『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』 公演情報 『プルーフ/証明』 『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
21-34件 / 34件中
  • やくしゃよにんが。
    4人とも良かった。(プルーフ観劇)
    今後もそれぞれ頑張ってほしい。

  • 満足度★★★★

    心が目を覚ます瞬間
    どのくらいの上演時間だったかを
    確認するのも忘れるほどに
    がっつりと取り込まれ打ちのめされました。

    では、どのくらい理解できたのかというと
    見当もつきません。
    そう思ったことに確証が持てません。
    でも、舞台上の創意に引きずられ
    質感と具体性と抽象性のはざまからあふれてくる質感に
    背を向けることのできない吸引力があって・・・。

    瞬きをする刹那も疎ましく感じるほどに
    見入ってしまいました。




    ネタバレBOX

    ベットの上で
    お互いに愛の言葉を交わす冒頭シーン。
    出かける男・・・・。
    ラブストーリー???
    でも、そこからは想像もできない展開に
    翻弄されることになります。

    舞台奥に大きく映し出されるパソコンの画像。
    メディアプレーヤーのイメージ。
    打ち入れられる短い文章・・・。

    男が白衣をまとったことから
    次第に心を病む女性と医師の関係が浮かび上がってきます。
    100から7を引いていくことによって
    自らの正気というか判断能力を確かめる女性。
    観る者にそれが彼女の素の時間なのか、
    あるいは彼女の内側に展開する時間なのかが
    示されているようにも思えて・・・。

    何度かけても留守電になる電話。
    閉ざされた対人関係。
    自己嫌悪や被害妄想、

    大量に投与される薬、増減する体重・・・。
    拒食や過食、睡眠や記憶の障害。
    それが、たぶん医師が彼女に施した
    物理的な治療の履歴。
    薬がばらまかれる音、
    冷徹にも思える白衣の医師のレポート。

    一方で
    その時間に覚醒した彼女の心が
    次々と具象化されていきます。
    医師のメンタルケアに起因するとみられる
    患者のさまざまなイメージが
    演劇的な表現を駆使して次々に現れてくる・・・。

    ベットの上に築かれた
    自分の言葉を離す(ボイスレコーダーを頭に見立てた)
    不安定な人形。

    彼女が求めるものと
    医師が保とうとする距離・・・。
    書きこまれた紙を互いに拾って読む時・・・。
    時に彼女が書いたはずのメモは医師の思いにも思えて
    また書類にしたレターサイズの紙には
    彼女の想いとも思える言葉が書きこまれていたり・・・。
    互いの理解と無理解の暗示にも思えて。

    リストカットのイメージ。
    死への誘いの説得力。

    想いをふくらまされた風船が
    ライターの火で破裂したり
    ボールのやり取りが
    いつしか彼女によって拒絶されたり・・・。

    モラルや目標のようなことひとつずつを
    我慢大会のように着こんでいく姿・・・。
    それらのモラルによって線引きされた
    他人が入れない空間・・・。
    それが治療の一つの完成形なのかも。

    そしてまた、その時間はやってきて。
    覚醒の中で求める物は
    治療では満たされることのない
    なにかのようにも思えて。
    抱きしめられるような愛なのか、
    消え行ってしまうことなのか、
    あるいはその両方なのか・・・。

    最後のカーテンコールは女性だけ。
    それは誰の物語かの
    作り手からの提示にも思えて。

    観終わって、
    心のなかに残っていたのは
    少なくとも絶望ではなかったです。
    もっと捉えようがなく
    醒めた、持ち重みのするなにか。
    で、片づけ場所がわからない感じ・・・。
    4.48からの72分にやってくる
    仮の服を着せられたままのような自分の感覚が
    舞台からずっと居座っていて・・・。

    演劇的な創意や表現が
    恐ろしいほど研がれているからこそ
    伝わってきた何かだとは思うのですが・・・。
    帰り道もその感覚がずっと抜けませんでした。

