ストレイト・ライン・クレイジー 公演情報 ストレイト・ライン・クレイジー」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    一公演で同演目を3度観るというのは多分初。実は二回目を誤って最初観たのと同じ星組を観たがためにこれで花組を観なきゃバランス取れないし、と(こじつけて)「変化」を観たさに観劇した。
    見比べは興味深い。プレビューは生硬さが却って無駄を削いだ芝居の輪郭を見せ、「おっ」と思わせたのだが、二度目は色々探り始めてか、芝居が少し「軟」に寄り、初日よりも台詞が回っていなかった(人がいた)のが残念だった。
    日を置いて観た今回の花組は、熟した芝居。老舗劇場スズナリという演劇の精?が、芝居に微笑む瞬間があった。客席の拍手が程よく力強く響いていた。こういうのが正しい拍手のあり方。ダブルは必要ない。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2023/07/24 (月) 19:00

    久しぶりの燐光群、劇団の力をみせる公演だった。正しい、とはどういうことか。個人にとって、市民にとって、国にとっての正しさはそれぞれ違う。自分の正しさを主張し衝突し、ずれていく人々。動いていく時代。膨大な台詞の波に運ばれながら、人生の深みと混沌を感じさせる刺激的な演劇。見応えたっぷり。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    行政・政治家の善意と先見性が大事なのか、住民・ジャーナリストの声が大事なのか。いまだに解決のつかない永遠の問いを、あらためて考えさせる舞台だった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     日時によって星組、花組Wキャスト上演である、どの役を誰が演ずるかテイストの違いを楽しむこともできる。(花組を拝見)
    2部構成、休憩なしの2時間25分程。一瞬たりとも目が離せない。

    ネタバレBOX

     今作は燐光群が演じるデイヴィッド・ヘア第5作目の作品であるが、1929の世界大恐慌に重なるような時代、1926年が起点だ。当時は未だ一般的ではなかった都市開発計画を立ち上げ現在のN.Y.で見られる都市景観の大本を作った実在の男・ロバート・モーゼスの前半生(マンハッタンから近く資産家が好環境の現地を好み多くの地域を私有化していた合衆国本土では最長最大の自然豊かな島・ロングアイランドを一般市民が通い使えるようにする為の開発、海浜公園&公園へ通じるノーザン・ステート・パークウェイやサザン・ステート・パークウェイ建設等)を前半第1部で、
    29年後の1955年代に入り世の多くの人々の意識やジェンダー感覚が大きく変わるとワシントン・スクエア・パークに高速道路を通そうとするモーゼスの計画はビレッジ住人の市民運動と対立、激しく批判されるようになって以降を第2部で。ヴァイタリティーと信念を持ち実践したさしもの男は、変転することこそ唯一の自然な世界の姿であることに置いてきぼりを喰らいつつ尚一種のアメリカ流ダンディズムを貫こうとした。そして彼をその事業の開始からサポートし仕事で無理をした結果障碍者となった現在も未だ現役の男性社員の覚めた意識に出会い、秘書を務め続けた女性社員の「辞めます」宣言迄叩きつけられたモーゼス、また仕事一途な余り妻をアルコールに走らせ剰え暖かい言葉一つ掛けてやったわけではなかった鈍感が遂には妻の精神を破壊、精神科病棟で薬漬けの生活を送っていることへの遅過ぎた気付きなどの経緯を描いて、仕事最優先で成功を収めた男のそれ以外の価値観や柔らかくしなやかな感性に対する鈍感や差別意識がそれらに無意識であることから生まれるが故に鈍感差別者自身に気付かれ難く更に仮に気付いたにしても為す術を知らぬことによって鈍感・差別を永続化してしまう状況が描かれる。現在の人権意識から観ればこれは余りに特異な事象にも見えよう。だがモーゼスは決して卑怯者でもなければ非紳士的な訳でもない。単に現在の我々から観て具体的に街の活動家の抗議の背景にあったもろもろの価値観や本源的に彼ら彼女らに湧き上がってくるパッションの根っこ、妻の現状を一人の人間としてケアできるだけのヒトとしての常識を欠いているように思われるに過ぎまい。また、白人内でもカソリック系やアイリッシュ、イタリア系などに対する差別があったとはいえ、ネイティブアメリカン、黒人、プエルトリカン、イエロー、中南米諸国民に対する人権蔑視に比べれば遥かにマシなものであったから、モーゼス自身も市民活動家、女性や有色人種に対する根源的な差別・蔑視が克服されていた訳ではなさそうである。こういった偏見をベーシックなレベルで持っていたことこそ、彼が遂には孤独に追い込まれた原因であろう。それにしてもラストに集約された彼の纏う侘しさは堪らない。
     一方、このがむしゃらな個性は、アメリカが生み出した一つのキャラクターでもあるように思われる。ヨーロッパ、殊にフランス等の現在にも残る優れた思想家、科学者、芸術家等は基本的に命懸けで己の思想や論理を実現し現在に迄伝えた者が多い。アメリカの場合は、それが個々人の破天荒な行為と性格をベースにした一種のフロンティアスピリットとして顕現するケースが多かったように思われる
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2023/07/20 (木) 14:00

