どこまでもゆける 公演情報 どこまでもゆける」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.1
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★

    やっぱ貯蓄の無い人は働くんだな!
    巨大セミとか巨大ミミズとは言いませんが、環境が何も変わっていないので地球滅亡を前提とした話と言われてもピンと来ませんでした。

    ネタバレBOX

    ブラックホールに吸い込まれて地球が滅亡するらしいです。

    私も50億年後に太陽が膨張して地球が滅亡することを心配していますが、しかし、その数十億年も前から太陽からの熱量が変化して異常すぎる異常気象に見舞われて、既に人間の住めない環境になっているはずです。

    小惑星が衝突するのなら理解できますが、ブラックホールであれば6年後に突然地球が滅亡するという設定は理解できませんでした。

    宇宙ヒーローも人間相手には強いですが、ブラックホールには対処できず、故郷の星へ帰るのでしょうか。

    演技面では…、漫画家の反応がやけに大袈裟でした。また細かいことですが、お茶の入った湯呑み茶碗に酒を注ごうとしていました。お茶を捨てるという動作がありませんでした。

    新興宗教勧誘者に他力本願という言葉を浴びせかけていましたが、正しい意味を知った上で使用したのでしょうか?気になりました。
  • 満足度★★★

    優しく物静かなタッチは心地好いが…
    女性作家二人による連作短篇3話。
    SPIRAL MOONに通ずる優しく物静かなタッチは心地好いが、その半面アクセントに欠ける感無きにしもあらず。
    また、2〜3年の猶予があることからか終末を迎える緊張感のようなものが感じられず、だったら敢えて謳わなくてもイイじゃん、的な?(笑)
    さらに二重の入れ子構造なの?な部分も中途半端か?
    一方、『ブラック・コメディ』冒頭ばりの暗闇シーンや写真撮影のストップ・モーションは○。

  • 満足度

    疲れた
    でだしから高校の演劇部員が必死に・・・・みたいな印象が強かった。

    出演者、あるいは作・演出側は満足しているかもしれないが、見ている側はちょっと疲れてしまった。
    3部めはなんとか観られましたが、全体に力が入りすぎ、かな。

    ま、好みの問題なので、否定する気はありません。

  • 満足度

    消化不良・・・
    中途半端な感じと、段取りでの台詞・・・つらかったな〜。

  • 満足度★★

    世界の定義が不鮮明。
    世界が終わるまでの1年間を、オムニバス形式で描くお話。
    終わりが決められた中でどう生きるか。ということは人間誰しもがいつか死ぬ存在である以上、逃れられない事実ですからこれを作品テーマとして選ばれたことは非常に興味深いですし、素晴らしいとおもいます。
    ただ、個人的には春・夏・秋・冬、それぞれの季節をまんべんなく一話づつ描いていかれる方が季節を巡る度に気持ちも変化していくと言いますか、その方が幾分かナチュラルだったような気がします。
    それでも舞台からは、木漏れ日のような暖かさや、柔らかな気配を感じ取れました。今度は長編に挑戦されてみては如何でしょうか。

    ネタバレBOX

    世界が終わると知らされたひとたちの1年を巡る話。

    第一話はふたりのマンガ家と、マンガ家のアパートにいつからか住み着いたゴミ箱のなかに入っているゴミ女と名乗る女性、ランドセルを背負っている小学生みたいな男の子、出版社の編集者が、マンガ家のなかで交されるとりとめのない会話劇。

    その中で、ふたりのマンガ家が『世界が終わる話』を雑誌に連載していたらそれが現実のモノとなってしまったエピソードや、小学生みたいな男の子が、希望を探して旅をしているエピソード、宇宙人がコンペイトウで出来ているエピソード、黒いランドセルを背負っている集団が暴動を起こしているらしいニュースなどが舞台の情報として、提示されるのだが、これらのエピソードが何となく楽しい感じのままで終わってしまってまい、話が広がらなかった印象を持ってしまった。第一話では、会話の終わりを意味していたのだろうか。

    だとすると第二話で提示されていたのは、恋人関係の終わりだったような気がする。吉野家の牛丼がどうとか、アイスクリームがどうとか、花嫁衣装に着替えたりとか、それが世界の終わり=この世の終わりとどう関わりがあるのかはわかりかねるのだが…。