    作り手側の意図と
    全然見当違いの解釈をしているような気もするのですが、
    なぜか抜けていかないのです。





  • 満足度★★★

    『心が目を覚ます瞬間~4.48サイコシスより~』
    なかなか解釈の難しい作品でした。正直解らないところも多かった。

    時には多重人格の「ひとり」に見えたり、閉ざされた世界の中で過去に
    確かに接点を持った人との回想のようでもあったり、被害妄想であったり
    楽観的であったり、悲観的であったり、時系列が曖昧に見えたり。

    順序はあるようなないような。作者の尺度で思ったことを思いつくままに
    突発的に書き殴られたような感じ。原作がそういうものなのかな?

    兎にも角にも印象的なシーンが多かったです。

    以下ネタバレ。

    ネタバレBOX

    なにもない床に、黒いBB弾がばらまかれ、白い薬がまきちらされ、
    ゴミや書類や衣類が投げ出され、次第に足の踏み場がなくなる、
    人の心が癒えない痛みや傷を負って、くすんでいくような感じで
    ぞっとしました。

    結局彼女は、彼の言葉をひとつも聞き入れようとはしない。
    彼は第三者なのか、自分の分身なのか、複数の人物なのか。

    なんとも絶望感の強い作品でしたが、印象には残りました。
  • えらく DULL-COLORED POPだった 
    自分がちょこっと関わった『心が目を覚ます瞬間』、『プルーフ/証明』、共に、いち観客として鑑賞。とても DULL-COLORED POP な印象だった。全ての上演作品を観てきたわけではないのに、そう感じさせるのは世界観の強度なんだろう。

    ネタバレBOX

    『プルーフ/証明』はコロブチカバージョンも見ていたが、演出、キャスティングによって無限に変わってゆく演劇の可能性を楽しんだ。
    他のバージョンを見ていたせいで、より一層、谷版のカラーをはっきりと感じ取れた気もする。
    演劇面白いな。
  • 満足度★★★★

    誤訳しかし正解
    演出さんの言葉を借りるとしたら、自分の感想もそうなのかもしれません。

    ネタバレBOX

    二人の言葉の掛け合い。これはサラへの問い掛けであり、挑戦であったのかなと。

    一つ一つの抽象的なメッセージからも伝わってくるものがありました。
    個人的に風船が好きでした。

    楽しかったです!
    そして同い年なのが悔しいです(笑)!
  • 満足度★★★★★

    もう一度、観たい!!
    『プルーフ/証明』
    いやぁ~、凄い!!
    なんて言っていいんだろう。
    アングラ/シリアス系で今年一番です。
    掴まれてます。
    眠れないかも知れません(笑)。

    『証明』したいこと、出来ない事。
    自分の心、相手の心、愛情、正常、異常…。

    あ~、凄かった。
    ちょっと整理して、明日書きます。
    もう一度、観たいなぁ。

    活動休止って、勿体無いよ。

    ネタバレBOX

    計:2時間20分,休憩10分。
    1昼夜経ったけど、まだ、支配されてます(笑)。

    キャサリン、凄かった。魅力的。
    心の置き場のない時、可愛い時、天才の時、女の子の時、慈しんでいる時。
    ヒリヒリと伝わってきます。
    敬愛する天才の末路と、自らが同じようになってしまう不安と、天才の片鱗への誇り。
    思えば、開演前から彼女に持っていかれてるんですよね。

    天才の父親。
    研究に対する理知と狂気、娘に対する厳格と甘さ。
    私には、「その人そのもの」にしか見えない。

    現実を生きる姉。
    彼女がいるから、観客はこの舞台の世界を明確に自分の中に取り込めるんですね。

    セットは、テーブルと椅子3脚、それだけ。
    でもいろんな場所に化けて見えるんです。
    凄い役者さんたちだなぁ。

    重い一幕目、ちゃんと軽やかに笑いをとる二幕目頭。
    重い芝居から立ち上がるのは、難しいと思うんですけど、サラッとやってのけている。
    素敵なライティング。
    素敵な本。
    良いカンパニーだ。

