赤目 公演情報 赤目」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 映像鑑賞

    満足度★★★★★

    年も押し詰まったどさくさに「赤目」の字が目に入る。斎藤憐の作、とだけ記憶にあったが御大の王道的作品をちゃんと鑑賞した事は無かったが、幸い配信があり目にする事ができた。
    紙芝居の絵描きだった三郎は、テレビの普及で衰退の一途を辿りつつあった紙芝居という手法で一つの作品を書き上げたいのだと言う。周囲には、紙芝居の時代が続くと信じ巡業に励む若手第一人者や、人形劇団を立ち上げて活動を模索する青年、「食えない」稼業を志して来た風変わりな新入りの少女、等が居り、彼らが「表現」に取り組む姿を通して当時の世相を語らしめる。が、やがてこの作中の「現代」から、冒頭紙芝居でそのさわりを見せた「磔茂左衛門のお話」の続きとなる三郎の作品「赤目」がいつしか本域で劇中劇である事も忘れさせて怒涛の如く展開する。殆ど妥協のない権力の描き方に私は「カムイ伝」を思い出したが、長い劇中劇が終わり、前半から時代が下った「現代」に場面が戻ると、今は伴侶(かつての新人少女)との生活を得ている三郎の苗字=黒田の黒と三から、「あ、白土三平だったか」と漸く思いいたった。
    学生運動の事を言ってるらしい「たった数年前のあの出来事」という台詞が、観客に届かせる台詞として言わせているので、相当古い作品らしいと気付く。高度成長のさ中、冷戦構造の恩恵を被り、国家の罪責が不問に付される現実に、若者は自らのあり方を問われ、その多くが社会運動という形態に流れ、また表現する者は当然表現の意味を問われていたんだろう。世代が違うので想像するしかないが(もっとも変わり者の私はその「想像」の材料を学生時代殆ど義務のように漁った口であったが)、作者はこのことについて書かずにおれなかったのだな。
    斎藤憐戯曲は10年以上前、あるアマチュア劇団が果敢に挑戦した舞台を見て、現代の社会派戯曲のスタンダードな筆致に思えたものだったが、今作で全く印象が変わった。

    舞台成果としては、魅力ある役者の立ち姿もさりながら、3度目位になる久々の黒澤世莉氏の演出が堂に入った印象である。
    とにかく劇中劇となる「赤目」には痺れた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    第一幕70分休憩10分第二幕80分。
    白土三平の紙芝居時代から貸本劇画時代への変遷期を、劇中劇としてマニアックな初期作品『赤目』と共に綴る。白土三平の会話の内容がかつての左翼文学っぽく、自省的でちょっと難解。何かを言おうとすると「いや違う。本当は僕はそう思ってはいない。」的に自らすぐに打ち消しにかかる。独り言のように繰り返される自問自答。1967年に書かれた斎藤憐(れん)のこの作品を白土三平は観たのだろうか?
    1958年(昭和33年)、紙芝居画家の白土三平(直江里美さん)は金野(こんの)新一(野村亮太氏)の下で共同生活をしながら働く。しかし、テレビの普及に伴い紙芝居の人気はどんどん落ちていく一方。仲間の瀬川拓男(渡邊りょう氏)は指人形劇団太郎座を率いて全国を巡業している。(実際の時代とは3年程ずれている)。後に妻となる李春子(百花亜希さん)がそこに移り住んでくる。紙芝居屋に人生を賭けると言っていた満州帰りの吉やん(國松卓氏)はある朝書き置きをして去って行く。貸本漫画家の誘いを受けつつも紙芝居による表現に拘る白土三平。上野国(こうずけのくに)〈群馬県〉の義民・磔茂左衛門(はりつけもざえもん)を描いていく。将軍に農民の窮状を直訴した罪で、妻子もろとも川原で磔刑に処せられた郷土の英雄。そのうち、白土三平は自分が描きたいものがどうも違うことに気付き出す。「物事の結果がどうであるかはどうでもいいんだ。大事なのはその過程で、具体的に何をしたのか?なんだ。」

    『ドップラー』の主演で印象を残した國松卓氏はいつも汗だくで目が座っている。何か痩せたような。百花亜希さんは観る度に役柄の纏うイメージが違うので、一体どんな女優なのか未だに掴めない。今作のような陰々滅々たる物語には彼女の明るさが必須。キーボードコンダクターの後藤浩明氏とコントラバス奏者の藤田奏(すすむ)氏の生演奏が最高だった。
    新聞紙を上手に使った美術、段ボールの紙芝居、「金は無いがアイディアは有る」気概。

