たゆたう、もえる 公演情報 たゆたう、もえる」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★★

    ほとんど感服
    大きな括りで言えば「家族モノ」ではあるが、(σ(^-^) の弱点であるところの(爆))「家族の絆」よりも肉親であるがゆえの甘え(と反発)から生じた溝を描いており、優しさの中からビターテイストが時折表出して、ふわりとした感触なのに強く握るとトゲがある、な感覚。
    またそれが、中心となる姉妹(とその弟)の子供時代・少女(少年)期・大人になってからの3つの時代を過不足無く描きつつも90分のワクにキッチリ収めるというのが見事。
    さらにその3つの時代はもとより、同じ時代の中でさえも部分的に時系列に沿わない並べ方をしながら、ちゃんとわかる(どころかむしろわかりやすい?)のも巧みだし、回想や説明の短いシーンをサラリと挿入する手口(笑)も上手く、ほとんど感服。
    そんなスタイルで、子供ゆえの無神経さ・残酷さでやってしまった(その時はそう思っていなくても大人になってから振り返ると)取り返しのつかないことや、そんな子供時代・少女期の体験が大人になっても尾を引いていることなどまで語って、ホントに巧い。
    小説などでテレパシーを「頭の中に直接響く声」などと表現することがあるが、これは「心の中に直接響く芝居」で、共感というよりも共鳴。遠赤外線の如くジワジワ効いてきて、観終わってからもホロリとしたり…。
    あと、上方から吊るされた丈が3メートルはあろうかという6着の赤いニットのワンピース(そこから垂れた糸を血に見立てる手法も含む)も印象的。
    しかし当日パンフ(に挟んだ紙片)に大半が夫を喪った女性の心境を詠んだものである俳句を載せて涙腺を緩めておいて最初に見せるのが子供たちの情景(郷愁をそそるんだ、これが)というのは卑怯!(笑)

  • 満足度★★★★

    現れてくるものと薄れていくもの
    断片的な記憶が重なっていくうちに
    次第にひとつの感覚に集約していく。

    その質感に強く浸潤されました。

    ネタバレBOX

    冒頭のトイレのエピソードに始まり
    いくつものエピソードが
    舞台上に表現されていきます。
    幼いころの記憶、学生のころの想いで。
    そして兄弟や親戚たちの今。

    人間関係が浮かんでくるまでは
    脈絡のうすいいくつものエピソードが
    浮かぶままに並べられている感じ。
    しかし、同じ場面が
    反芻のように角度や切り口を変えて
    くりかえされる中で、
    次第に個々のエピソードが溶け合って
    家族やその場所の香りと時系列が
    醸成されていくのです。

    ひとつずつのエピソードの色に
    高い解像度からやってくる細線の輝きがあって。
    それぞれの両親と子供、さらには孫のこと、
    姉弟や従姉妹との関係、
    近しい友人、クラスメイト。
    テレビで相撲を観にくる子のことにしても、
    川に棄てられる猫のことにしても、
    崩されていく家のことも、死のことも・・。
    記憶が繰り返し光の中に訪れることで
    愛情も憎悪も、裏も表も、楽しさも驚きも痛さも
    次第に時系列の中に溶け込んでいく。

    血の糸につながれたそれらが
    舞台奥の闇から舞台中央の光に現れ、
    再び舞台奥に戻っていくなかで、
    色は時と混濁し、
    揺らぎ、離れ、繋がりながら
    やがて、ナチュラルに拡散して
    観る側に共振する質感となって浸潤していくのです。

    舞台につるされた、赤い糸で作られた長い編物や、
    記憶の潜在と顕在を照らし出すような照明、
    闇から出でて闇に戻る登場人物たち。
    いずれもが実にしたたか。

    観終わって、人があゆむ時間の重さと軽さが同時に降りてきて、
    その表現のしなやかさに息を呑んだことでした。








  • 満足度★★★★★

    昼に見ました
    あの場にいられて本当によかった。

  • 満足度★★★★★

    暗闇の中から立ちのぼる家族の記憶の糸、それは過去から未来へと連綿と繋がる赤い糸
    美しいシーンが舞台の暗闇の中から浮かび上がる。

    どの登場人物も魅力的で愛おしい。
    笑いも織り交ぜながら、家族の姿を浮かび上がらせていく。

    感情が高ぶり、ぶつかり合っていても、とても豊かな物語が編み上がっていく。

    ネタバレBOX

    赤い糸は「血」。
    「血」で繋がる家族たち。
    血で繋がる家族だからこそ、近い関係だからこそ辛いことがある。
    逃れることはできない。

    たとえ一時は離れていようとも、次女が帰ってきたように、必ず戻ってくる。
    赤い糸に繋がれているので、それを頼りに戻ってくるのだ。

    赤い糸を解き、赤い糸を編んで作り上げるのが家族だ。
    「家」を作り上げていくには時間がかかるが、壊すのには時間がかからない。
    それは百年あった家が5日で更地になるように。