    「美しい」。
    数学的な世界では、昔実際よく言われた言葉です。
    私がコンピュータの世界に身をおき始めた頃、まだまだハード資産が貧弱でコーディング(プログラミング)の美しさが、そのまま処理速度に繋がっていました。
    本当に数学的センスのある先輩のコードは美しく、自分の能力との差に驚愕したものです。

    休業、もったいないなぁ。
    やっぱり、もう一回見に行きます!!
  • 満足度★★★

    早着替えがすごい
    大人数でやる舞台しか見たことがなかったので、出演者が4人だけの舞台は新鮮でした。

    ネタバレBOX

    劇が始まる前から、既にステージに俳優さんがいて演技をしてるのですが、お客さんがステージに上がって色々やっているのかと思って怖かったです

  • 満足度★★★★★

    「プルーフ/証明」9日昼
    しびれました。伝わる人には伝わります。
    見てください。それだけです。

  • 満足度★★★★★

    証明の意味
    狂気と正常の狭間の瞬間が素敵だった。
    空気感がいい。

    以下はねたばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    天才数学者だったキャサリンの父・ロバートは1週間前に亡くなった。気が狂っていた父を一人で看病していたキャサリンは抜け殻のようになってしまった。小さい頃から数学に親しみ数学を究めようとしているキャサリンにとって父は師でもあったからだ。人生を見失いかけたキャサリンの元に父の教え子のハルがやって来る。

    ハルはロバートの残した103冊のノートに新たな業績が書かれているのではないか?と希望をもっていたのだった。
    いつしかキャサリンとハルは愛し合うようになるが、彼女がある1冊のノートをハルに託した時、すべてが一変する。そこには世紀の大発見、数学の「証明」が記されていた。
    キャサリンはそれを証明したのは父ではなく自分だと主張したのだ。しかし、ハルも実の姉・クレアも信じない。信じないどころかクレアはキャサリンも父のように「気が狂ってる」と思っていたのだ。

    姉ばかりか愛するハルにも信じてもらえなかったキャサリンは、もう二度と立ち上がれないほど深く傷ついてしまい、姉の住むニューヨークに旅立とうとする。しかしその直前に、ハルが訪れる。「この証明は先生が書いたものではない。」と証明する。


    本来ならここで数学の証明の謎を解く過程がもっと詳細なら、戯曲「プルーフ」の“誰が証明したのか”という謎解きサスペンスの醍醐味だったのだが、残念なことに謎解きが浅い。時間の制限もあるからここまでなのだろうか・・?


    「プルーフ」は、傷ついたヒロインが悲しみを乗り越え、愛によって再生していくキャサリンの魂の物語だ。

    証明とは生き方の証明であって、その響きは希望に満ちていた。

    4人のキャストの実力には大満足!
    中田の落ち着いた演技にはオーラを感じるほど。中盤、本屋のセリフがあったが、あれはアドリブだろうか?同じテーブル座っていた清水と小栗の表情がそれを臭わせた。笑

    木下が脇をしっかり固めその実力を見せつけ魅入った。

    素晴らしい!この一言でした。







  • 20091008GP
    20091008GP@サンモールスタジオ

  • 【サイコシス】初日、二日目。
    出て来るのが誰なのかは分からない。誰でもないし、誰でもあった。確実に言えるのは「人だった」という事。そしてそれが全て。タイトルを知っているとついその「覚める瞬間」を待ちますが、実際には初めから覚めっぱなし。劇中に波みたいなものはあるけれど、それは目覚めさせる為の流れではなく。むしろ、「閉じる」「途切れる」「壊れる」「失う」などに向けたカウントダウン。
    観ていて非常に疲れました。人よってはすぐに何か重なるかもしれないし、しばらく時間差があるかもしれないし、最後まで何も得ないかもしれない。
    中身は異なるけど、個人的には「Caesciumberry Jam」を観た時と似た何かを感じた。でも何が似ていたのかはよく分からない。抜け道のない閉塞感かな?うーん。