    座席1階

    ニューヨークのマスタービルダーと呼ばれた都市計画・建設者であるロバート・モーゼスの物語。ストレート・ライン・クレイジーとは、先住の都市住民を追い出してもまっすぐな高速道を通そうとした彼の人生につけられたニックネームだろう。

    産業が興り、従事する人たちが集住して都市ができていくが、そのまま放置していては無秩序な街になる。都市の基幹は道路だ。都市計画は、道路をいかように通していくかということに集約されると言ってよい。
    ただ、道路建設と言っても単純ではない。特に、既に建物が集まりコミュニティーができているような地域では、コミュニティーを守りたいという住民と、都市全体の交通網を考えた都市計画当局とは衝突することが多い。東京の都市計画道路は関東大震災後というほぼゼロからのスタートで後藤新平というリーダーが辣腕をふるって骨格ができた。だが、戦後の復興計画で道路建設がうまくいかなかったのは、後藤のようなリーダーが東京都にいなかったからだと自分は思う。朝鮮戦争特需で街が急速に発展する中で、東京都が環状道路を建設していくのは至難の業だった。全部で8本ある都心の環状道路の中で、環状三号線など計画倒れになっている道路が依然として残り、都心の渋滞をひどくしている。

    この演劇の上演地である下北沢も、東京都が通そうとしている都市計画道路がある。裁判にまでなった小田急線高架化は断念され地下化となり、元線路だった場所は歩いて楽しむ、今やテレビドラマに何度も登場するトレンディースポットに変貌した。立ち退きを伴う道路建設は、北朝鮮の将軍様のような独裁者でもいない限り、今や不可能に近い。下北沢でこの演目が上演されたのは、何だか因縁みたいなものを感じる。

    物語はモーゼスがニューヨーク近郊のロングアイランドを庶民の避暑地にするために二本の高速道を建設する場面から始まる。土地所有者である富豪たちとの強硬な交渉や、法の手続きを無視してまで進める仕事ぶりにまず、驚かされる。まさに人間ブルドーザーだ。日本で言えば、田中角栄のようなものだ。懸命に付いていく部下たちが痛々しいが、そこには庶民の生活向上という納得できる理屈があった。
    戦争を経て、経済成長の中でニューヨークマンハッタンの高速道整備は難渋する。モーゼスはやり方を変えない。都市生活者として成長している市民たちが組織する反対運動の力を見誤って、時代の流れと共に計画は頓挫していく。「人間ブルドーザー」が都市の発展に力を発揮した時代は既に終わり、都市の成熟にはブルドーザーは害悪となっていた。しかも、彼が信奉した車社会に疑問が投げかけられようとしていた。
    高速道計画を阻んだワシントンスクエアは車両通行禁止に。市民がそぞろ歩きをしながら都心の生活を満喫するという今のスタイルの萌芽となった。ニューヨークにはかつての高架鉄道の跡地を遊歩道にするなど、都市遺産というべきモニュメントがトレンディースポットになっている。上演劇場のスズナリがある下北沢のように。

