フツーの生活 公演情報 フツーの生活」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★

    戦争いついて考える最初入り口
    戦争モノはなかなか扱いにくいし、中途半端な覚悟で
    触れてはいけない題材なんだなあって思いました・・・。
    ソフトな感じなので戦争について考える「入り口」と考えれば
    入りやすかったです。若い世代とかは、見たほうがいいかも
    このシリーズ、と思いましt。

  • 満足度

    「限界」に酔っている
    内容が浅いというのは私も感じましたが、それ以上に「限界」を演じることに酔っていて、冷静な視点を持ちえていないことが気になりました。果たして悲惨さを悲惨に演じることが表現でしょうか? 観る人に強い印象を与えるために手法を選び、計算をする必要があるかと思います。
    このことは例えば「笑い」一つとっても感じました。いったい何のための笑いなのか(皮肉なのか、批判なのか)が分からない場面がいくつかありました。
    また「東京から疎開してきた女性」、「千葉の漁師だった脱走兵」など、作品世界を膨らませる可能性がある設定がほとんど生かされていないことも残念でした。
    そしてラストですが、全員が生き残る話にすべきでは? と思いました。そうでないと何と比べて「フツーの生活」なのかが分かりません。生き残った人間が当時の生活を振り返るという構成にしたほうが、普通の人々の普通の営みに着目した意味も際立ったのではないでしょうか?

  • 満足度★★★★

    沖縄戦慰霊の日に観劇
    6月23日、千秋楽、沖縄戦慰霊の日に観劇した。劇団主宰の44北川さんはわざわざこの日を千秋楽に選んだそうです。芝居が終わり、44北川さんのとても控えめで感じの良い挨拶があり、全員で黙祷しました。
    今回、沖縄からもご高齢の戦争体験者が観劇に来られていて「いい芝居でしたよ」と涙を流しながら舞台に合掌して会場を後にされたのが印象的でした。本作を観て感動した沖縄のかたもおられたのは救いでした。感想は十人十色だと思います。
    「フツーの生活」というタイトルの字面が戦争物にしては軽すぎる印象で、観る前にほかのかたのレビューを読むとかなりの酷評に愕然とし、とても不安になりました。
    私は商業演劇の企画がどのように立てられるのかは知りませんが、本シリーズは初演ではなく再演ですし、安易に新国立の企画をまねたとも思えません。当日パンフレットを読む限り、作・演出の中島さんは現地で取材もなさったそうですし、作品に対する誠実さはじゅうぶん伝わってきました。
    「ガマ」を取材し、「取材でガマの中に入ろうが、本を何冊読もうが現実との間にはきっと随分差があって、ガマと一口に言ってるけれど、それぞれのガマにそれぞれの現実があって、また人間一人一人の現実だって違うだろうし・・・。」とあり、「この物語は体験者でもなく、沖縄生まれでもない人間が、触れにくく語りにくい物語だと思います。それでもあえて、今回この物語に関わろうと思いました。これから続いていく未来のために・・・。」という一文は鉛のように私の胸に重く沈み、部外者の傲慢な姿勢は微塵も感じられません。作・演出家も戦時中の沖縄を描くことに戸惑いや苦悩を抱えながら、作品に取り組んだのでしょう。出演者の一人である兵士役の佐藤正和さんも、ご自身のブログで、出演俳優たちと沖縄のガマを見学したことに触れ、「沖縄に行って、戦場になった場所をまわって、話を聞きました。知らなかったことに、罪悪感にも似た気持ちになりました。自分は役者なので、なんとか舞台で表現して、同じように知らない人たちにも伝えたいと思うようになりました。創作表現だから、観る人によって色んな感想を持たれるのは当然だと思います。で、自分の拙い芝居でどんな風に伝えられるのか…(中略)暗い暗いガマの中のお話ですが、彼らの笑顔を想像してもらえるような芝居になっていればいいのだけど。今回、それだけを考えて作りました」と綴っています。初演のときより今回、再演のほうが気が重かったと、作者、出演者、異口同音に語っているのが印象的で、彼らなりに作品への責任感は強く感じているようです。
    「何があっても生き延びよう」というのが北川さんのメッセージだそうで、それはしっかりと伝わりました。いまだ基地問題が解決せず、琉球の時代からの蹂躙の歴史を思えば、本土の人間としては沖縄に対して拭いようのないうしろめたさを抱えているわけですが、日本とアメリカが戦争した事実も知らないと答える子供がいる時代、たとえステレオタイプの描き方であっても、このような作品が上演されることは十分意義があると私は思いました。

