ヴェールを纏った女たち 公演情報 ヴェールを纏った女たち」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★★★

    スリリングな興奮に魅せられた
    私が「黒色綺譚カナリア派」に初めて触れたのは朗読劇であった。個人的には赤澤ムックさんの本公演の芝居より、彼女が演出する朗読劇のほうが好きだ。本公演でも、劇全体よりも1対1の会話の場面に一番魅力を感じてしまう。
    本作も朗読劇のイメージを払拭するようなスピード感あふれ、非常に洗練された魅力的な構成・演出でスリリングな興奮が味わえた。
    ドイツ在住のイスラム女性作家フェリドゥン・ザイモグルの作品で、ドイツの演劇雑誌『テアターホイテ』の批評家投票で2006年度後半期第2位に選ばれたという。
    なお、この一連の企画の中で「現在形の中東演劇」というシンポジウムが開かれ、ベルギー在住のエジプト人の演劇人・ターレク・アブル・フェトーフ、赤澤ムック、七字英輔三氏による対談が行われた。言語や文化の壁があり、三者の話がうまくかみ合わず、七字氏が司会者としても機能せず、残念だった。赤澤さんがそもそもなぜ中東の朗読劇演出を手がけたか、どんなことを感じたかを聞きたかったのだが・・・。対談で紹介された中東で活躍するアーチストの中に90年代に日本でも高く評価された建築家ザハ・ハディドの名が出てきたときは、彼女にインタビューした一人として、その健在を知り、嬉しかった。

    ネタバレBOX

    私は中東を舞台にした映画や、イラン映画が好きで何本か観たことがあるが、そこで描かれているイスラムの女性というと戒律が厳しく、控えめでつつましく、性差別による虐待にあっているというイメージ。
    性に関する独白劇というので、暗く傷ましいイメージの性体験なのかと思ったら、正反対で驚いた。
    翻訳言語はファンキーで現代的、宗教的な背景以外、欧米や日本と変わらぬエネルギッシュでしたたかな女性たちが登場する。
    赤澤さんの以前観た朗読劇同様、仕掛けがある。1人が1つの話を朗読するオーソドックスなスタイルではなく、1人の女性の独白を何人かで受け持ちながら複数の体験談が進行するが、最後に登場するドイツ人の女性のみ、新井純さんが豊かな表現力でオーソドックスな朗読形式で締めくくる演出がとてもよかった。
    イスラムの女性を演じる4人が黒、新井さんのみ白の衣装で、イスラムに改宗するドイツ人女性が最後に黒のヴェールを纏うのも印象的。
    落とした照明の中、浮かび上がる女優たちが無言の場面もとにかく美しい。
    非常に速いスピードで独白が進行するため、つなぎがスムーズにいかないと劇自体が失敗する構成なので、女優さんたちの緊張感はハンパではなかったという。
    しかも、それぞれの女優さんの個性もきちんと生かされている。
    トップバッターのこいけけいこさんは冒頭、カミカミでテンポの乗り遅れがあり心配したが途中からよくなった。秀逸だったのは中里順子さん。滑舌がよく、語りのつなぎもなめらかで、観客に届ける力が抜群。小劇場の若い女優さんはお手本にしてほしいといつも思う。赤澤さんの女学生の語りも生き生きとして惹きこまれた。牛水里美さんは「車椅子生活」の若き女性の屈折した性への情念を演じて鮮烈。
    イベント中特に人気演目だったそうだが、とても貴重でステキな朗読劇だった。
  • 満足度★★★★

    言葉で伝わってくるもの・肌合いで伝わってくるもの
    イスラム的モラルや価値観が
    語られる言葉だけはなく
    役者たちが築き上げる
    個々のニュアンスの色で伝わってきて・・・。

    感情の起点は言葉で表されても
    感情そのものを共振させるのは
    あくまでの役者たちの演ずる力。

    リーディング的な表現の力と
    演劇的な空気の表現で
    しっかりと浮かび上がってくるものがありました。

    ネタバレBOX

    冒頭のおしゃべりに近いスピードと勢いには
    リーディングというよりは
    すでに舞台でのお芝居に近い感覚があって。
    さらに読み進められていく
    観る側と異なる文化のなかでの
    恋愛感情の高揚も
    平凡さに塗り込められ隠された内面の奥行きたちも
    身体的不自由さのなかでの鬱積やあこがれも
    異教に導かれていく心的風景の描写も
    それぞれにしなやかに制御された
    言葉たちで伝えられながら
    言葉に流されない想いを舞台に醸し出していく。

    観る側も、与えられた言葉を咀嚼して
    異文化の価値観をみつめるだけではなく
    むしろ、読みあげられる言葉たちを
    追い越していくような空気の流れにこそ
    前のめりになって取り込まれていくのです。

    それは速度だったり
    しっかりと作られた空気の軽重だったり
    時には役者たちの表情だったり
    リーディングを一歩踏み出したような
    間だったり・・・。
    言葉からやってくる異文化や
    倫理観の違いを呑みこんでしまうような
    女性たちの普遍的な感情が
    役者たちの手練から鮮やかに伝えられていきます。

    未熟で抑制できない想いも
    あるいは深い思慮が編み込まれた想いも
    ひとつずつが貫くようにしっかりと演じられ
    よしんばそれが
    異教徒には共感しにくい宗教的倫理や文化に染められていても
    感覚として
    あるがごとく観る側に入り込んでくる。
    舞台上に醸し出される密度には
    息を呑むような力があり
    違和感と共感、それぞれが互いを織り込むように肌合いを作り
    観る側に包み込んでいく。

    役者たちにも言葉を伝えるなかで
    言葉に流されないだけの
    底力のようなものがあって・・・。

    いろんな印象が綾織りのように浮かび上がってくる
    秀逸な舞台でありました。




  • 満足度★★★★★

    神様と私
    神様たちや、私たち。でない、というのはしんどかろう。

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