    さて、今作は力のある燐光群の看板俳優たちが遺憾なく実力を発揮し、見応えのある舞台に仕上がっている。2時間の上演時間の間、迫力のある会話のやり取りが続き、舞台から目が離せない。モーゼスの人生とは別に、民主主義と都市計画、貧困と富裕など考えさせられるテーマが散りばめられ、観劇後の一杯の席のネタには事欠かない。観てよかったと思える舞台だった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    内容的には燐光群の今までの演目のような社会問題を扱っているイギリスの作家の翻訳劇である。燐光群40周年の記念公演という。もうそんなに年月がたったのかと感慨もある。
    いつもの正邪明白、立場明白の戯曲ではなくて、一頃よく上演されていたインフォメーションドラマ、のタッチである。そういえば、坂手の初期の作品は、よく考え抜いたこの手の作品があったな、ト思い出す。「天皇と接吻」「海の沸点」、多作の作者だからすぐには思い出せないが、フレッシュな視点から現実に発言するドラマだった。しかも見ていて面白い。
    今回の作品も、演劇激戦区の英米市場の作品だけに、都市開発問題を扱っていてもなかなか手が込んでいる。ニューヨークの都市計画を強引に推し進めた官僚の功罪を問うドラマである。1920年代後半、大恐慌の前、この官僚(大西孝洋)が、利用できる政治家(川中健次郎)や腹心の部下(秘書、技師・((竹山尚史)大健闘)を、自己の構想のママ使い倒して、平民の幸福のために自動車社会をスムースに実現できるよう近代的な都市計画を実現していく。ここまでが前半で、後半はそれから30年(1950年代後半)。官僚は、下町改革に取り組むが、ヴィレッジの多様な住民の反対に遭って挫折し、腹心たちも離れていく。
    関東大震災後の後藤新平の改革はどうだったかと問うようなもので、大都市の住民にはどこでも共通する問題をうまくすくい上げている。最後に、ヴィレッジは現在NYで住むには最高級住宅地になっている、というオチがついている。
    大都市住民とその環境整備の公と私を巡って、現在も大きな問題を抱えた都市問題を多角的に扱っており、一つ一つの論点を巡っても、限りない議論が生まれる。そこをあまり一方的な視点に落ちず、また、日本ではよくある人情話に落とし込まず、2時間20分、休憩なしで押し切った。多面的な情報を仕組んだ戯曲のうまさが第一の見所である。
    燐光群の俳優たちも初期からの人たちも多くこう言うドラマには慣れていて、ソツはない。しかし、いつも感じることだが、役が見物が楽しめるように膨らまない。必要ないと思っているのかも知れないが、秘書の役なんかもっと面白くやれるのに、と思ってしまう。せっかく森尾舞という技術、ガラ抜群の女優を呼んできているのに、これでは勿体ない。


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    久々に燐光群らしい切れ味の舞台を観た。
    演劇との遭遇の「幸運さ」を実感していた演劇観始めの頃(感動そして衝撃を与える舞台に当たる確率がえらく高く感じたものだった)、燐光群の作品の幾つかもそれに含まれた。スズナリでは「最後の一人までが全体である」「だるまさんがころんだ」にやられたが、今回は当時を彷彿する舞台の空気感がある。ただし戯曲は坂手洋二作ではなく2005年以来燐光群が日本初演を重ねてきたデヴィッド・ヘアーの近作。「ニューヨークを作った」と言われる実在した男の人生を、彼の最も輝いた時代と、栄光に陰りが差す時代の二部構成で描く。スリリングな台詞の応酬は往時のアメリカ(1930年代)の世相が進歩を牽引する主人公(守旧派に当たる地主たちとの格闘もある)の信念に寄り添うという結果に着地したればこその躍動。辛辣さも程よい酸味である所、後半では意を尽くしての部下の批判も長年の同僚の助言も当人には届かない徒労感が宙に漂う。一人の人生はアメリカ現代史を雄弁に語らせ、時代と人とに思いを馳せる。