    ネタバレBOX

    何も得ないほうが精神的には健康かも。でもそれはもしかしたら鈍感なだけかもしれなくて、そういう人は日常でそうそう傷付いていないのかもしれない。せめて他人に対してまでも鈍感で誰かを無意識に傷付けていないで欲しいなと願います。
    reset-N「閃光」もちょっと思い浮かびました。
  • 200910071900
    200910071900@サンモールスタジオ

  • 満足度★★★★★

    「プルーフ/証明」 いくつものトーンが重なって・・・。
    登場人物間それぞれに
    異なるトーンが作られて、
    良い意味でまじりあうことなく
    ある種の光をもって重なり合っていきます。

    役者たちの演技にぶれがなく
    個々のシーンに瑞々しさと質感があって
    登場人物の想いや感情がまっすぐにやってくる。

    深く豊かな密度を持ちながら
    しっかりとエッジの立った、
    出色のストレートプレイでありました。


    ネタバレBOX

    谷賢一氏が翻訳・演出を手がけたこの作品、
    同じ翻訳でのコロブチカ版(黒澤世莉氏演出)を観ています。
    その時には、一つの貫くような質感で舞台が満たされ、
    個々の個性が同じ空気から深く滲みだしてくるような
    印象がありました。

    一方今回谷氏自身の演出では
    個々の人物間に異なるトーンや質感があって。
    3人が同時に舞台にあれば、3つのトーンがそこにあるのです。
    それらの輝度が物語の進行に伴って、次第に高まっていく感じ。
    ひとつに混じり合うのではなく、
    互いを照らすようにして舞台の密度を高めていきます。

    客入り時からすでに
    主人公キャサリンの空気に取り込まれます。
    机と椅子だけのシンプルな舞台に
    彼女の時間が鮮やかに浮かび上がってくる。
    重なっていく父親への愛憎、
    数学者のハルとの距離感と歩み寄る中での互いの葛藤、
    姉のクレアとの確執。
    それらがいくつものトーンのなかで、
    繊細かつ丁寧なだけではなく、
    時には鮮やかに、あるいは恣意的なベクトルをもって
    沈むように、突き刺さるように、弾けるように、包み込むように
    描かれていきます。

    役者が良いのですよ。
    たとえば、
    キャサリンや父親が持っている才能に対する
    自身の感覚と外側からの見え方の差異なども
    とてもしなやかに観る側へ伝わってきます。
    かつて女性が発見したという
    素数の定理に関する説明をさらっと行なうときの
    キャサリンとのさりげなさに目を奪われて。
    それが伏線となって自らの才能をもてあます彼女の姿や
    才能をもたない者のとまどいが
    よりヴィヴィドに観る側にやってきます。
    役者が顕す刹那の感情の明確さが、
    物語を膨らませる確かな力になっていく。

    二日酔いのクレアから溢れる人間臭さが
    彼女のまっとうな価値観や
    キャサリンの想いの重ならない部分を顕わにしたり、
    ハルが初めてキャサリンと出会うシーンでの緊張感が
    再び出会う彼らの距離を作り出したり・・・。

    さらには観るものを取り込んでいく
    震えがくるほどの創意に溢れた表現手法達に目を瞠ります。
    インナーイヤーのヘッドフォンを外す姿と音のリンク、
    役者達の舞台への入り方やはけ方、
    キスシーンの音楽とライティングの美しさ、
    紅茶を注ぐ音が醸し出す時間、
    最後に言葉を内包した闇が照らし出すその先の広がり・・・、&More。
    シーンの一瞬に込められたものから、骨格のように作り上げられたものまで。
    役者達の芝居の秀逸さが、
    それらの表現に切れ味のあるニュアンスと力を与えていきます。
    個々の役者が積み上げた感情には、
    手練を生かすだけの奥行きがあるのです。

