かもめ 公演情報 かもめ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-14件 / 14件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    こちらの劇団だと、「かもめ」も重厚な感じになるのですね⁉︎
    でも、こんな雰囲気もいいですね!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    重厚な演技。良い時間が過ごせました。ありがとうございました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    大きな劇場でのかもめを何度か観たことがありました。今回は決して広くはない劇場ですが、とても広々とした空間に感じさせてくれる演出ははさすがだと思いました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ぽっちゃりのコースチャと低音のニーナ、いきなり主役二人のイメージを壊されてしまう。これはこの舞台が二人だけの物語ではないのだよという宣言なのだろう。元々恋人どうしに限らない色々な組み合わせの二人の対話の場面が多いのだから原作の正しい実現ではある。

    意外性もあるが分かりやすい楽しめる舞台だった。しかし、私の芝居理解力の問題なのだが、相変わらずシンボルとしての「かもめ」の意味するところが腹落ちしなくて困る。あと何回観たらすっきりするのだろうか。

    ネタバレBOX

    ややハスキーなニーナの声は知性を感じさせ(我ながら偏見だなあ)トリゴーリンにホイホイとついて行くのがちょっと不思議である。そして後半の境遇の悲惨さが増している気がする。私の(というか普通の)ニーナのイメージはアホっぽい(これは余計か)女の子がどん底に落ちながらも耐えることを学び力強く生きて行こうとするもので、変わることのできないコースチャと対比されている。この舞台ではそんなあからさまな違いを嫌ったのかこの後のニーナには不安しか感じない作りになっている。

    コースチャ作の劇はラゾーナ川崎版と同じくニーナの踊りとしている。本来は普通の芝居でニーナのセリフが当然あるのだがここではコースチャが読み上げる。音楽はラゾーナ版の「リベルタンゴ」に対してベートーベンの「月光」を持ってきた。これは二つの舞台共に全体の雰囲気を表す看板なのである。
    *「リベルタンゴ」は完全に演出家の好みだろうが「月光」はコースチャが最後の自分の原稿を読みながらトリゴーリンと比較するときの表現の対象ということで根拠のあるものである。

    他にも特徴的な場面があった。
    まずあげるべきはラストである。原作ではニーナが帰ったあとアルカージナらが再び居間に戻って騒いでいるときにコースチャの寝室から銃声が聞こえるのだが本作では一行が戻ってくる前にコースチャが居間でピストルを取り出すと舞台は暗転して銃声となる。これは非常に印象的で星が一つ増えてしまった。

    次に、マーシャがトリゴーリンに依頼した本のサインは
    神西清訳「身もとも不明、なんのためにこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」
    原卓也訳「素性不明、何のためにこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」
    となっているのだが今作では
    ハツビロコウ訳「誰が親かも分からない、何のためにこの世に生きるかも知らぬマーシャへ」
    となっていた(と思う)。マーシャはマリヤのニックネームなのでそこはいいのだが「マーシャの父親はドールンじゃないか」問題を考えるとき原作では80%くらい正しく思えるが今作のこのセリフはハツビロコウは100%断定した(と私は捉えた)。…と書いていると段々皆同じにも思えてきた(汗)。「親」という単語に過剰反応しただけかもしれない。

    そして意図的に「芝居じみた」演出を入れている。
    トリゴーリンが机を叩くのは良しとして、まあそれもかなり激しいのだが。アルカージナも机をつかみ椅子を投げつける。そしてアルカージナがトリゴーリンにケチをつけたコースチャを激しく貶すところは原作以上に長く激しく攻撃したように思えた。…原作を読み返してみたがもう舞台の方を忘れている(汗)。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    とても面白かったです。古典でありながらとても見やすく時代背景もちゃんと見えてきてとてもよかったです。役者の皆さんの演技も素晴らしかったです。特にニーナ役の平子さんは、若々しく初々しい最初の演技と二年後の影を落とした演技がとても分かって良かったです。ハツビロコウさんは何回目かなのですが、演技のレベルの高さはすごいと思います。また、楽しみにしてますね

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    一番素晴らしかったのは、バレエのような踊りだ。
    これだけでも価値がある、というくらい、白い衣装も綺麗で夢中で観てしまった。

    外の嵐のピュウピュウいう音、かもめの鳴き声...
    この雰囲気が素晴らしい。
    ひとりひとりの役者さんの個性的な演技がとても魅力的で、引き込まれました。

