失われた歴史を探して 公演情報 失われた歴史を探して」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    同作者による「旅立つ家族」(文化座)を今年はじめに観たばかり。植民地時代と戦後、韓国と日本と二つの時と国をまたぐ話を、今回と同じ金守珍が冴えわたる演出で壮大なドラマに仕上げていた。苦悶の内に他界した朝鮮人画家イ・スンヨプの魂の彷徨であったが、今回のは同じく日韓現代史の断面を切り取った劇でも題材はあの関東大震災時の朝鮮人虐殺だ。これを劇化した日本人作家は不勉強ゆえ知らないが、題材が題材だけに、実際存在しないかもしれない。
    作者は、渡日朝鮮人の従業員たちと、彼らに理解ある社長、及びその家族というコミュニティを真ん中に据え、大震災というエポックが彼らに何をもたらしたか、という視点で歴史を叙述した。芝居は劇中劇の形を取り、冒頭とラストには現代シーンがある。件の社長の手記が百年後の現代、古本屋に並んでいたのを「高かったが背に腹は」と入手したライター志望?の女性(水嶋カンナ)が、友人(杉本茜)と聖地巡礼=社長の実家を探しに田舎町を訪れているのだが、このシーンで映画「福田村事件」のパンフを持って熱っぽく語ったりする。重いテーマの芝居への軽やかな導入を趙氏又は金氏が追加したのか、原作にもあったのかは不明。
    本編の劇では、社長(ジャン・裕一)の息子(二條正士)と、朝鮮人職長(趙博)の娘(望月麻里)との男女関係、それを見守る娘の弟がいる。社長の家族は二人の関係を正統なものとして受け入れようとしている。他には朝鮮で叶えたい夢のため切り詰めてお金を貯めている従業員(ムンス)、博打に目がない従業員(青山郁彦)、彼を追ってやって来るヤクザ者(藤田佳昭ら)、通報があったと刑事(大久保鷹)も登場する。彼は震災での混乱の中で良い働きをする。だが夢追い人は無惨に殺され、朝鮮人を留置所に匿ったと非難された刑事は彼らを追い払うも、火をつけられる。息子の許婚は実は子を宿していたが、一度逃げ出すも絶望に襲われなぜか炎の中へ飛び込んで行く。
    工場に匿われていたのでは迷惑がかかると飛び出て行った朝鮮人従業員の内、職長と博打好きは最後には生きて戻り、娘の死を知らされる。危機が迫る中、相手の息子との結婚を社長夫妻に申し出られても一旦持ち帰ると答えてしまった己の不覚を悔いて泣く。
    この歴史事実で看過してならないのは「流言」が意図的に、公権力から発された事だが、金守珍演じる何とか大臣と管轄下の警察のトップの太々しいやり取りが書きこまれている。

    全体には梁山泊らしい演出であったが、唐十郎のような詩であり幻想である「フィクションでしかない」作品世界には悲壮な色を帯びた(大貫誉の音楽に象徴される)演出は適しているが、史実を扱い、史実である事が重要である作品においては果たしてどうか・・というのは残った。

