ベンガルの虎 公演情報 ベンガルの虎」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 出会い方が悪かったのかもしれない
    演劇そのものとは直接関係ないのだが、前半は、なぜか笑いのシーンでもないところで、奇妙で大きな笑い声を上げるおじさんがいて、その気味の悪い笑い声と笑いの後に必ず「フー」とか「ヒュー」とかの歓声(?)みたいなものが気になって気になって、全然気持ちが入らなかった(酔っぱらい?)。
    ひょっとしたら、当時は、こうやってワイワイガヤガヤと観劇していたのかもしれないのだが(後半、舞台に声援みたいなものが飛んでいたし)、その感じが合わないのだろう。ダメだったのだ。

    後半は、桟敷席だったので、とにかくお尻が痛くなって、やっぱり舞台に集中できなかった。

    だから、私の観劇としては失敗で、星は付けない。

    ネタバレBOX

    そんな状況だったので、感想としては偏ってしまうのだが、たぶん70年代にこれを観ていたら、刺激的でそれなりに感激したと思う。
    ただ、今は2009年。昔と比べ演出がどの程度変わったのかはわからないが、観客に向かって叫んで台詞を言う、のような感じがどうも古くさく思えてしまった。
    ラストもこけ脅しと言うと言い過ぎかもしれないが、「どう、凄いでしょ」という声が聞こえてきそうで、冷めている私がいた。

    この脚本を現代に上演するということは、いったいどういうことなのか、が伝わってこない。
    それは、内容を現代のモノに置き換えるということではなく、現代にも通じる何かがあるから上演するのだろうから、それを見せてほしいと思うのだ。
    笑いおじさんの笑いとお尻が痛い私には伝わってこなかった。

    演じる人たちは、熱演だったと思う。カンナ役の方は歌も良かった。そう、歌のパートは全般的に好印象。水島の愛人の目つきや雰囲気も良かった。

    そして、中山ラビさんの歌はとても素晴らしかった。これがあったので、来て良かったと少しだけ思えた。

    ちなみに客席にいた笑いおじさんは、カンナが夫の水島を誤って刺してしまうところでも、ゲラゲラ笑っていた。確かにベタすぎで苦笑してしまうのだが、そこは笑い声を上げるところではないだろうと。万事この調子だったので辟易してしまったのだ。

    この舞台は、笑いおじさんのように自ら飛び込んで楽しまないとダメなのかもしれない。うまくそれに乗れなかった私は、疲れただけだった。出会い方が悪かっただけなのかもしれないが。
  • 満足度★★★★

    唐十郎の70年代の名作
    比較的シンプルでストレートだった70年代唐作品を現代に再現させようとした試み。健闘していたと思う。以下ネタバレで。

    ネタバレBOX

    そもそも根源的なところから考えてみると、70年代唐作品を(新しい解釈ではなく)再現させることは、70年代唐作品を越えられないということで、それでは上演する価値はないのかといわれれば、それでも価値はある、と思う。という前提で。

    唐十郎演出の唐作品は、頭の中から湧き出でるイメージをこれでもかと形にしていくといった様相で、勢いがある反面、荒さがある。それに対して他者の演出する唐作品は、別の脳みそで作ったものを形にしていくわけで、戯曲検討やその他一定の理論や計算を経る必要があるせいか、一種の落ち着きというか、緻密さの感じられるものが多い。名台詞をアドリブで頭に浮かんだ端から語る場合と、いったん文字にして台詞を考えた人以外の役者が語る場合の違い、というのだろうか。

    多分初演の状況劇場の舞台は、見てはいないが、出演者のアクといい、勢いといい、すさまじいものたっだと思う。それに比べると今回は「再現」を目指した分、アクも勢いもおとなしめだったのではないだろうか。だからこそ見やすい、という面もある。

    とにかく、いい戯曲だと思う。「白骨」のモチーフがバッタンバンと入谷、(多分1972年に休止となった後楽園)競輪場を縦系列に駆けめぐり、そこに東南アジアに身売りされた「からゆきさん」、ビルマの竪琴に見られる帰国兵、高度経済成長を作り上げたジャパニーズ商社マン、錦糸町のキャバレーのホステスが横系列に絡む。台詞のひとことひとことが、唐独特のリリカルさと偽善ならぬ偽悪(もしくは偽エログロ)のマスクをかぶったピュアさにあふれている。それを素直に、アクなく、形にしたという印象。

    中山ラビの圧倒的な歌唱力、十貫寺梅軒の円熟味(唐っぽい)、裴美香の舌足らずな台詞とぶっちぎれぶり、渡会久美子の凜とした立ち姿が印象的。

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