肖像 オフィーリア 公演情報 肖像 オフィーリア」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 旧・女学校の講堂を借景に、
    旧・女学校の講堂を借景に、ビジュアルにも耳心地も、とても美しいお芝居でしたよ。

    こういうのも借景というのかな? でも旧・女学校の講堂を舞台に、というのとは違うのだよなあ・・・。

    じっさいの芝居も、女学校を舞台に繰り広げるシーンが沢山あって、イメエジは折り重なってその場所に堆積していく。のだけれども、それは決して物理的な(「舞台装置」と言う意味での)場所ではなくて、もっと、イメエジとか、意味とか、歴史とかが堆積した場所<トポス>としての、女学校なんですよ。

    それを実際にかつて女学校だった場所でやる、というのが、一見すると場所に喚起されて場所に当て書きされた構成台本のようなのだけれど、場所の本来持つ強い物語性と、抽象度の高い舞台の進行・物語構成とがあいまって、だんだんとズレていく。ズラされていく。

    心地よい90分でした。

  •     
    (相対評価を避けるため★はどの公演にも付けていません)


  • というのがおもしろいとおもったんだけど
    あんまりばちばちしてない。
    村上さんがすてきでした。三橋さんlove

  • ふむ
    場所と存在と

  • 膨大な引用は、私の無教養をさらす。
    わからないのです。だから、ちょっと辛い。

    断片の会話は面白いのだけど、これは原作の力。構成し編むのが今作での作家の役割なのだけど、「作家には世界がこう見えている」ということをもっと感じたい、のだけれど。

    場所の力は確かにあります。

  • 満足度★★★★

    ど真ん中の剛速球
    これはとにかく先ず場所ありきの作品でしたね。こういうモダンな建物で女学生ものって言うのは、似合いすぎるというかそのまんまだ。そして本当にやってしまう行動力がステキだ。
    各スタッフがいい仕事してた。特に音響は素晴らしかった。「音楽が良かった」ではなくて「音響が良かった」というのはこういうことだろう。
    内容は賛否両論だろうな。更に女性には圧倒的に理解され難いだろう。と言うか大人の女性には拒否られるだろう、これ。
    以下ネタバレに。

    ネタバレBOX

    所謂男性から見た「少女」、男性が思い描く(願望としての)「少女」を大直球に見せる。身体も、台詞も。なんせ女学生だからなあ。大変素直にキャーキャー言ってる。
    絵的にもそんな感じで作られてる。真っ白な娘さんたちが講堂中を奔放に動き回る。
    そして時にギュッと身を寄せ合う。少女合唱までやる。そして普通に上手い。
    これを「まあ可愛らしい」「うふふ、楽しそうね」と受け入れるか、「こんなのはアンタ、男のロリコン願望に過ぎないんでしょ?」「キャーキャーうるさい」と受け入れないかで先ず観方ががらりと変わるだろう。
    そんで、全体的にとにかく派手な身振りで演技してる。所謂オーバーアクション的な。これに不快感を覚える人もいるかもしれないが、でもこれはわざとやってて、んじゃ「何でそんなことやってんの?」っていうと、つまりはこれが「西洋主義にかぶれた日本人」ってことなのだろうなと。
    「男性の願望としての少女」と「奇矯な西洋主義」、今となっては偏った変体趣味みたいに思われてるけど、でもそれは確かに存在していて、(男性は)誰もがどこかに隠し持っている(と私は思う)、そういう直視しがたいものを「でもやっぱそういうのってあるじゃん?」と正直に、そして大仰に、衒いもなく観る者の眼前に晒して見せると。そういう意図の下に極めて自覚的に作られた芝居だろうと。
    その辺をどこまで読み込むかでまた観方が変わるだろうね。
    『新ハムレット』の冒頭、「こんなものができてしまった、と言うほかない」を地でいってるのだなと。
    私としては、俳優に自覚的な部分が足りないからなのか、男優の演技がそれでもちょっと鼻につく部分が多かったけれども、娘さんたちは正直観ていて楽しかったです。「雨に唄えば」とかもう思わず笑っちゃうくらい。もちろん良い意味で。
    なんか微笑ましさすらある。
  • 満足度★★★★★

    これは
    今までのOrt-d.dで好きな作品ベスト3に確実に入ります。

  • 満足度★★★★★

    「肖像」であり「影」であり
    とにかく、
    素敵な空間が、素敵な舞台セットが、
    素敵な照明が、素敵な衣裳が、
    素敵な俳優陣(これ、ほんとに!)が
    素敵な演出家により素敵な芝居になっています。

    ネタバレBOX

    元からあるものの、
    「肖像」であったり「影」であったりを描いたのだと解釈しています。
    ハムレットのオフィーリアを新ハムレットのオフィーリアなど、
    対になっている光と影のような感じで表現しているのでは?
     
    当日パンフやTIFのHPにある「TIFポケットブック」などを読み、
    真の少女ではなく、
    男性というフィルターを通してみた少女像みたいなものを
    描いたのかな、と思いました。
    それによって、ある意味でフェミニズム的視点になっている気がする。 
    オフィーリア自身もハムレットやシェイクスピアのフィルターを通して、
    新ハムレットはさらに太宰治のフィルターを通したオフィーリア。
    そんなオフィーリアと近代日本の少女を重ね合わせた作品。
    な、気がする。
  • 満足度★★

    重要文化財の中でお芝居
    いつも面白い会場で公演をしてくれるOrt-d.dの新作。太宰治の『新ハムレット』は、シェイクスピアの『ハムレット』とは全然違うんですね。日本近代文学のテキストが多数使われていて、届いてくる言葉が心地良かったです。ここで描かれた少女たちの世界が、私には少々受け入れづらかったかな。

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