    最後のクライマックスは、とても衝撃的でした。
    チェーホフ作品の[かもめ]...やはりいいですね。
    観てよかったです。


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鐘下作品だけでなく古典・名作も手掛けるようになったハツビロコウの今作は「かもめ」。これまでイプセンや三好十郎等、硬軟で言えば「硬」に寄った印象ではあったのだが、(松田正隆作品をやった時はその印象を覆したが残念ながら未見)此度はチェーホフ。ところが開幕前、この希望の無い物語へ誘われようとしている間際に言い知れぬ不安が過ぎった。「与えられなかった」人間がそれゆえ希望を抱けず絶望に堕ちて行くという、身も蓋もない様を高みから愛でる作品(そうして辛うじて直視できる真実)を、己の事のように見せられる予感だ。冒頭の二人、甘く切なく甘味な恋の姿が「形」として(即ち本物と知れるように)描かれる。ハッとする。二人にとってのこの瞬間の「偽りの無さ」が、成る程全ての始まりであった。ハツビロコウの「かもめ」が始まった、と実感する。
    かくして麻酔が効いた後の治療のように、ハツビロコウ版「かもめ」(今回はテキレジは少なめに思えた)の活写する酷薄な人間ドラマを、漏らさず味わい尽くす時間となった。
    毎度ながら、どう手を入れたのか、と思う程に、戯曲の骨格がクリアに浮かび上がって来る。昨年川崎で観た秀逸な「かもめ」はまるで対照的、人物たちの滑稽な生き様を臆せずぶった切る喜劇的演出を極めた舞台であった。一方こちらはハツビロコウらしい「リアル」を掘り起こした言わば「悲劇」の舞台だが、人間の心の赤裸々なありようを透徹した時、そこに微かな救いが見える。「人間」という作品そのものの美が、チェーホフをして文字に起こさしめた。
    最近読んだ「戯曲」に関する論考によると戯曲は大きく分けて「人や世界は変わり得る」と信じる思想に貫かれた戯曲と、「変り得ない」との世界観に基づく戯曲とがあると言い、前者=リアリズム演劇の典型としてイプセン以来の多くの演劇、後者にはギリシャ悲劇、そしてチェーホフが挙げられていた。
    なるほど一つの穿った分析だが、困難を乗り越える物語の濃度を高めるのはその困難の大きさであり、現実の中にその困難というものはある。この現実の不条理により肉薄する事で、物語は使命の半分は終えている。より厳しい現実(の抉り方)が問題の所在をまずは明示したからだ。そう考えると、酷薄な現実の描写はたとえその事態の好転を記さなくとも、何らかの解決、和解の萌芽を観客は認めるも可能。チェーホフの長編作品にあるロシアの没落や時間の不可逆性への諦念は、人と世界の真実はこうだと突き放しているが観客は絶望して帰路につくわけではない。人生や社会について噛み締める。それはリアリズム演劇にないというものでもない。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    国内外の古典作品の再発見に挑戦しているハツビロコウが名作「かもめ」を取り上げた
    相変わらずスペースを上手く使い、ミニマムに近いが良く出来たセット
    この劇団はL字型のどの席からでも良く鑑賞出来るよう、セットも演技も実によく考えられている
    暗めの照明が素晴らしい
    演技も表情の良いキャストが多く、特に草薙知史(トリゴーリン)と松本光生(ドールン)が気に入った
    新垣亘平(コースチャ)は後半良かった
    最後のピストル自殺のシーンの演出、照明は見事
    アルカージナ(森郁月)はちょっと若いけど、トリゴーリンに迫っていくシーンはなかなか迫力あった
    ニーナ(平子亜未)はちょっと変身ぶりが十分に伝わらなかった

    このところ席数絞ってる公演もあるが、満席続きで嬉しい

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「私はかもめ、いえそうじゃない」舞台「楽屋」でしか聞いたことのなかったセリフはこのシーンだったんですね。ラストが衝撃的でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い、お薦め。
    人々の心の内、その表し難き小宇宙を緊密に繋ぎ合わせた秀作。物語は、冒頭に全人物を紹介するかのように登場させ 以降 夫々の関係や知り合ったがゆえの道行きを丁寧に しかも重厚に紡いでいく。演出は、「かもめ」の核心と思われる刺激的な言葉(台詞)を抽出し、体当たり的な演技で魅了する。描きたい核心、そして観せるといった解りやすさを実に上手く共存させる。

