わが友ヒットラー 公演情報 Project Natter「わが友ヒットラー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    4人の役者による、濃厚な時間
    三島由紀夫の原作通りに上演されていたようだ。
    やや時代がかった台詞ながら、この原作が面白い。

    休憩10分を含め、2時間30分の上演時間だが、それは長くない。
    4人の俳優が、聞かせるし見せるのだ。

    舞台の中だけでも、登場人物の関係と立場はわかるのだが、ネタバレ(つまり話のあらすじ)を厭わず、このあたりの時代について、あまり事実関係を知らないのであれば、「エルンスト・レーム 」(人物名)や「長いナイフの夜」などのキーワードで検索して、関係を頭に入れておくのもいいかもしれない。
    もちろん、まっさらで舞台に望みたい方は、当日パンフのキャスト表にあるそれぞれの簡単な説明を読めば十分だと思う。

    ネタバレBOX

    ヒットラーが政権を完全に掌握するきっかけ(条件)となった、突撃隊等の粛正、いわゆる「長いナイフの夜」をめぐる舞台。

    まるで夢見る詩人のように、軍人と軍隊を熱く語るレームとヒットラーは、今までナチスを大きくするまで一緒に戦ってきた友人なのだが、さらにそれを大きくするには、友人であるレームの存在が邪魔になってきた。
    同様に、党内左派のシュトラッサーも、現在は隠棲状態にあるのだが、ヒットラーにとって邪魔な存在になっていた。

    自分のために、それまで一緒にいた仲間を粛正するということで、ヒットラーはより大きくなっていった。レームたちの役割は終わったということだ。
    そして、クルップ(と軍)は、それを望んでいたのだ。

    それは、ヒットラーの分別が感情を上回った瞬間なのかもしれない。つまり、ヒットラーが人間(性)を失っていく分岐点だったとも言えないだろうか。

    友人レームを粛正するときの苦悩があり、翌日も酷い顔をしていたヒットラーには、迷いながらもその瞬間までは、人の心があったのだが、自らの銃声の音にそれを裁ち切り、さらにラストの台詞で、より正当化していく。

    集団が大きくなるとき(例えば、企業などが)には、そうした苦悩の選択が必要だと言うこともある。昔の仲間を切り、集団をより大きくしていくという決断だ。
    しかし、それは、実は、自らを孤立させる方向に向けることになってしまうのだ。
    結局、粛正を恐れ、イエスマンだけに取り囲まれ、良くない情報は一切耳に入らず、集団の行く末を危うくしてしまう。レームのように語り合える友もいなくなってしまう。
    まさに、ヒットラーがそうだったように。

    つまり、このときのヒットラーの選択は、党を大きくし、政権を取るというスタートではなく、自らと自らの党の崩壊のスタートだったと言えるだろう。

    人間としてのヒットラーではなく、機能としてのヒットラーにクルップも軍も期待し、この後、一蓮托生の道を歩むことになるのだ。

    レーム、シュトラッサー、クルップという、ヒットラーの周囲にありながら、それぞれの立場が異なる人物たちが、ヒットラーや他の人との微妙なバランスや距離感を感じつつ、自分の立場を明らかにしていくという原作が良く、俳優たちは、その微妙なニュアンスをも的確に見せてくれたと思う。

    うまい俳優が4人で、濃厚な時間を創り上げる。
    膨大で、過剰な台詞を、熱くやり取りする様が心地よい。
    2時間30分の上映時間も長く感じなかったのだ。

    幕切れもいい、そのときのヒットラーの台詞も効いている。

    レームを演じた浅野雅博さんが印象に残る。ヒットラーを信じ、友情を大切にし、古くさいロマンチストで、過去を語る。友誼や無骨さといった前時代の遺物のような軍人がよく出ていたと思う。
    若松武史さんも、独特の雰囲気を漂わせ、老獪というより、まだ脂ぎっているクルップを演じていた。

    ただし、いくつか気になったことがある。

    まず、ヒットラー役の笠木誠さんの独特の台詞回しだ。まんとなくまどろっこしいその台詞回しは、確かに印象には残るのだが、慣れるのに少々時間がかかった。また、一部イントネーションが危ういところがあったのも気になったところだ。

    また、2幕の冒頭にクルップが軽快でコミカルに登場するのだが、あれはやり過ぎではなかろうか。私の目には、演出としては、悪ふざけと映った。場内には笑い声が起こっていたが、そんなことで笑いをとってどうするんだ、と思う。ほんのちょっとだけ軽快でよかったのではないだろうか。

    さらに、1幕でヒットラーが演説しているときに(後ろ姿)、舞台の前で、別の登場人物たちのやり取りがあるのだが、そのときにヒットラーは演説をしているのだから、声は聞こえなくても、身振りぐらいは必要だっただのではないだろうか。それによって、例えば、歓声が上がり、前の2人のやり取りが妨げられるぐらいの感じがあってもよかったように思える(歓声云々について戯曲にはそういう指示はないが)。

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    2010/07/17 06:21

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