わが友ヒットラー 公演情報 わが友ヒットラー」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.4
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★

    意外と
    これまで観てきたナチ絡みの芝居や映画を思い出しながら観てしまいました。印象としてはヒトラーが軽いというか、お友達感覚というか、2幕までの印象がそのままで、3幕での非情さが浮き上がってこなかったのが残念ですが、それも演出のうちだったのでしょうか?2幕では、あらためて若松さん、下総さんの魅力に浸れたので満足です。

  • 満足度★★★

    浅野さんがいい!
    レームとシュトラッサー、あまり耳馴染みのない名前だと思ったら、まだヒットラーが、完全に権力を手中に治める以前の話だったのですね。

    自分の勉強不足のせいで、そのあたりの関係性がイマひとつ掴めなかったため、1幕はやや退屈でしたが、2幕の丁々発止のやり取りは、大変興味深く観ることができ、結果的に、それ程、長かったという印象はありませんでした。

    浅野さんは、いつもながら、その役をしっかり生きて舞台上にいらっしゃいましたが、ヒットラー役の役者さんの演技は、あれで良かったのかと、やや疑問を感じました。

    「サド公爵夫人」と対を成す作品として、三島は書いたそうで、確かに、構成的には非常に似通っていましたが、私としては、「サド~」の方が、スリリングで、好きな作品でした。どちらも、1幕は冗長ですが、2幕になると、面白くなる点も似ていました。

    ネタバレBOX

    最初のシーンは、ヒットラーも、レームも、シュトラッサーも、後ろ姿で、舞台奥に向かって、演説している演出ですが、この時の、ヒットラーの演説にかなり疑問を感じました。もちろん、彼が全権を掌握する前の演説ですから、我々が知っている演説程、人心を惹きつける喋り方ではなかったのかもしれませんが、それにしても、口調が間延びし過ぎて、何だかヒットラーと言うより、昭和天皇のようでした。
    また、途中から、クルップに呼ばれて、レームとシュトラッサーとの、それぞれの2人芝居になる部分、相変わらず、ヒットラーは後ろ姿のまま演説を続けますが、この後ろ姿に、ヒットラーらしさが皆無なのも気になりました。

    それにしても、三島の台詞劇の膨大さと言ったら、これはもう物凄い量の台詞で、これを淀みなく喋るだけでも、この出演者には敬意を表したくなります。

    所々に、胸に沁みる台詞もたくさんあり、さすが、三島作品という、満足感はありましたが、1幕が終わり、休憩案内が聞こえた途端、客席から、一様に「フウー」というため息の合唱が起こった時には受けました。
    演じる方も、観る方も、相当根気はいる芝居でした。
  • 満足度★★★

    もう少し演出を。
    原作を読んでいませんので、どの程度アレンジされているかは
    分かりませんけれど、
    あのセリフの量を見ると、ほぼ原作に忠実に演じたというところでしょうか。
    それ自体良かった選択なのかは少し疑問。

    スズナリで休憩有りものを観ることになるとは思いませんでした。

    終盤の進め方を観ると、冗長な個所が多々あるように思います。

    思想・哲学的な個所を振りかざし、見せるのはそれはそれで良いですけど
    その対比として人間が書き表せられれば良いんですが
    今回はそこが甘い気がします。


    ネタバレBOX

    スズナリへ行く前にコンビニに立ち寄り
    雑誌を読んでましたが
    その中で野田秀樹が
    今やっているNODAMAPのテーマについて
    「感じる、考える、信じる」のうち「考える」が
    欠落しちゃっている、、的なことが書いてありましたけど
    今回のもそれに該当するなぁ、、
    などと思いつつ観てました。
  • 満足度★★★★

    4人の役者による、濃厚な時間
    三島由紀夫の原作通りに上演されていたようだ。
    やや時代がかった台詞ながら、この原作が面白い。

    休憩10分を含め、2時間30分の上演時間だが、それは長くない。
    4人の俳優が、聞かせるし見せるのだ。

    舞台の中だけでも、登場人物の関係と立場はわかるのだが、ネタバレ(つまり話のあらすじ)を厭わず、このあたりの時代について、あまり事実関係を知らないのであれば、「エルンスト・レーム 」(人物名)や「長いナイフの夜」などのキーワードで検索して、関係を頭に入れておくのもいいかもしれない。
    もちろん、まっさらで舞台に望みたい方は、当日パンフのキャスト表にあるそれぞれの簡単な説明を読めば十分だと思う。

