いが残った気がする。そう考えるとこの翻案戯曲の限界という事になるかも知れない。
    だが植民地支配の構造の片鱗が、演出も含めてちりばめられており、批評的な一面が、瞬間が翻案作品としての悦びをもたらすのは確か。拍手。

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    2023/12/20 08:58

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