二人ぼっち2 公演情報 二人ぼっち2」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 映像鑑賞

    満足度★★★

     岸田理生の原作を改変した脚本を用い母役・娘役の女優2人と楽師1人の3名が出演。無論演出は居る。作品はオンラインのみで配給された。同じ部屋でマイクを同時に2つ以上用いるとハウリングが発生することがあるのでこれを避ける為、マイク使用は各部屋1つに限られた。

    ネタバレBOX


     演じ方は、映像音声を含めた音響制作現場を時折挿入しつつ、朗読と普通に暗唱した上での演技を交錯させながらの上演形態を取ったが、実質僅か22分の作品で何故総ての台詞を暗記して演じないのか必然性が全く見えない。というのも一応映像開始前のテロップでは、朗読ということになっているので朗読に徹するか、普通の演技に徹した方が良いと思う。無論、このように思ったのは映像配信は規定の路線で通常の板上での朗読でない以上、朗読に通常の演技を交錯させても舞台効果が期待できないのは明らかだという理由もある。而も以下に述べるように交差させるならさせるで演出上必要となる配慮が全く為されていないのはどういう訳か? 演出は何を考えたのだろうか? 用いられた脚本の内容は以下の如きものであった。
     別居している母・娘の関係をベタベタしたがる母とうざったがる娘の対比で台詞が示している。朗読なのか、通常の演技なのかハッキリしたコンセプトの無い「対話自体」の演技に別の場所に住んで居ることを明確化しようとする意図が全く感じられないのは、単に脚本の用い方というより、先に述べた役者陣のアクションがちゃんと別の空間で行われている(例えばズームなどで)ことを背景効果として入れて居ない演出家のミスだろう。住居の色合いが同じトーンで大きく異なるのは娘の部屋のカーテンだけ。而もこのカーテンにもパステルカラーを好む人々が選びそうなセンスが滲み出ており、母子の対立よりはセンスの類似が滲み出ている。センスが類似していれば本質的にセンシブルな対立が起こり難いことは誰でも体験上知っていることであるから、この物語自体の嘘っぽさしか伝わってこない。似て非なる者同士が最も激しく対立するケースは、ある目的に向かって何かを追求する場合の方法論が互いに異なる場合であり、メンタリティーに差がある訳では無いということをも踏まえておきたい。どうしても母・娘の対立を描くことに拘泥するなら住居の色調を変えて母vs娘の対立を視覚的にも明確化する必要があろう。母・娘の距離が実際の上映で描かれていたのは、母の最期の台詞の前、後に現れた長い廊下を1人去ってゆくシーンのみであった。
     蛇足だが以下述べることは岸田作品をそれほど観て居ないので確たる見解ではないものの原作者の作品では大抵人間関係そのものが父と娘との間に極めて歪んだ関係があり、その歪みが娘の身体感覚そのものを酷く傷つけて観客にヒリヒリするような痛みを追体験させるような緊張感を伴い、娘の痛む魂の必然性を観客が孕むという構造を持っているように思うが、今作はそのような緊迫感を一切持たない。娘が母を呼ぶ時に「あなた」と呼ぶ1度だけを除いて「あんた」と呼ぶ以外は、他人行儀に徹していないこと、反対語を羅列する言葉遊びをする必然性も感じられないことによって、唯でさえ緊迫感が無くセンチメンタリズムに堕してしまっている作品を魅力の無いものにしている点は残念だ。



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