    知っている物語なのに、
    惹き込まれて、目を見開き、浸潤され、
    ボリューム感を持った面白さに満たされて。
    コマの関係でもう一度この作品を観るのが難しいことが凄く残念。

    あと、うまく言えないのですが、
    黒澤演出と谷演出、両方観たことから
    同じ戯曲という土俵の上での優劣を感じるのではなく、
    それぞれの演出の良さがやってきたことで
    とても豊かな気持ちになれて。
    何かが生かされれば何かが隠れる。
    優れた戯曲と演出の関係にはそんな部分があるような気もして。

    同じ素材からやってくる異なるテイストのすばらしさに
    べたな表現ですが、
    演劇っておもしろいとわくわく思ったことでした。

  • 【プルーフ】初日、一日目。
    反りの合わない姉妹。偉大な数学者であり大学で講義を持っていた父親。彼を慕ってその元で学んでいた青年。妹と父親は愛着のある家で長きを共に暮らし、やがてその生活に終わりが訪れる。変わっていくもの。変わらないもの。受け継がれるもの。途切れるもの。答えのあるもの。答えのないもの。示し様のないもの。これは、ある証明を巡る物語。
    誰が何を考えているのか分かりやすい点でいくとある意味「小部屋の中のマリー」とは真逆な様で、そしてまた似てもいたり。そう、この話は非常にスマート。『数学の話は難しそうだなぁ』なんて印象は冒頭の内に捨てたほうが吉。別に数式に当てはめた伏線とかは出て来ないから大丈夫。これ自体は人の在り方についての話。
    過去の上演との比較。おやつの時間堂では企画の形式もあって「新鮮味」が、コロブチカでは「深み」があった。そしていよいよ翻訳者自らの演出。個人的には「適切」な印象。上演時間も大分スリムになって脚本をあちこちいじっただろうに違和感はないし、無理に表現を変えた箇所もない。演技の違いは役者の違いが根源であって、演出技法で演技面に特異な見せ方を引き出した感じはない。役者に任せる部分は任せつつ、しっかりチームで作られたのだろうと思う。この座組で上演するに当たっての「適切」。
    自分が座ったのは最前列の下手席。たまたまだったけど、個人的にはここがベストポジションだった気がする。役者の顔もちょうど観たい角度で観られたし。とりあえず、舞台上を観る事に集中して入り込みたい人は中央通路からちょっと離れたほうが良いかも。
    最後に『今後の活動の為にアンケートを〜』というお馴染みのアナウンスに対して「じゃあ、いつかはその今後があってくれよ」と心の中でレス。劇場は22時退館の様です。夜の回ならアンケートは途中休憩の間に書いたほうが良いです。

    ネタバレBOX

    観ていて入り込むとふと日常感覚を失い掛けるけど、姉のクレアは何も間違っていなくて。妹があの状態なら姉の立場として取るべき行動を取っているだけ。ただ、キャサリンが家にいたがるのがピュアだからクレアが悪に見える。同じ様に気が違って極寒の屋外で数学にのめり込む父親もピュア。その時のキャサリンの対応も結果的にはクレアと大差ないはず。ピュアは汚されるものであり、儚い。
    最初の場面のキャサリンが他の「Proof」よりもダルそうだった。日常で有り得るテンションだったからこそ、観る側も目線を定めやすかったはず。その分、初見の方にとっては父親が既に死んでいると分かった時の意外性は大きかったかと。
    例のノートが「発見された」となった時にキャサリンが言い出すまでの顔。これまでのバージョンよりも早い段階で分かりやすく表情に否定の色が出ていた様な。このほうがすんなりしていて良かったかな。
    あぁ、場転方法は好き嫌いあるかも。休止前作品だから演出家が好みの音楽を使いたかったのか?という気も。少なくとも思い入れがあっての形なのは確か。

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