    しかし、建物である家と違い、人と人がつくる家族は、思ったよりも強くしなやかだ。孫娘の編み物に象徴されるように、たとえ一時は糸がこんがらがっても、「家族」という作品が編み上がっていく。

    家族は、逃れることができないという枷にもなるが、最後に戻ることのできる場所でもある。

    言い合うことができる関係は、決して単純に壊れてしまうことはない強さを秘めていると思う。

    舞台の上から何着も編んだ作品が下がっているように、家族の歴史は連なっていく。昔も今もこれからも。

    舞台の中央にライトが当たり、周辺は薄暗がりとなっている。
    「闇」というには、ほの明るい場所、暗がり。
    その暗がりの場所は、まるで頭の中に残る記憶のようで、ほんのりある。

    役者たちがそこに佇む姿は記憶の中の姿だ。
    忘れているようで、実は記憶の中には像が残っている。
    記憶の積み重ねが「家族」を形成する。
    記憶の積み重ねが、互いの繋がりを確実にしていく。

    美しいシーンが舞台の暗闇の中から浮かび上がる。
    それはまるで記憶の中から浮かび上がるように、すっと現れ、すっと消えていく。

    印象的で、美しいシーンが連なる。振り返る妹のシーンもいい。
    そして、特にラストが美しい。
    台詞の中にあるシーンは実際には見ることはできないのだが、まるで目の前にあるように光の中に浮かぶ。

    たゆたう家族は、捨てられた子猫が危なげに儚げに箱の中で揺られて行くように見えて、実は、ラストの船のように、揺れながらも、輝く向こう岸にたどりつくのだ。



    どの登場人物にも、印象的なエピソード、シーンが用意されており、すべて台詞のやり取りが見事。姉妹の関係は、やや頭の中で作られたように見えてしまうところはあるのだが。
    早い場面展開や繰り返しの中での役者の立ち位置、姿が素晴らしい。
    もちろん、脚本の素晴らしさもあるのだが、それをよく昇華させていたように感じた。

    特に長女の、子どもから学生、そして母となったときの、台詞と動き(重心の置き方など)が素晴らしい。腰で立つ、母となった姿で「起きろ」と言われると、自分の学生時代に戻ってしまうぐらい。

    おばちゃんと、先輩(たくあんのエピソードはややベタながらも、ぐっとくるものがあった)は、家族の物語には直接の関係はないものの、とてもいい味を出しており、物語に奥行きを加えていた。

    そして、テレビがない家やフラフープがどこか昭和の香りをさせていた。
  • 巧すぎる…。。。
    空間の使い方の秀逸さに戦く。物語と舞台美術と風景をきれいに結びつけ、くっきりと像を立ち上げたのも見事。

    ネタバレBOX

    そう。
    失われてしまう旧家と対比されるように生命に満ちた川が変わらず流れつづけていくのと、
    血を流しながら繋がっていく三世代の女性たちの姿と、
    舞台美術の赤い毛糸の、長くゆるやかに伸びたニットが、
    いつしか大河のように最後にはきっちりと重なっていくわけですよ。

    ただ、なんだろう、たとえばコーエン兄弟の映画と重なるんだけど、ある意味、教科書っぽいかも? つまり、すごく誉めるところの一杯ある作品なんだけど、ごめん、これは愛せない。

    ほんとに、丁寧に編みあげられているのだけど、
    自分が鈍感であるかもしれないことを恐れながらあえて書くと、
    そこに漂う思いが、作者のなかにあって溢れでてきたものでも、観客に強く届けようとしたものでもなく感じられてしまったのは、残念。
  • 満足度★★★★★