    ネタバレBOX

    冒頭。戦争を生き延びた一人の男の思い出の中で65年前、ガマの入り口が戦火に染まる。作品取材でガマを訪れた際、「こんなところで死にたくないですね」と中島さんが言うと、当時赤ん坊だったと言うガマの現地案内人が「無念だったでしょうね」と答え、「ガマの暗闇から、沖縄の強烈な太陽の下に出ると、そのあまりの変化に頭がクラクラとするのでした」と中島さんは書いている。この一文は終演後に読んだが、夏草の茂るガマの入り口の明るさがとても伝わってくる舞台装置だった。
    「ここにいるのはみんな家族」という台詞があるが、強調するまでもなく、事実、東京から県庁職員の知花(大沢健)との見合いを兼ね、父について来て戦況悪化で帰れなくなった君子(高畑こと美)を除いては血縁関係が集まっており、「フツーの生活」を描こうとしたのはわかるが、人物関係の描き方が通りいっぺんなのには不満が残る。時系列的に戦況悪化の雰囲気は伝わるものの、芝居としての盛り上がりに欠けるのは事実だ。
    国民学校教師で軍国教育に没頭したスエ(福島まり子)が、終盤、過酷な戦況に自身の生き方に後悔の念を語るのが傷ましい。軍国少年で警防団員として張り切る進助(恩田隆一)のような子が本土ばかりでなく沖縄にもたくさんいたことだろう。かつて自分もこの進助世代の子供にあたる沖縄県人と本土復帰直後に共に仕事をしたことがあるが、「本土の情報には嘘が多くて信用できない。戦争中まちがった情報を与えられてみんな死んだから特に新聞は読まないことにしている」と言われたことがある。その人は、職場の規律も「親父の時代がそうだった。規則なんてクルクル変わるもの。バカ正直に守る必要がない」と言って何でも無視するため、職場で孤立してしまい、戦争時の傷跡が子供の世代にまで影を落としていることに私は複雑な思いになったことがある。進助の頑なな態度は、立場は違うがどこか彼を思わせた。
    けがを負って郷里に戻ってきた元軍人の年男(44北川)が、本隊にはぐれた傷病兵(塚原大助)と地元兵の部下(佐藤正和)がガマに逃げ込んでくると、次第に彼ら以上にナーバスになって、赤ん坊の泣き声にいらだったり、乱暴な態度になるところが現役兵への負い目の反動なのか、軍人時代のフラッシュバックなのか観ていてすんなり理解できなかった。
    長老格の栄助(新納敏正)と娘のツキ(藤川恵梨)がいかにも沖縄人らしい雰囲気を醸し出していた。高畑こと美は顔はあまりお母さん(高畑淳子)に似ていないと思うが、ふとした台詞の言い方が似ていて、若いのにしっかりした芝居をするので印象に残った。
    パンフレットにある「沖縄の人的損害」欄の「戦闘協力者55,246人」の中に、このガマの人たちも入れられてしまったのだろうか。そう思うとやりきれない。ガマへの攻撃により、一瞬にしてかりそめの「フツーの生活」は終焉し、進助だけが生き残る。その進助の眼前に、降伏勧告ビラを思わせる紙吹雪の舞う中で踊る人々の「フツーの姿」の幻影が現れる。あまりに切ない。
  • ため息をつく
    非常に不愉快な作品であった。
    浅知恵の脚本、精神的にも知的にも未熟な俳優達。
    情報は多く、けれど、消化されていかない物語は、垂れ流された自己満足の世界に観客を閉じ込めた。
    こうすれば泣かせられる、センソウモノノツボハココ、そんな小手先が匂った。

    沖縄という問題に対し、戦争という問題に対し、それがどれほど繊細なテーマであるか。
    それを伝えるだけの覚悟があるのか、強い信念があるのか。
    今一度問いたい。

  • 満足度★★★

    「沖縄戦」のフツーの生活
    いろんなものが盛り込まれていた。
    それには意義もあろうが、やや単調となったことも否めない。

    ネタバレBOX

    「沖縄戦」と聞いて、即座に頭に浮かぶことがいくつかある。ガマ(洞窟)、沖縄住民と日本兵の関係、現地召集兵、米軍の対応、太平洋戦争における沖縄戦の位置付け、ガマ内での対立(赤ちゃんの泣き声)、ガマへの馬乗り攻撃、脱走兵、女子や少年の挺身隊、野戦病院と傷病兵の扱い、日本軍の転進、沖縄の方言とスパイ、などなど。
    この舞台は、それをすべて盛り込んだと言ってもよいだろう。

    それに、当時の教育や大陸での日本兵の様子、さらに天皇陛下のことなどもプラスされていた。

    とにかく盛りだくさんである。しかし、いずれもが紋切り型である。「沖縄戦」と聞いたときからの、想像の範囲内と言ってもいいだろう。

    劇中に「この出来事を後生に伝える」という意味の台詞があったが、沖縄戦を知らない若者には、それは一体どういう戦場だったのかを知るための1つの手かがりにはなる、という意味では、その存在意義はあったと思う。