    ネタバレBOX

    出来事の連続としての物語の中で、人物に(ストーリーに直接関わらない)批評性を帯びる言葉を語らせる事がある。この作品の場合、植民地化、侵略の歴史に触れる部分。もっとも虐殺は日本の拡張主義と連動している。
    社長の息子は兵役帰り。派遣先は三一運動の燃え盛る朝鮮。父親も同じく朝鮮の地へ日露戦争で赴いた。この過去が、父をして朝鮮出身の従業員への分け隔てない待遇をさせしめ、また息子をして婚約者に対する処理できない屈折した感情に埋没せしめている。
    朝鮮からの帰還以来何かが変わった様子の息子を父は持て余し気味であったが、ある時(母(佐藤水香)のうまい計らいもあり)二人は酒を酌み交わし、息子は記憶から消せない出来事を語る。
    映画「福田村事件」は朝鮮帰りの夫婦を登場させ、夫婦生活の危機の遠因となった出来事を夫が妻に語る相似形なシーンがあるが、震災後事件が起ころうとしたその時、妻は「あなたは今度もまた、何もしないの?」と夫を責める。彼は朝鮮でのその事件(堤岩里事件)で「何もしなかった」その前に余計な事をした。教会に閉じ込め火を放とうとした日本の官憲に、ある女性が抗議したので彼はその言葉を日本人憲兵に通訳した。自分が必死に覚えた朝鮮語を役立てようとその時初めて通訳を買って出たのだが、その事のために憲兵は女性を睨みつけ、その場で首を切った。
    芝居に戻れば、親子が語るのは彼の地で犯した殺しの数である。父から思い切って息子に切り込んだ。話せない事を話す呼び水とするべく、「お前、何人殺した?」と訊くのだ。・・最初は抵抗があった。だが段々と慣れてきて、いかに多く殺すか、いかに残虐に殺すかを競うようなる・・。己自身が見せた姿におののき、平穏な日常生活の「裏」を覗こうとする。許婚から子どもができた事を知らされた息子(二條)は驚き混乱する。
    「ゆきゆきて神軍」は今となるととてつもなく貴重な映像満載であるが、ここには人間のグロさを戦地にとどまらず現在にも引っ提げて異臭が放たれる様が映されている。
    人間が負の側面を見なければならないのは何故か。果たして見なければならないものなのか?という問いにどう答えられるのか。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    これを観れて本当に良かった。
    韓国演劇界の重鎮、金義卿(キム・ウィギョン)氏が来日し現地調査をして書き上げた1985年の戯曲。
    金守珍(キム・スジン)氏演出、脚色の「パギやん」こと趙博(チョウ・パギ)氏のアイディアも取り入れられている。
    開幕は関東大震災百周年、『福田村事件』の公開日。神保町の古書店で購入した私家版の手記を読んだ水嶋カンナさん。友人杉本茜さんとその地を訪ねることに。朝鮮人大虐殺のあった工作所跡地、古びた井戸。
    朝鮮人労働者達に親切に接する優しい工場長、ジャン・裕一氏。その息子、在郷軍人会の二條正士氏は朝鮮人の娘(望月麻里さん)と恋仲に。朝鮮人達には金を貯めて祖国に戻り、奪われた土地や山を取り戻す夢がある。そこに起こる前古未曾有の大災害、阿鼻叫喚の地獄絵図。天災ゆえ群衆のやり場のない感情の矛先を朝鮮人と社会主義者に向けさせようと企む内務大臣水野錬太郎(金守珍氏)と警視総監赤池濃〈あつし〉(ジャン・裕一氏二役)。

    韓国人にこの手の作品を書いて貰いたいと思っていたら、既にこんな作品が存在していた。韓国人が暴く朝鮮人大虐殺の真相。
    タイトルが弱い。新東宝を習い、『関東大震災と朝鮮人大虐殺』でやった方が判り易い。

    ジャン・裕一氏は凄腕。二役に全く気が付かなかった。
    妻役佐藤水香(すいか)さんも印象に残る。サトエリの姉。
    大久保鷹氏は渋い。
    趙博氏のガタイはリアルな労働者。
    青山郁彦氏は小柄で運動神経抜群、こういう芝居には必要不可欠。

    MVPは二條正士氏、『カレル・チャペック』の印象が強かったが今作も最高。この人物造形は韓国でも絶賛される筈。
    父子の日本酒を酌み交わすシーンは絶品。ここだけでも字幕を付けて世界中に公開したい。この二人の会話に人間の真実が秘められている。人間という存在の謎が。これを観れただけでもう何も文句はない。
    ジョシュア・オッペンハイマーの『アクト・オブ・キリング』、『ルック・オブ・サイレンス』の二部作を想起。

    幕に投影される映像も効果的。食物連鎖。

    ネタバレBOX

    父と子が二人きりで腹を割る。
    「お前、何人殺した?」
    二條正士氏は朝鮮半島で何をしたか、酒の力を借りて徐々に語り出す。
    「初めはおっかなびっくりだった。段々と慣れていった。そのうち誰が一番速く多く殺せるか競争になった。どんな奇抜な殺し方を思い付くか。どれだけ残酷な殺し方が出来るか。父さん達もやったんでしょ。やっぱそうだ。皆同じなんだ。」
    苦渋の面持ちの父。否定は出来ない。
    「歳を取ってくると、それが夢に出てくるんだ。それが堪らなく辛い。」
    父は朝鮮半島で自分が犯したことの贖罪として、朝鮮人労働者に親切にしていた。優しさと背中合わせの虐殺者。

    大久保鷹氏演ずる一本筋の通った刑事により警察署に保護された朝鮮人達。だが周囲を囲んだ暴徒に放火される。日本人に絶望した妊婦、望月麻里さんは踵を返し炎に飛び込む。

    惨殺された朝鮮人の怨霊達が炎の中で日本人に宣告するクライマックス。帝都に刻印された死刑判決。
    「お前達が滅びるのはお前達自身の為した行ないの報いだ。お前達自身がお前達を滅ぼすのだ。恨むのならば自身を恨め。」
    恨(はん)は恨みという意味ではなく、朝鮮民族特有の無念さや無常観の集合的無意識。蓄積された憎悪と同じ数の虚しさ。
    震える程美しい名シーン。赤い和傘を差して舞う4人。水嶋カンナさん、杉本茜さん、望月麻里さん、佐藤水香さん。