    ネタバレBOX

    ヒットラーが政権を完全に掌握するきっかけ(条件)となった、突撃隊等の粛正、いわゆる「長いナイフの夜」をめぐる舞台。

    まるで夢見る詩人のように、軍人と軍隊を熱く語るレームとヒットラーは、今までナチスを大きくするまで一緒に戦ってきた友人なのだが、さらにそれを大きくするには、友人であるレームの存在が邪魔になってきた。
    同様に、党内左派のシュトラッサーも、現在は隠棲状態にあるのだが、ヒットラーにとって邪魔な存在になっていた。

    自分のために、それまで一緒にいた仲間を粛正するということで、ヒットラーはより大きくなっていった。レームたちの役割は終わったということだ。
    そして、クルップ(と軍)は、それを望んでいたのだ。

    それは、ヒットラーの分別が感情を上回った瞬間なのかもしれない。つまり、ヒットラーが人間(性)を失っていく分岐点だったとも言えないだろうか。

    友人レームを粛正するときの苦悩があり、翌日も酷い顔をしていたヒットラーには、迷いながらもその瞬間までは、人の心があったのだが、自らの銃声の音にそれを裁ち切り、さらにラストの台詞で、より正当化していく。

    集団が大きくなるとき(例えば、企業などが)には、そうした苦悩の選択が必要だと言うこともある。昔の仲間を切り、集団をより大きくしていくという決断だ。
    しかし、それは、実は、自らを孤立させる方向に向けることになってしまうのだ。
    結局、粛正を恐れ、イエスマンだけに取り囲まれ、良くない情報は一切耳に入らず、集団の行く末を危うくしてしまう。レームのように語り合える友もいなくなってしまう。
    まさに、ヒットラーがそうだったように。

    つまり、このときのヒットラーの選択は、党を大きくし、政権を取るというスタートではなく、自らと自らの党の崩壊のスタートだったと言えるだろう。

    人間としてのヒットラーではなく、機能としてのヒットラーにクルップも軍も期待し、この後、一蓮托生の道を歩むことになるのだ。

    レーム、シュトラッサー、クルップという、ヒットラーの周囲にありながら、それぞれの立場が異なる人物たちが、ヒットラーや他の人との微妙なバランスや距離感を感じつつ、自分の立場を明らかにしていくという原作が良く、俳優たちは、その微妙なニュアンスをも的確に見せてくれたと思う。

    うまい俳優が4人で、濃厚な時間を創り上げる。
    膨大で、過剰な台詞を、熱くやり取りする様が心地よい。
    2時間30分の上映時間も長く感じなかったのだ。

    幕切れもいい、そのときのヒットラーの台詞も効いている。

    レームを演じた浅野雅博さんが印象に残る。ヒットラーを信じ、友情を大切にし、古くさいロマンチストで、過去を語る。友誼や無骨さといった前時代の遺物のような軍人がよく出ていたと思う。
    若松武史さんも、独特の雰囲気を漂わせ、老獪というより、まだ脂ぎっているクルップを演じていた。

    ただし、いくつか気になったことがある。

    まず、ヒットラー役の笠木誠さんの独特の台詞回しだ。まんとなくまどろっこしいその台詞回しは、確かに印象には残るのだが、慣れるのに少々時間がかかった。また、一部イントネーションが危ういところがあったのも気になったところだ。

    また、2幕の冒頭にクルップが軽快でコミカルに登場するのだが、あれはやり過ぎではなかろうか。私の目には、演出としては、悪ふざけと映った。場内には笑い声が起こっていたが、そんなことで笑いをとってどうするんだ、と思う。ほんのちょっとだけ軽快でよかったのではないだろうか。

    さらに、1幕でヒットラーが演説しているときに(後ろ姿)、舞台の前で、別の登場人物たちのやり取りがあるのだが、そのときにヒットラーは演説をしているのだから、声は聞こえなくても、身振りぐらいは必要だっただのではないだろうか。それによって、例えば、歓声が上がり、前の2人のやり取りが妨げられるぐらいの感じがあってもよかったように思える(歓声云々について戯曲にはそういう指示はないが)。
  • 満足度★★★

    2時間30分の男4人芝居
    『サド侯爵夫人』(女6人芝居)と対になる三島由紀夫戯曲。観たかった作品なので上演してくださって嬉しいです。レーム(浅野雅博)とシュトラッサー(下総源太朗)が語り合う第2幕がすごく良かったです。

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