    そうでない観客にとっては、今1歩新鮮味に欠けてしまったように思える。

    しかし、沖縄戦のことは、本や映画などでしか知らない私だが、舞台上で行われていることから触発されて、沖縄戦で起こったいろいろな出来事(あくまでも本や映画の中だけの内容だが)などを思い起こしてしまい、目頭が熱くなるシーンがいくつかあった。
    それは、それを期待してつくられたシーンではなかったと思うのだが。

    舞台は、ガマ(洞窟)の中で行われるので、ほぼ薄暗い中で行われていた。
    沖縄の歌が随所で使われていて、そこだけに明るさがあった。

    新納敏正さん演じるおしいさんが特に印象に残った。
    44北川さんが演じる元兵隊は、自分の家族に対して、あんなにヒステリックになるのかな、というのが大きな疑問だった。ただ、沖縄戦・ガマ・赤ちゃんという図式の中で、日本兵だけを悪く描かないところに、ポイントがあったのかもしれないが、それにしても、である。

    せっかく冒頭に「みんな家族のようなものだ」という台詞があるのだから、それを受けて、沖縄の優しい家族の姿を見せてほしかったと思う。内地からやって来た人たち(女性と軍曹)もそれに触れて・・というストーリーにしたならば、もう少し物語が広がり、心を打ったのではないかと思うのだ。

    また、タイトルにある「フツーの生活」に、こだわった台詞がいくつかあったのだが、そこはもうひとつ大きな何かを与えてはくれなかった。

    「国民は天皇陛下の子どもなんだから、親が子どもを・・云々」という台詞が後半、少し強い口調で、やや唐突に出てくる。なんとなくどこかで聞いたことあるような台詞だったし、「陛下が謝ってくださる」という台詞は、その意味と内容は違うものの、先日、井上ひさしさんの『夢の痂』を観たばかりなので、少し気になった。

    今回の『フツーの生活』は、「戦中戦後三部作」ということなのだが、残る「宮崎編」「長崎編」も想定の範囲内なのだろうか、ちょっと気になる。
  • 沖縄の方の目には触れさせたくない舞台
    これは、正真正銘、ただの普通のシバイに過ぎませんでした。
    脚本、音響、セット、演技、全てが、芝居そのものでした。(虚構に過ぎないという意味です)
    私の子供の頃、外国映画で描かれた、日本紛いの日本のような、戦時中の沖縄の描き方に唖然、慄然!!若い小劇場作品かと、目を疑いました。

    生半可な知識しかない脚本家が、先人の名作家が書いた珠玉の台詞を、アレンジしてランダムに繋ぎ合わせ、まことしやかに舞台に乗せた、そんな浅薄な芝居としか、私の目には映りませんでした。
    途中退場された男性がいましたが、私と同じ思いで、居た堪れなかったのではないかと、思いました。
    ただ、知らずに芝居を観に行っただけの私でさえ、沖縄の方々に後ろめたさを感じてしまう、そんな絵空事の空疎な芝居でした。
    これは、沖縄の抱えている重い歴史に対する冒涜とさえ、私には感じられました。

    当パンを読むと、これは劇場側から持ち出された企画で、プロデューサーも作者も、ただの頼まれ仕事だった模様。製作側の、必然から生まれた公演でない、間に合わせ舞台なら、さもありなんと納得できる凡作。
    「フツーの生活」という、この題名、戦時中の普通の生活を描くのではなく、どうやら、普通の生活をしている、現代製作陣が、戦時中の沖縄の実情なんて、度外視して、普通に作った、シ・バ・イでした。

    今年、観劇したことを後悔した、最初の舞台となりました。

    ネタバレBOX

    具体的な例を論って、難癖つける意欲さえなく、すごい虚脱感ですが、一言だけ。

    隠れているガマ(沖縄にある、自然の洞窟)で、敵兵にみつからないように、赤ちゃんの鳴き声に文句をつける人物の罵声が、その赤ちゃんの鳴き声より、100倍ぐらい大きい。
    方言を使うと非難されると忠告する人物が、平気で、「ステージ」なんて、言葉を吐く。
    ナレーションと、あまりにも矛盾する、劇世界の構築…。一事が万事。呆れてしまいました。そんな浅い脚本と演出だから、役者さんの熱演は空しく空回りするばかり。

    紀伊国屋さん、新国の、井上、東京裁判三部作の向こうを張ったつもりでしょうか?
    紀伊国屋には、身の丈に合った作品上演を切望してやみません。
  • 満足度★★★★

    真っ向勝負
    予備知識なく初見。中島さんの作品は何度か拝見していましたが、こんなにも骨太な作品は初めてでした。“沖縄”について、多少は本やテレビで知る機会はありましたが、戦争の実際を舞台で観たのは初めてな気がします。福島さんの役が国民学校の先生で、主人公の少年を軍国少年に育ててしまった苦悩がひしひしと伝わってくる、名演でした。

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