    ここで場面転換の為、役者のフリートークで繋ぐ突然の幕間。ここからが自分には蛇足に思えた。後日談が続くが怨霊の宣告以上に観せるべきシーンなどない。

    1959年の新東宝映画『大虐殺』は観た筈なのだが全く記憶にない。関東大震災後の朝鮮人大虐殺は日本人の国民性の代表的なモデルケース。結局大多数の日本人には個々に本質的な善悪の概念がない。闇バイト強盗のように「上に命令されたから」「仕事だから」と行動の責任転嫁さえ計れれば何でもやる。責任が自分にないのならば誰かの命令であるならば。昔、日中戦争での日本人の蛮行を理解する為に色々と考えた。その結論が『仕事だったら普通にやる』だった。「何でこんな事をする?」「自分等は上の指示通り仕事をするだけなんで。文句があったら上に言って下さい。」自分の判断を後から追求される事がないのであれば強姦略奪放火虐殺、やりたい放題。闇バイト強盗も仕事で依頼されたからやっているだけで罪の意識なんてない。仕事だったら南京大虐殺もやるだろう。「絶対に捕まらないから。ばれることはないから。」と言われれば。日本人は罰が怖いだけで罪を犯す行為自体は怖くないのだ。

    やはりどうしたって連想するのはリアルタイムで行なわれているイスラエルとハマス(パレスチナ)の戦争。もう『進撃の巨人』にしか見えないガザ地区。(実際、ガザの子供達は『進撃の巨人』に夢中らしい。この世界を象徴する作品であると)。ハマスの連中はどうせこのまま惨めに死ぬのならイスラエルの奴等に拭い去れない屈辱を刻印してやりたいと思ったのだろう。ぶち殺されること前提の自爆テロ。そんなものに未来なんか何処にもない。高みの見物の酔客が快哉を叫ぶだけ。

    この憎しみと復讐の連鎖に解答を導き出せるのか?
    当事者ではない自分は新世代の若者達が宗教を棄てるしかないと考えた。ユダヤ教に冷ややかなイスラエル人と、イスラム教に客観的に向き合えるパレスチナ人とが、現実的な具体的な話をしていくしかない。死後の世界なんてない。生きている時に生きていける答を見付けるしかない。(勿論、そんな綺麗事で終わる訳はなく、地獄の虐殺ショーの開幕)。
    浦沢直樹の傑作『PLUTO』でロボット警部ゲジヒトが繰り返す台詞。自分に言い聞かせるように。
    ゲジヒト「憎しみからは何も生まれないよ・・・。」
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2023/10/12 (木) 14:00

    座席1階

    関東大震災から100年。発災後に起きた朝鮮人などの虐殺を真正面から取り上げた力作。韓国の大御所劇作家金義卿の作品を、金守珍が在日の視点で演出をしたという。

    特徴的なのは、冒頭に登場する若い女性二人が、虐殺の被害者らが務めていた鉄工所の跡地を訪ねるという場面から始まることだ。100年前と当時を結ぶ演出で、多くの日本人が忘れ去ろうとしている歴史を今に記憶するという意味を持たせている。梁山泊らしい妖艶な演出で、女性たちが「自分たちは歴史を記憶するために何もしてこなかった」などとリフレインする。
    物語は、当時の日本の植民地戦争で現地の人たちなどを殺害した男が経営する鉄工所が舞台。その贖罪の思いから、男は、日本人に土地を奪われて内地に移住してきた朝鮮人たちを積極的に雇用している。工員たちはその思いに感謝をしている。だが、トラブルを起こした若い朝鮮人従業員を追ってきたヤクザともめている時に震災が起きる。
    男の息子も軍人で、地元の在郷軍人会の役員を務めていたが、従業員の朝鮮人の娘と恋仲となっていた、という筋立てが「失われた歴史」のもう一つの側面をあぶり出す。息子は軍人としての立場から娘との結婚に踏み切れないでいる。立場の溝が二人を引き裂くという物語を浮き彫りにすることで、日本人による朝鮮人への差別意識を舞台上に表現していく。差別している日本人の中に「朝鮮人から復讐される」という恐怖が生まれ、狂気に変貌していくという当時の空気だ。

    今回はいつにもまして、出演者たちの熱演が光った。悲劇の朝鮮人娘を演じた望月麻里は見事だった。朝鮮人従業員のまとめ役を演じたパギやんはさすがの立ち居振る舞いだ。留置場に入れることで自警団の狂気から朝鮮人をかくまった刑事を演じた大久保鷹の演技は、いつも以上にいい味を出している。

    劇中、インターミッションのようにパギやんが当時の朝鮮人たちの言葉遣いなどを説明する場面を作ったのは秀逸だ。スズナリの客席の半分以上を占める若い世代に効果的な解説だった。
    梁山泊のテイストを保ちながら、金義卿の作品へのリスペクトを織り込んで演じた今作。次の100年でこの歴史を失わないために、絶対に見逃してはならない舞台である。

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