    諦念と倦怠を思わせる雰囲気を破り、内からの咆哮が観客の感情と思考を揺さぶる。信念、芸術、才能、愛情、嫉妬等が渦巻く胸の内を吐露する、その激情と冷笑といった場面が巧みに描かれ、その情景を印象的にする。全編 薄暗く沈鬱のような雰囲気を漂わせるが、その重い空気を打ち破るかのような熱演に惹きつけられる。
    (上演時間2時間10分 途中休憩なし)追記予定

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    アルカージナがずいぶん若いなという違和感はあったが、総じて俳優陣の演技力は高く、シンプルだがB1の構造を上手く使った演出も良い。
    この作品は何度観ても、終幕のニーナのセリフに心が震える。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/09/21 (水) 19:00

    130分。休憩なし。

  • 実演鑑賞

    「私はカモメ。」ってこの劇の台詞だったんだあ。
    知らなかったあ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ベシミル、華5つ☆
     板上では、場転に応じてテーブル、書き物机、椅子等が入れ替えられてゆく形。出捌けはホリゾントやや下手の開口部、上手側面の奥と手前の3カ所。照明は終始昏く、今作の本質的な暗さを暗示しているかのようだ。それに効果的な音響が被さり一見何気ない日常を描きながら極めて深刻な登場人物達の内面世界を、時にその台詞とは真反対の内面を見事に表象するのに充分な時空を舞台上に出現させ描き切る、一瞬たりとも緊張を緩めない。この辺りの表現力は流石ハツビロコウの舞台である。無論、観客にこのように感じさせる役者陣の演技力の高さ、一見矛盾するような表現で申し訳ないが、大胆に本質を提示しながら同時に極めの細かいそれでいて自然な流れを作っている演出も素晴らしい。

    ネタバレBOX


     作品の内容は有名な戯曲故省くが、今回のハツビロコウの舞台の特徴と思えたことを若干記しておく。
     基本的には表現する者としてのアルカージナVSニーナと散文作家としてのトリゴージンVSコースチャ、アルカージナVSコースチャ、ニーナを巡るトリゴージンVSコースチャが表現する者達の争闘のあらましを形成しており、それらをチェーホフの分身として形象化されたキャラ・観察者(科学的知性を以て人々を客観的に観て居る批評者)としての医者ドールンが冷徹な目で観察、関係性の本質を見抜く。と同時にコースチャに纏わる精神分析的知見には瞠目すべき点が2つ在る。先ずは往時としては未だ発見されていなかったタイプのコースチャの才能を評価した点、同時に彼の才能の質迄も見抜いていた点である。此れは実際に医師でありながら同時に小説家・劇作家であったチェーホフだったからこそ書き得たことであると言わねばなるまい。文学の形式は大別して3つある。散文(小説を代表としよう)、戯曲、詩である。この3つのジャンルで現実世界に最も似せた精神活動をその創作過程で要求されるのが小説であり、最も離れているのが詩である。戯曲はその中間と言えよう。どういうことかと言うと、ドールンの台詞に在った「コースチャに才能はあるが、彼は自分の才能を活かすテーマを知らない」という表現の表す内実である。言い換えれば主題・本題を定めることが出来て居ないと解せる。彼が漸く売れ出したのは、ニーナに振られて2年後である、ジャンルは小説。然し乍ら、彼には散文に必要な具体的で実際的な事象やモノ自体の細部を描くこと即ち具象的な文章を書くことで現実に着地するような精神的傾向は希薄なのである。この点が小説家としては決定的な欠陥となることを、残酷な迄に物事が良く観察できてしまう天才・チェーホフは良く知っていた。そしてその事実の本質性をハツビロコウの舞台はキチンと表現して見せた。見事である。
     一方、チェーホフ作品が世界中で未だに多くの人々から認められ上演され続けているのは、世間や表現する者達とは若干異なる相で結婚という形の恋の一応の社会的完結をみるマーシャ、メドヴェージェンコ。ポリーナ、シャムラーエフら一般の人々の本質を鷲掴みにして戯曲・舞台表現とした点だが、それにスパイスを加味するように更に庶民や中間層とは若干異なるロシア社会の引退官僚としてソーリンが描き込まれている点は如何にもロシアの作家・チェーホフということになろうかと自分を含め俗な「批評」をしたがる人士達の心象をも擽るからに相違あるまい。

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