公演情報
「風景」の観てきた!クチコミ一覧
実演鑑賞
満足度★★★★
全編茨城弁の、すごく静かな会話劇。舞台の様子もほとんど変わらないし会話もただの家族の会話なんですが引き込まれました。お父さんやお母さん、親戚のお姉さんの紗英さん?とても既視感があって、特に紗英さん、知り合いにそっくりの人がいて、脚本の方の観察力、役者さんの演技力に驚きました。ささやかだけどヒリヒリするところもあり、居心地の悪さと良さを同時に感じる不思議な舞台でした。
実演鑑賞
満足度★★★★
「病室」に続き、茨城弁で通し用松亮の出る劇団普通を堪能。坂倉奈津子が意外に良い。主人公らしい由紀がダイニングのテーブル椅子に座ってハンカチをいじる冒頭の後、坂倉・母が入って来てそのハンカチの持ち主を尋ねるのを端緒に、抑えた声量と高低の殆どない方言で攻めて来る(攻めているのかもよく判らないがどうやらそうらしい)。この最小限の抑揚で相手に伝えて来る「気を使わない」コスパ感覚が「実家」感を存分に醸す。久々に帰省した娘に対しそれが地味に炸裂。そして次に登場する用松・父。「ほら。」「それ。」と最小限の音節で、妻を諫める。実家感が横溢する。
話題にされた人物が後で登場。兄は「その通り」の人。その妻に当たるアキさんは後に登場。二人も久々の帰省で実家に宿泊予定。由紀と兄は祖父の葬儀で帰省した。
下手のその場面から、上手に照明が移れば、葬儀の日の午後。畳部屋のテーブルを囲んで親戚らが集う。兄もそこに顔を出し、由紀も一瞬出るが、この場面では父の弟に当たる叔父(喪主)とその息子、父の女姉妹の娘二人とそれぞれの夫が主役。ここでも「らしさ」が横溢。親戚はある形をとるが、彼らの父母の世代が4人兄弟(以上)で、子を残した三家庭それぞれの風景の描写が為される。自分のそれとは異なるが、あり得る形態に納得感は強まる。喪主である叔父の話が暫く続く。皆敬意を払って耳を傾けている。息子と二人暮らし、叔父は商売を始めて成功しているが、不意に跡継ぎの話題になり、叔父が「後はソウタが継ぐ事になるだろうけど」と漏らした暫~く後に「俺、継がないよ」と言うくだりもあり。周囲は「まだこれからだし」「将来のことはね」等と和やかにフォローも板について一朝一夕でない親戚感も横溢。後の場面で父息子の二人の会話がある。そして人口比では半数になる姉妹とその夫らというのが、端正で一定の収入がありそうな青年を二人して捕まえてるという風景がまた、あるあるである。鄭亜美・姉は妊娠中という事もあるが独特の「大変さ」アピールで相手を繋ぎ止めゴールした感を醸し、青柳美希・妹も親戚ら個々を慮り心配を共有する似た手法?で関係構築の風あり(作者は特にそれを皮肉るのでなく極自然に形成され得る男女の関係=風景として描いている)。そして由紀の兄妹とその父母のいる下手側の風景も、年を跨いで続く。母から「子供は作らないの」と抑揚なく地味に攻め立てられる由紀。彼女は視線をいつも客席側に向け、何かを見ているが、そこにTVがあるとも窓があるとも、特に説明はない。だが、風景は蓋然性をもって描かれて行く。
時間をおいて振り返ると、母を一つの典型とする通念とは別の何かにこだわっているらしい由紀が、風景に近いその他大勢の中にありながら主体的に生きる存在として、観客に感情移入を誘うべく芝居の中に置かれている感じもある。うっすらとであるが。
実演鑑賞
満足度★★★★
避けて通れない現実の澱のようなものが無限に込められた、まさしく「風景」劇。
祖父の葬儀に親戚が集まり、それぞれの近況などを語り合う光景が淡々と紡がれ…。劇の特徴は 全編茨城弁で、必ず相づちか同意を求めるかのような その繰り返しの ゆったりとした間(ま)と 伏し目がちに遠くを見るような表情。一見 無感情・無表情のように思えるが、話の内容は結婚・出産・子育て・跡継ぎ・老後、そして老親の面倒を誰がみるか、といった暮らしに付きまとうもの(普通の「風景」)。