    物凄い!渾身の一作!
    こんなに感動したのは今年になって初めてかもしれない。しかしこの感動は爆発的なものではない。あの「F」のようなじんわり感じる繊細さだ。物語は優しげで温かみがあって日向でうずくまる猫のいる家を思い起こさせる。だけれどもその家族の風景は誰もが記憶の中にある一コマとして持っているものだと思う。だから・・・、確実にワタクシの記憶にリンクして、心に突き刺さった。間違いなく今年の一押しだ。登場する全てのキャストが秀逸なのも作品を盛り上げた。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    序盤、ある家族のちっさい姉妹らのシーンから始まる。あさ(ゆうの姉)、ゆう、しんやの3人兄弟の風景。そこに泊まりに来たななちゃんや同級生らが絡む。これらのシーンが実に懐かしく可愛らしい描写だ。

    これらに幼い頃のゆうの心の動きが加わる。物事をはっきり表現するあさ。お姉ちゃんとしての自覚が芽生え全てを仕切りたがるあさ。一方で弟の面倒をちゃんと見ているものの、姉の仕切り方に戸惑いつつ、言いたいことが言えないゆう。この場面でのゆうの心の内が痛いほど分かって切なくなる。ゆうはゆうなりに懸命にそして健気にななちゃんとの微妙な距離を保とうとする。しかし、その中に姉が土足で入ってくると感じてしまうゆう。

    どうしても受け入れることができない、許すことができない理不尽さがゆうの心にびっしり蔓延り、一層ゆうは自分自身を閉じてしまう。その閉じ方が子供ゆえにイジケたり捻くれたりしてしまう。

    これらの家族の風景と近所、同級生らと関わりの描写を時代とともに追っていく手法だが、この見せ方が素晴らしい。序盤に張ったいくつもの複線を角度を変えて同じ場面を何度も魅せる。まるで円形劇場で回転している舞台を観てるような感覚になる。場面場面の、描写と時代の異なったシーンを、複雑に交差させながら、作中に生きる人物たちの情景を同時進行に描く手法だから、一見複雑そうに見えるが物語の進行は単純で解り易い。その手法は撒いた伏線を回収するものではなく、撒いた伏線をパズルのように組み合わせ、また散ばせるような感覚がある。

    だから・・・記憶の断片は常に空中で待機してるような感じだ。

    ちょっと納得できないことや容認できないことが起きるとフラフープに逃げるゆう。自分の胸にわだかまってる重苦しい霧を表現する場面だ。ここでのフラフープがゆうの心の繊細な襞のようにクルクル回って揺れる。愛しいと思った。ゆうも、弟のしんやも、そしてあさも、穏やかな両親も、そうたも、はなも・・・。登場人物の全てに共感できる。

    大人になったそれぞれはいつか自分を振り返り過ごした時間に時代という言葉を冠するときがくる。青の時代があり、そして赤の時代があり、そしてその全てを受け入れる。

    大人になった彼らも家族という新しい形態が出来上がり、それぞれ家族の距離を保ちながらも、両親の介護のシーンも登場する。父さんがよろよろの字で「しなせてください。」と書いた情景に、思わず涙する。そして残された母親の介護の場面でもあさの心意気が見える。今だに独身で8年間も家に寄りつかなかったゆうを気遣うあさと、しんやの描写も素敵だ。ゆうが幼馴染から借りた10万の借財の理由が、堕胎する為と解った瞬間の「上手に生きられないゆう」を思うとなんだか、ズシン!と突き刺さる。

    「いつでも帰っておいで。大丈夫だから。待ってるから。」とゆうに伝えるあさの言葉も素敵だ。

    ゆうの同級生、しのちゃんが登場した時には殺されるかと思ったくらい爆笑した。何あれ?(苦笑!)パンツのお尻のほっぺたに何やら貼り付いてるもの・・、そして人形をおぶったしのちゃん。もう、ワタクシ、理性という線がプッツリ切れてしまって、笑いを堪えようとすればするほど可笑しくて・・、どーしようもなく可笑しくて、とうとう切れた!笑

    観終わった後、胸が温かい甘水に満たされたようなこころもちになった。そしてこの素敵な物語をいったいどうやって表現したらいいのか、なんだかとっても重要な気がして何回も消しては書いたけれど、まあ、ワタクシの表現能力はこんなものなのです。素晴らしい!ってことだけ解ってもらえたら嬉しいのだけれど・・。

  • すべての役を好きになった
    このカンパニーは2度目の観劇。記憶をモチーフにするところは前から一貫しているけど、その使い方がはるかに進化していた。冒頭は少し心配になったが、すぐにどんどん惹き込まれました。すべての役が好きになれるなんて、滅多にない体験。これからがさらに楽しみです。

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