    第三話では、かもめという名の飲んだくれ、かもめの娘の幸子、幸子のトモダチのヨウ、がうららかな春の日差しが降り注ぐ公園でお花見をしているところへエテルネル聖子という、イカサマ聖職者がルミエール様とかいう人間離れしたカエルが著者らしい啓発本を売りつけようとやってくる。
    すると今度は、ヨウと音信不通の父に息子を助けてもらったという綾と名乗る女性が、本当にとりとめもなくやってきて、息子が助けてもらった経緯をつらつらと語るのだけれども、どうして綾と名乗る女性が、ヨウの居場所(しかも公園)を知っているのか、かなり謎。
    この謎めいている感が笑いどころなのかもしれないけれども、
    ちょっと意味がわからなさすぎてしまったてらいがあるように思われた。
    三話目で提示されていたことは、人間的に終わってる、ってことだったのかなぁ。うーん、やっぱり謎だ。笑

    こうして振り返ってみると全体的に、世界が終わるという響きで世界を構築してしまったような気がしてしまう。きっと、この話に出てくるひとたちが、世界が終わることを肯定してしまっていたからなのかも。誰かひとりくらい、世界を終わらせないようにがんばるひとがいてもいいような気がした。それこそ、ヨウのお父さんとかね。でもラストのシーン、みんなが冬眠に入る場面はステキでした。あの場面を紡ぎ出すために断片的な台詞を全体にちりばめて、詩的なモノローグや、音、光、佇むというミニマルな動きに特化した上演作品をつくられたら、独特の繊細さが滲みでるようにおもいました。
  • 満足度★★

    楽しいのは?
    よくいえば、静かな
    悪く言えば、単調な作品でした。

    きっと役者さんたちは、仲が良いのだろうなと、観ていて思いました。
    誰が楽しむ為の公演なのかと、素直に疑問に思いましたね。

    私には、合いませんでした。

  • 満足度★★★

    情感を紡ぐ芝居が心地良い
    オムニバス形式の3部構成の舞台。
    最初の場面では、素人っぽい演技の方が多く、付いて行けるか心配でしたが、3部まで観たら、結果オーライ。
    かえって、その素人っぽさが、この芝居向きなのかもしれないと思えました。
    どこにでもいる普通の人間生活の日常が、胸にスーっと染み渡ったラストシーンは、演技過剰な役者さん達では、紡ぎ得ない世界でした。
    昔、私が子供達に読み聞かせた絵本の世界のような情感劇。
    最後のシーンはスーラの点描画のようでした。
    よく外国語映画賞の対象になるようなドキュメンタリータッチの映画では、撮影場所でオーディションで選ばれた素人さんがよく新人賞を受賞してしまったりすることがありますが、この舞台の役者さん達にも、そんな不思議な自然の魅力がありました。

    ネタバレBOX

    3部構成の1場は尾崎さんの作演、2場は森谷さん、そして3場は、お2人の共作のようでした。
    3つの話は、独立形態を取りながら、関連づいていて、もたついた1場、2場より、圧倒的に3場が秀逸でした。
    3場の、ハラハラと時折舞い散る青い葉っぱの美しかったこと!
    粗筋で語れるタイプの芝居ではありませんが、どこか情感に伝わる、素敵なエンディングで、人間は、浅く広く誰かと関わりながら、また後世の人間にバトンを渡して、連関しながら、一生を終えるのだなあと感じられる、何だか、現代版「徒然草」や「方丈記」風の趣ある舞台でした。

    ただ、見せ方では、やや疑問も感じました。1場の、テレビの報道番組場面は、後方の枠を使って見せた方が白けなかったのではと思いました。
    でもでも、これ、旗揚げ公演の初日だということを想起すると、感嘆物です。
    だって、誰も噛んだりしなかったもの。(お知り合いが、4人も御出演で、どうしても好意的になってしまいますが、でも、旗揚げでここまでできる劇団なんて、そうそうないですよね。)
  • 満足度★★

    苦しい
    終末に向けてのたんたんとした感じなのだろうか、なにかわかりかねました。

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