演劇機関説・空の篇 公演情報 演劇機関説・空の篇」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
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  • 満足度★★★★★

    今回もヤられた、感服!
    まずは入場時、入口で料金を払って奥のスペースに入る時に黒い幕があり、ここに来るのが半年ぶりだったこともあって「どっちだっけ?」などと惑わされてから(笑)入場し呆気にとられる。
    まるで耳なし芳一の身体の如く、10cm角くらいの大きさの文字で文章(高木主宰による劇団論的なもの)が綴られた白い布によって壁・天井のみならず床まで(!)覆われている…。ある意味桟敷童子と同系統の趣向ながら、意外性もあってアチラを上回ったかも?
    で、いつもの鈴木邦男氏が大阪での仕事により間に合わないとのことで、見沢知廉のドキュメント映画を撮影中の大浦信行監督を迎えてのプレ・パフォーマンス・トークに続く本編は、新型零戦を開発している整備士や航空隊員・隊長の物語…ではありながら敗戦色濃い第二次大戦末期には見えず、パラレルワールドの未来の日本のようにも見え、『スカイ・クロラ』(未見だが(爆))的世界のようにも見え、しかしそんな時代的考察はほとんど意味をなさず。
    なぜなら表面的にはそうであってもそれは暗喩・隠喩であるから。
    そしてその暗喩・隠喩は「マグロとパソコンを置き換える」なんてヤワなものではなく(笑)観る側の解釈の余地が非常に大きくて十人十色どころか百人百様の受け止め方がありそうだから。
    その余地の大きさにより観ながらあれこれ考えていると頭脳がオーバーフローしそうになるので、途中からは敢えて読もうとせず「考えずに感じるまま」観ていたくらいで。
    これがまた、ボーマン船長が光のあふれる中に飛び込んだ如く、感覚に直接シャワーを浴びているようで心地好い。
    そうして迎えるラストは劇中での役を脱ぎ捨てた出演者自身にもつながって行き、劇団再生としての劇団論的なもので締めくくるワケで、このテーマも好きな身としてトドメをさされる。(笑)
    いやぁ、今回もヤられたなぁ、感服!
    さらに終演後は遅れて到着した鈴木氏を迎えてのボーナストラック的なアフタートーク(約25分)もあって、おトク感満載。

  • 満足度★★★★

    演劇的な死生観。
    トークショーと演劇的な死生をモチーフにした芝居の二部構成。
    第一部のトークショーでは芸術家が表現すること、演じること、独自性とは何か。その核心に迫るもので、つづいて第二部の演劇では、肉体から発せられる真の声に信頼を置いた上で発露し、構築した世界をほんの一瞬にして破滅させた瞬間に演劇への本質的な愛憎と、言葉という名の鋭利なナイフで身体中を切り刻まれるような痛みを感じ、いづれも言葉の存在について深く考えさせられる内容だった。

    ネタバレBOX

    第一部は映画監督、大浦信行さんを招いてのトークショーで『借り物』をキーワードにスパイ粛清事件によって逮捕、服役後に作家としてデビューし、5年前に命を絶った見沢知廉について語られた。彼は文芸賞も受賞し出版社から期待もされていたが、ドストエフスキーを模倣した文体を意識せざるを得ず、そのことにコンプレックスを抱え、生涯オリジナルな借り物でない表現について苦悩していたのではないか。また、人を殺したその瞬間、数秒だけ彼は、彼自身になれたのではないか。という見解。大浦監督は現在、見沢知廉にゆかりのある人たちにインタビューを行いドキュメンタリー映画を製作されているため、とても説得力のあるお話だった。つぎに『借り物』でない表現とは何か。またその表現を達成するためのヒントとしての読書論を具体的な名前を列挙されたのが非常に痛快で、絶対的な個がある者にとって本は邪魔者にしか過ぎず、小津も溝口も黒澤明なども本なんて大して読んでいなかったのではないか。ピカソは教養もなく原始人に近い、現代によみがえったドン・キホーテのような存在だ。草間彌生さんの文章は、あの作品群のままですごい。などの見解に思わず二ヤリ。
    芸術家は独自性という掟に生涯悩まされる生き物なのかもしれない。
    『永遠は足元か背後にほんの一瞬だけあるもので、芸術はそれを最大限に引き延ばす作業である。』という大浦監督の言葉が強く印象的だった。

    第二部はどこかの航空基地を舞台に血と衝動を戦闘力に戦うパイロットたちの物語。
    登場人物にゼロという名前や、ゼロ戦という単語、演劇という単語が繰り返されるので、日本史的な戦争と、演劇的な闘争をモチーフにしていることはわかるものの、敵が出て来たり銃撃戦を行ったりする場面はなく、役者は絶えず前方を向き各々、現在の状況と感じていることをモノローグするため、ひたすら内省的である。
    また、誰のため、何のために戦っているのかが曖昧な点がスカイ・クロラ的でもあり、舞台は航空基地で戦闘機を整備しているパイロットが数人いて、小隊長から攻撃するな、と指示されている。ということが物語のラストまでほぼ変動しない。
    変化するのは役者の心象風景と、戦闘機に見立てた鉄パイプで、これが小隊長の周りをぐるぐると取り囲んでいき、現在進行形で造られていく芸術品といった感じで圧巻だった。

    ラスト、敵への攻撃を許可した小隊長は戦闘機の燃料である深紅の血を頭から被り、パイロットたちが轟音と共に空中へ散っていく光景は、演劇の死が訪れた瞬間のように思われたのだが、それだけに留まらず、これまでの物語を、演劇の嘘を、演じた役の名と本名を、そして俳優の日常までをも俳優自身が告白し、更に劇場の嘘まで告発したのだ。

    物語のすべては詩的なイメージの連続のようなものだったので、完全に理解しているとは到底思えないが、私たち人間が生きる以上、言葉と演じることから逃れられないことを意味しているように感じた。
  • 深い。。。
    感想を、どういう言葉で表せばいいのか。。。

    ネタバレBOX

    思ったことをつらつら書いても、
    読み手には、私の思った通りには伝わらないかもしれない。

    言葉って。
    攻撃も出来るけど、救うことも出来る。
    同時に叫ぶと雑音だけど、
    メロディつけて一緒に奏でれば音楽になる(重唱)。

    きっと私は、脚本家さんの言いたいことを
    理解し切れていないと思うけれど、
    思うところはたくさんあったので、、、
    それでいいんですよねきっと。

    終わりだけど、終わりじゃない。
    始まりでもない。。。

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