必ずしも欲深い、遺産相続的なものではないが 心の奥を抉るような不気味さを感じる。喪主を父か叔父、その兄弟のどちらが務めるか。結局 親の面倒を見てきた弟の叔父が務め、遺品の整理(処分)まで行う。親戚の中には、高価なモノはいらないが、せめて思い出となる形見分けはしてほしかった と呟く。
何年後かの 墓参り。喪主を務めた叔父は、親戚が参るであろう盆の日に行かない。会う気まずさより、孤独を選ぶといった頑なさ。墓参りに行かなくても、心の中では いつも思い出している、と強がりを言う。家族・親族といっても だんだんと疎遠になっていく寂しさ。何か(大きな)出来事が起きるわけでもなく、淡々と過ぎ行く日々が…。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
実演鑑賞
満足度★★★★
なんだろ?そうでしょうよ。いいでしょうよ。
悔しくなる程の才能。演劇好きは早目にチェックしておいた方がいい。(まあ皆観てるだろう)。小説を書いても映画を撮っても賞は貰える筈。系譜としては小津安二郎なんだろうけれど、描き方が韓国映画っぽい。『ペパーミント・キャンディー』をホン・サンスが撮ったような。抑制の美学。暗転ごとに時間がかなり飛ぶ。これをやり切る力。
主演の安川まりさんが圧倒的。こんな女優がいたんだ!と驚いたが、結構『た組。』とかで観ていたようだ。彼女と母親(坂倉奈津子さん)、父親(用松〈もちまつ〉亮氏)のシーンが絶品。この遣り取りは永遠に観ていられる。
一歩間違えれば只々退屈の境界線上、断崖絶壁のギリギリの攻防を乗り切るのは役者陣の才覚のみ。
モルタル塗りされた灰色の壁が背後に無言で突っ立っている。
ある家族達が老いていく。子供を作るように親は諭す。
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2023/06/03 (土) 14:30
座席1階
会場はほぼ満席。全編茨城弁の舞台も定着してきたように思える。今作は実家のおじいちゃんが亡くなり、孫たち(実家の父母の娘と息子)が配偶者を連れて実家に戻ってきたという場面から始まる。劇団普通の真骨頂である、「これは自分の家のことを語っているのではないか」と客席が実感するごく普通のありふれたエピソードが語られる。
一番印象に残るのは、結婚5年たっても子どもをつくらない長女(実家の父母から見て)に母親が「将来二人だけでは寂しいよ」と説教?する場面だ。茨城弁は少々とげがあるというか、厳しい言い方になるらしいが、厳しい口調なのだが説教の仕方が婉曲的なのがいかにもあり得る、という現実感を漂わせる。親は言いにくいことははっきり言わないのだ。特に、自分の娘がいつまでも子どもをつくらないという親にとっては不都合な現実に、なんだかんだと理屈を付けて迫ってくる。
ただ、この長女が自らの意思でつくらないのか、不妊なのかは舞台では明らかにされない。本音で聞いてしまえばいいのに、と客席に欲求不満が募るのも、この劇団普通の会話劇の特長であるのかもしれない。
物語は祖父の葬式の日だけでなく、その後数年たった時点での家族の会話へと続いていく。はっきりとした舞台転換がないため、客席はその「何となく」という雰囲気や役者の衣装などから時間の経緯を知る。今回は舞台の後ろに大きな壁があり、これを若干斜めに動かすという演出がなされるが、この演出が何を意味しているのかも分からなかった。
さらに、長女が子どものころに経験した祖父の兄夫婦の家に連れて行かれたというエピソードも、なぜこうなのかという種明かしもないままに終わる。自分としては、これらの語り方や幕引きの仕方には少し疑問がある。欲求不満もほどほどに、といったところだろうか。
今回もお父さん役を務めた用松亮のとぼけた演技が光る。お父さんがしゃべるたびに笑いが出るというのは、これまでの作品「病室」などの演技の延長として進化を続けているあかしだと思う。