    ネタバレBOX

    白土三平の『赤目』が劇中劇として挿入。領主信平の圧政に耐えかねた百姓・松造(菅野貴夫氏)達は蹶起し、一揆を起こすも種子島(火縄銃)の前に悉く敗れる。身重の妻を惨殺された怨みを抱いたまま、何とか生き延びる松造。忍者に拾われ数十年修行を積むも、「才能なし」と大怪我をしたまま打ち捨てられる。山猫の大群に襲われたところを猟師に助けられるも、片目と片脚を失う。自分を救ったものが因縁の種子島であった事に項垂れる。猟師の言葉、「餌である“赤目”がいないせいで山猫が人を襲う」にピンと来る松造。「赤目」とは兎のことである。
    郷里の村に帰り、廃寺に棲み着く松造はいつしか「上人」と呼ばれるようになる。松造は「赤目教」と云う兎を崇める新興宗教を広めていく。段々と「赤目教」は広まり、村人が兎を殺さなくなった為、兎は増え続ける。兎を餌とする山猫も増え続けていくも、今度は兎の食べる野草が無くなる。無理して何でも食べようとしたせいで、疫病が発生し兎は大量死。松造は人の死体を山猫に食わせ、味を覚えさせる。飢えた山猫は無差別に人間を襲うようになる。領主信平は百姓達に種子島を渡し、山猫駆除を命ず。それを手にした百姓達はくるりと踵を返すと、種子島を城に向ける。

    3年後、大人気の劇画家として成功を収めた白土三平に、瀬川拓男は『赤目』のラストを褒め称える。「民衆が主人公となって初めて自らの意思で銃を権力に向けたんだ。このラストは君にしか描けない。」
    それを否定する白土三平。「本当のラストシーンなど誰にも描けない。」、筆を手に狂ったように加筆していく。一揆が成功して勝利の歓喜に沸く百姓達。復讐を遂げた松造は「まだ何も終わってはいない!今から始まるのだ!」と檄を飛ばす。ポカンとする群衆。狂ったように皆に斬り掛かる松造に「上人様が狂った!」と逃げ惑う人々。「まだだ!まだだ!まだだ!まだだ!」と暴れ続ける松造と「松造!狂え!狂うんだ!」と描き続ける白土三平で終幕。

    原作の『赤目』のラストは、領主信平の首をぶら下げた松造が気がふれて何処かに歩き去って行くもの。

    難解な作品だが、ラストの昂揚は素晴らしい。
  • 実演鑑賞

    白戸三平というかカムイ好きなのでみました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2021/12/31 (金) 13:00

    年の最後にものスゴイモノを観た。面白い。
     黒澤世莉の新ユニットの旗揚げ、と言うか、行き先を探すための公演だそうだが、斎藤憐の1967年初演戯曲を黒澤が演出。白戸三平をモデルにしているが、やや遅れてリアルタイムに経験した白戸体験と重ねてみると、非常に興味深い。75分(休10分)80分強が長く感じない。1959年頃の白戸の体験と、作品である「赤目」の劇中劇が同時に進行しつつリンクする1幕に対して、2幕は冒頭45分ほどが劇中劇に費やされるという対照的な展開になっている。「赤目」は小さい頃に読んだことを、2幕が始まって思い出す。力量ある役者陣が丁寧に演じ、終盤5分の展開は一気に見せて見事(ただし白戸本人は、ああいった存在と観られることを嫌がっていたという話もある)。百花亜希の華のある役柄が印象に残る。新聞紙を使った演出も強烈な印象。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    #黒澤世莉 #蔭山ひさ枝
    #上条拳斗 #菅野貴夫
    #國松卓 #高田遼太郎
    #直江里美 #野村亮太
    #百花亜希 #渡邊りょう (敬称略)
    劇的だった。それは、劇とはそういうモノだという意味で劇的だった。自由だった。どんでん返しとは違うけれども、辻褄がどうとかを超越してしまったような感覚。支離滅裂とまでは言わないが、意外性と言うか、危うさみたいなモノを感じた。
    群馬県民なら誰もが知っている上毛カルタの『て⇒天下の義人 茂左衛門』。上野国、沼田、月夜野……、暴君の領主と苦しむ農民が、現代の身勝手な政治家と希望を持つことを諦めた民衆に映る。
    誰かを活かし、自分を活かす。何を選び、何処へ向かうのか。進むべき我が道を見極めなければいけないと、新年を迎えるにあたり考える機会となった。
    2021年の最後を百花亜希さんで締めくくれた幸せを噛みしめている。

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