    ネタバレBOX

    時代的にはベトナム戦争前夜までで叙述は終わっているものの、大掴みの米国現代史にも見える。そして最後の最後に不意に暴かれる主人公の(殆ど無意識の仕業と思える)彼が過去為した決断の背後にある思考も、追い討ちを掛けるように彼の「変わらなさ」の弊害を傍証する。
    「変化が起きている」と、主人公(大西)との長い仕事のパートナー(森尾)が言う。「間違っている」との語句を避けてはいるが、時代は「過ち」をただすことで乗り越える(日本では先人を否定しない(事によって現状を守る既得権者に否を言えない)ため、いつまでも自らは進歩できない)。
    開拓地が残っていた頃までのアメリカ精神は市場を求めて外部を開拓する資本主義の原理に置き換えられる。車社会化という進歩を予見できてもその弊害を予見しなかった楽観主義の帰結も、戯曲は示唆する。
    1960年代に潮目が変わり、懐疑主義が現代の基調となるが、大衆音楽を始めとする文化の爛熟は進歩と懐疑の絶妙な入会地の出現が、可能ならしめた。その後の米国史の画期は9.11と言えるのだろうが、ある意味では1960年代に首をもたげた人類の難題を巡って、今も迷走する人間の姿が作者には見えているのだろうか。
    歴史上の人物ではなかったとしても、米国史を踏まえて刺激的な台詞たちで描かれた物語は現実的な問い突きつける。充実の二時間強、
  • 実演鑑賞

    憤慨、残念

    (上演時間2時間10分 途中休憩なし)

    ネタバレBOX

    場内ほぼ真ん中の席へ。その隣席人が上演中たびたびバッグの中のスマフォを見ており、液晶画面の光が気になった。何度か小声で注意し、スマフォ画面を遮ったが…。この御婦人、グループで来ていたようで、上演直前まで後部座席でお喋りをしていた。コロナが感染法上5類へ移行したため遠慮なく話をしている。そして上演2~3分前に突然1人だけ隣席へ。携帯電話の電源等に係る諸注意は 形式的にアナウンスが流れるだけで、お喋りしている御婦人が聞いていたのか疑わしい。もしくは無視したか。
    終演後、御婦人方のグループは劇団関係者と話していたが、関係者なのか知人なのか、または別の用事(物販購入?)で行ったのか定かではないが…。
    それとも自分の了見が狭いのか?

    劇団からご案内をいただき、興味を惹く内容だったので、観に行ったが残念だ。
    公演は、「カリスマ行政官ロバート・モーゼス、その半生の光と影を描いたデヴィット・ヘア最新作、待望の日本初演」という触れ込みで、分かり易い構成と濃密な会話劇。現代日本にも通じる都市計画・政策さらには民主主義等を考えさせる骨太作品である。が、隣席人への注意などで集中力を逸し 場面を見逃し、会話を聞き逃がし残念な思いだ。よって★評価は出来ない。

    気が向いたら 内容を追記する。

この公演に関するtwitter

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  1. 07/25: 燐光群『ストレイト・ライン・クレイジー』のアフタートークに巽先生と小谷先生がご登壇されます!https://t.co/r2srtniRH9

    1年以上前

  2. 書きました。都市を創るのは誰か? 都市は誰のものなのか? 燐光群『 ストレイト・ライン・クレイジー』上演|堤 広志 - 不要不急ではなく常に“要急”な舞台芸術学|NewsPicks https://t.co/gqRPIkQDNK #NewsPicksトピックス

    1年以上前

  3. 燐光群『ストレイト・ライン・クレイジー』 https://t.co/lPgXEV18RK

    1年以上前

  4. ◆チラシ折り込み代行◆ 本日7月4日(火)締切の公演をご紹介します(7/10)。 ・燐光群 『ストレイト・ライン・クレイジー』 https://t.co/wDsJfg5SBc こちらの公演で、チラシによる宣伝をしていただけます… https://t.co/rsf9cafsyK

    1年以上前

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