岸田國士戦争劇集 公演情報 岸田國士戦争劇集」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-6件 / 6件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ☆☆☆☆✬

  • 映像鑑賞

    満足度★★★★

    「動員挿話」
    戦前の戯曲なのに、これって分かる~というあるあるが岸田國士の芝居の面白さだ。
    大概の男はたとえ最愛の妻がどう言おうと、世間体や仲間内の見栄からは逃れられないものらしい。
    死んで見せたところで、無駄なのだ。

    「かへらじと」
    地区の原爆慰霊式で献花をしてきた。
    国家のためだろうと、友情のためであろうと、戦争は人殺しに行くことだ。その先に何の仕合せがあるだろうか。
    手柄を認めた将校役と息子の求婚に出向いた父親を同じ役者に演じさせた。そこに批判的な意図を感じる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/07/10 (日) 15:00

    【動員挿話】
    仕えている軍人から日露戦争出征への同行を求められた馬丁とその妻を中心とした物語。
    男尊女卑傾向が強かった当時にあれだけ主張する妻が痛快だし、それだけ夫を大切に想っているのが顕れて素敵であり、数年前によく観た岸田作品との共通項か?

    【かへらじと】
    冒頭部分と後半の演出が印象深く、青空文庫で戯曲を読んで独自のものと確認。
    さらに抽象的な舞台美術により二幕ものを幕どころか暗転もなく通して見せたことも知り、これが演劇/演出の面白さだなと再認識。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    戦争にまつわる「動員挿話」以外の岸田戯曲に関心。勿論「動員挿話」も楽しみであった(私の中での出色は青年劇場のそれで、併演した秋田雨雀作「骸骨の舞跳」との合せ技で剛力な舞台であった)。
    二人組の漫才のような一本「戦争指導者」(現代の漫才ノリでやるのでオチない)を挟み、一時間の「かへらじと」が上演される。これは1944年作、岸田國士の「戦争協力」期間に書かれた唯一の戯曲という。これをDULL-COLOREDは心情たっぷり心を込めた芝居にした。
    戦争協力「せざるを得ない」劇作家が、質の高い作品を目指して物した戯曲でも、戦死した青年の武勲の理由を「忠君愛国」からズラすのには限界があり、虚しい努力と悟らざるを得ない代物であった。
    谷賢一氏は本域でこの戯曲を舞台化し、男たる者の本懐を遂げた主人公を称揚する上官、隣近所、家族を登場させる。これが、居心地悪い事この上ない。

    戦死の報を受けた家族の元に、戦地で彼が所属した部隊の上官だった者が負傷した足を引き摺りながら、彼の死に様を語り聞かせるために訪れる。異例の事である。
    死に急ぐかのように敵前に突進し、一度目は戦果に繋げ、二度目は倒れた我らが戦士の行動に、実は幼い頃自分の遊び道具の弓矢で片目を失明させた親友の思い(兵役への志願)を肩代わりした意味を見出すのは、親友本人である。恐らくはその父、戦死者の母も・・。主人公はかねがね自分の妹がその親友と双方思い合っていて、親友が引け目を感じている事も知っており、妹をもらってくれと説得もするが、いじけた親友は自分が「真っ当」と評価されるのは徴兵検査で甲種合格して戦争に行く事しかない、という典型的な落ちこぼれ根性の体現者で、頑なにいじけている彼を見て、兄は妹に彼を諦めるよう告げもする。だが、上官の話の中で、無謀な行動に対する部隊長からの質問に、主人公が「自分一人分の命ではない」事を告げたという。親友はこの話を聴いて慟哭するのであるが、親友の父は息子にかわって英霊の母に、娘をもらえないかと申し入れる。つまり一つの命の犠牲が、国家のためでなく一つの命(夫婦の誕生)を生み出す因果に転換したのが、岸田國士の「苦肉の策」だったのであり、たとえ戦争協力を公言した身でも、「作品」が「国のための死」の称賛の手段に堕する事を許せなかった、と想像されるのである。
    しかし、作品自体は戦争が否定されていない点において、一つの武勲を生んだ「裏話」の域を出ておらず、戦中の価値観が充満し、こういう風景が再び日本に訪れるかも知れないが、満更でもないな、そこにもドラマはあるのだ、と思わせる。
    ウクライナ侵攻が、日本の防衛理念転換のエポックになろうとしているが、なるほど、兵役対象年齢の男性が出国禁止となっているウクライナに、よりシンパシーを覚える日本人は、「巻き込まれた戦争」に殉じる「物語」を抵抗なく受け入れるのかも知れない。本作はそのイメージトレーニングの意味を持った。これがダルカラ谷賢一氏の意図であったのかは聞いてみたい。
    貴重な戯曲紹介ではあったが願わくは的確な注釈なり演出を施されたかった。

    ネタバレBOX

    コロナにより赤組の初演が後にずれ込んだ。白組を見て、その一週間後に赤組を観た。
    こなれたせいもあろうけれど、白組に軍配。「動員挿話」の捨吉とその女房の関係、捨吉の主人への恭順と正直(女房には敵わないと告げる)、翌朝態度を変えた捨吉と女房のやり取り、この二人の造形は、二組とも見事、正解を打ち出したが、白組が細部にわたってリアルで信じられ、それだけに悲痛な最後に苦しくなった。

    「かへらじと」では、白組は戯曲に沿った、時局協力な内容ながら人物の形象が深いので芝居としては観られる(何だかなぁと思いながらも、である)。ただ一回目だったせいか人物判別があやふや。赤組は戯曲紹介にとどまった感がある。この演目では「その他大勢」の出演が多いようで、録音を多用し、それがため「作り物っぽさ」が醸されていたようにも思うが、谷氏的には異化効果を狙ったのだろうか。
    この戯曲を相対化するには、如何にも戦前な庶民の会話をカリカチュアして発語させ、武勲を語る上官を、ソ連軍侵攻に市民を置き去りにして撤退した満州の軍人をイメージさせる形で描く。その位の事はやって良いように思ったが・・。赤組の軍人役の東氏はその線を探ろうとしたようにも。

    しかしこの国は経済的敗北も、人権やメディアリテラシーその他の指標の低さも、直視したくないさせたくない事のために「今は大変」気分が演出され、有事体制に繋げられようとしていると見える。
    まさかと思っていたが、テレビがメディアの責務としての参院選挙の話題提供を殆ど行わなかった事を見ても、無理筋を通す事態もあり得ることに思えて来る。
    戦争、あるいは戦争を理由にした人権制限、管理・監視体制、情報統制・制限の時代は、割と近いかも知れない。昔はこんなしょぼい国、出たいな、なんて思った事もあったが(中学生の頃ね)、そんな事はもう叶わないし、国を憂うるなら逃げるべきでない、なんて事を劇団印象「ケストナー」のケストナーを思い出しながら考える昨今である。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2022/07/16 (土) 11:00

    最前列で観劇したら、舞台に引き込まれる感がすごく、戦時中の空間に座っている錯覚をした。
    照明の演出がキレイだった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★

    難しく考えなきゃいけない圧がえげつないので高卒以下は観てはいけません。

このページのQRコードです。

拡大