『Family Days -キレイで、グロテスク-』 公演情報 『Family Days -キレイで、グロテスク-』 」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.4
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★

    夢と知りせば覚めざらましを
     「終末」もので「疑似家族」もの。
     巷に溢れている設定の物語で、新味はない。言い換えるなら、どのような展開が行われ、結末がどうなるかは概ね見当がついてしまう。
     しかし観劇中、一時も目を離すことができない。それはこの舞台に、観客のイマジネーションを刺激する力が備わっているからだ。
     ここで描かれる「世界が終わるまでの期間限定の理想郷」は、初めから崩壊することが約束されている。登場人物の誰もが、それが「虚構」にすぎないことを認識している。しかし、我々の住む「現実」とやらも、極めてあやふやな思い込みによって成り立っている「虚構」ではないのか。東日本大震災と原発事故を経験し、「安全神話」がいかに脆弱なものであったかを我々が自覚している今、そのことを特に痛感しないではいられない。

     「多様な解釈が可能な作品ほど優れている」という言葉がある。この物語の結末が果たしてハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、それも観る者によって受け取り方は様々だろう。脚本の三浦としまるははっきりとメッセージを込めて戯曲を書いてはいるが、それは決して押しつけがましいものではない。

    ネタバレBOX

     観劇中、既視感に囚われて困った。
     「終わる世界の中で人はいかに過ごすか」はSF作品の一ジャンルを成しているほどに数限りなくある。
     しかし「現実」にも、世界が終わることを前提にして、一つの集団が「疑似家族」を築く事例は決して少なくない。有名な例が、1960年代に、ハルマゲドンを予告し、UFOからの救済を求めて「信者」たちがコミュニティを作ろうとしたCBS(宇宙友好協会)事件だ。もちろん終末が来ることはなく、このカルト教団は崩壊していった。
     この事件をマンガ『モジャ公』でパロディ化したのが藤子・F・不二雄である。終末前の社会の混乱、そして終末直前の「静かな家族」の茶の間での情景描写は、『Family Days』の「疑似家族」がテーブルを囲んだ情景ともよく似ている。「幸福な家族はみな似通っている」という『アンナ・カレーニナ』の言葉を想起しないではいられない。
     ノアの箱船事件も現実の出来事だとすれば、我々人類は常に「世界の崩壊」を夢想してきたことになる。このような事件が現実に起きてしまうのは、我々の遺伝子に「死に至る病」が予めインプットされているせいだろう。だからこそ「終わらなかった世界」はかえって我々に「地獄」をもたらすことになる。

     しかし三浦としまるは、劇中で何度も繰り返す。「みんな偉いよ、世界が終わるのに、電気はちゃんと通ってて、バスも電車も動いていて、みんな仕事している」。混乱は確かにある。自暴自棄からパニックを起こす人々もいる。しかし、それでも「一粒の種を撒く」人々がいること、「秩序」を希求する人々がいることを、三浦としまるは、世界が終わるまでと、“終わらなかったあと”も共通して、ためらいなく描いていく。
     「崩壊」と「新生」が等価のものとして提示されるために、観客はこの虚構の物語にリアリティを感じることができるのだ。ラストでは「終わらなかった世界」に流れ星が落ちる。それは、やはり世界を滅ぼす隕石の飛来の予兆なのか、希望を託す願い星なのか、それも観客の想像に任されている。
     それはすなわち、「終わりをいかに過ごすか、その決断も、我々の手の中にある」ことを明確に示唆しているのだ。

      「疑似家族」たちは、崩壊の中で家族を殺され、心の壊れた少女サキを守るためにコミュニティを作った(物語は最初、サキの「本物の家族」を登場させるが、俳優はあとの「疑似家族」とのダブルキャストなので判別がつきにくくややこしい。「疑似家族」だけの物語でよかったと思う)。
     彼女の名前がまだ分からぬ間、彼らはサキを「イーヨー」と呼んでいた。
     それはサキが誰から何を聞かれても「いいよう」としか返事をしなかったからだが、恐らくは多くの観客が、『くまのプーさん』に登場するシッポをなくしてばかりいるロバ、イーヨーを想起するだろう。『くまのプーさん』の世界もまた、作者A.A.ミルンが息子クリストファ・ロビンのために作り上げた「ぬいぐるみたちの疑似世界」だった。そしてその「現実」に恐らく一番自覚的だったのがロバのイーヨーなのである。
     『Family Days』の「イーヨー」は、気がおかしくなっているが、ナレーションを担当する時は正常な思考力で状況を正確に分析し、語っていく。彼女だけが、夢の中にいて、これが夢であると自覚している唯一の存在なのだ。狂気こそが現実の虚構性を喝破する逆説。自分が正常だと信じて疑わない人間には決して発想できない鋭い視点がそこにはある。
  • 満足度★★★

    三浦さんらしい
    人柄が現れる作品だったと思う。
    究極の状況で人はどうなっていくか?
    きっちり台本を作っていく三浦さんならではの作品。
    未曾有の震災のあとでの上演をかなり迷ったのもしかり。
    心臓がどきどきの内容ではあったものの、トラウマによって
    自分を無くしていたイーヨを理絵さんがとても素敵に演じた。

    ネタバレBOX

    結局、終末は来なかったという結論が幸運!でなかったというのが
    妙にせつないエンディングだった。
  • 満足度★★★

    堅実なつくり。
    終末を描く作品だが、それほど荒唐無稽ということにもならず、堅実に作っている。

    実際に劇中の人物たちのようなことになるかは分からないが、「ありえない」と思わせるような不自然さはない。

    老け役の無理さ加減も納得のいく設定で笑わせてくれた。


    イーヨの演技には納得いかないものもあったが小さな傷だろう。

    終末の後が描かれることはよかったが、なんとなくいい話で終わったのは個人的には残念。

  • 満足度★★★★

    意欲溢れる、力作!
    重いテーマに真正面から取り組んでいて、衒いがないのがいい。
    この劇団らしいユーモアもあって、重苦しいばかりではない、見応えのある舞台だった。

    感想の詳細(ネタバレあり)は、次に書いています。
    http://f-e-now.ciao.jp/20110506.html

  • 満足度★★★★

    シンプルな舞台
    広さを利用し奥行きを見せていた。内容はこの時期に死について真面目に取り組んでいる。一方で、劇団らしさのユーモアもあり安心して見れる。

    ネタバレBOX

    〇〇さん最近、老け役が多いっす。照明プランはシンプルなものでした。ちょっと長いかなと思われる。

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