公演情報
「帰還不能点【3/13・14@AI・HALL】」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★★
鑑賞日2021/02/26 (金) 13:00
「全員を助けられないことは、一人を助けない理由にはならない」回想中の山崎が言う言葉。
確かに総力研の力では、日米開戦は避けられなかったかもしれない、でもその被害を1割でも2割でも減らすことはできなかったのか。すべては全か0かなのか。
彼らは、自らの無力さに耽溺し、全てをあきらめてしまったのではないだろうか。もう少し頑張って抵抗していれば、今1つの命だけでも救えていたかもしれない。そんな悔恨の情が、ラスト舞台を漂う。久米首相、久米首相、ご判断を!
ただただ泣いた。過不足のない役者の配置とセリフ配分、そして淀みなく綴られる劇中回想劇。ほぼ居酒屋と言うほぼ一幕劇で、あの大陸の血なまぐさい空気と官邸内での策謀と傲慢、そして登場人物個々が抱える現在の自分への不安や贖罪意識、よくも描き切ったと思う。
満足度★★★★★
個人的に注目な俳優ぞろい、しかも紅一点に黒沢あすか(初お目見え)という思わせぶりな布陣に惹かれて観劇。無論今作のテーマも注目なのであるが、戦争を巡る議論の本丸とも言える「開戦に至る経緯」、古川氏なら骨太に書いてくれるだろうと、期待しつつも幻滅を覚悟で、よっしゃと足を運んだ。
すこぶる評判が良いので、逆に怪訝に思う。というのも、史実とその問題点に触れながら人間ドラマとしての着地ができた優れた舞台であったから。自分と世間の感覚はずれている、と思っているので「なぜ受け入れられたのか」と考え始めてしまう。
劇チョコは「あの記憶の記録」の2013年以来、だいぶ見落としたと思っていたら、ほぼ全て観ていた。振り返れば「エレジー」を例外としてどれも大きな歴史的事象を題材にした舞台。戦後囚われの身となったナチス親衛隊が罪と向き合う「親愛なるわが総統」、南京大虐殺の実行責任者として処刑された松井石根の罪の認識に迫る「無畏」、いずれも第三者的人物との対話から「罪」の焦点となる部分に迫るという、優れた「内省」の軌跡を描く劇であったが、今回は「総力戦研究所」(劇では開戦前1941年に若手エリートが集められ戦争遂行の実現性が検討されたという)の所員が戦後、亡くなった仲間を悼むために久々に集ったという設定で、それぞれの思いが交わる群像劇となっていた。
酒宴の中で「研究所」時代を回顧し、雑談の中で「問題」に触れて行く手法は、直接の利害関係人のいない日常感覚を観客も共有しながら話題に入って行く効果を持つ。
そうする中で、わずか10年前に開戦か否かを決するプロセスに(結果は同じであったにせよ)「関わった」事実の軽重が、各人各様にあるというあたりが見えてくる。
彼らは亡き仲間の追悼のために集まったのであったが、前半は「研究所」でみた風景の再現に興じ、日中戦争期間の軍と政府の「決定」の是非が話題になる。そして誰一人、開戦が勝利を導くとは考えなかったと言う。だが後半、会場となった料理店を営みホストをする亡き仲間の夫人を通して、生前の故人の事、そして集った者同士の近況、つまり戦後の時間枠へと意識が向かう。
劇の相をガラリと変えるのは、夫人とその「伴侶」となった故人との出会いとその後のエピソードの回想からだ。またどことなく伏線となっていた、故人と辛うじて連絡が取れていたという一人の広島体験の証言も・・。具体的な「死」の場面が、日本の指導者が導いた戦争による犠牲を想起させ、戦後の生の全てを償いのために捧げたらしい故人の姿から、焦点は戦後責任、即ち現在の自分たちの態度にシフトする。彼ら総力戦研究所(そのものが描かれているかは判らないが)の元所員が、政府の政策遂行者に対し何を為し得たのに何を為し得なかったか、歴史のifへの想像力が動員されていく。
現在、日本の過去の侵略的要素を含む事実が「不利」と認識され、現在の日本にとって不利であるゆえにそれを認める事を避けるべきだ、との合意がある。日本が侵略をしていない、とする認識は事実ではなく、虚偽事実が独り歩きしているが、これを選択する人は「日本に不利なことを言いつのって日本の不利を確定し、自らに利を誘導しようとするコスイ策謀だ」とする陰謀論で「敵」を見出して喜ぶ類。敵というものにしがみつきたい層が相当程度存在すること自体この社会の不健全さを表すが、あの戦争で他国民を殺戮した数には及ばないまでも百万単位の自国民の死者を出した事の方を問題にするなら、「学ぶ」べき事はもっとある。
「しっかり考える」という態度を持ちたいものだがこの作品は情熱をもって「あるべきこと」へ向かおうとした戦後間もない日本人の姿を映してもいた。
(歴史的には1980年代までの日本での戦争責任論は為政者の国民に対する責任を言い、他国への侵略行為の責任が議論されるのは後の事になる。)
満足度★★★★
太平洋戦争にあれだけ不利が明白だったのになぜ日本が参戦したか。戦後さまざまなところでその理由は論じられてきたが、これは当時の若手エリートを官、軍、民間から集め、内閣のブレーンとなるべく設立された総力戦研究所の記録を素材に、国が開戦の決意をする帰還不能地点を探る歴史探索のドラマである。
のっぴきならなくなる帰還不能点が、仏領ベトナム南部の油田占拠のための進駐の時点(アメリカの強硬姿勢の引き金となった)と言うのは、おおむね現代史では認められているところで、この作品はその不能点を確定するよりも、既に明らかになっている多くの資料の上に立って、科学的に検討すれば、だれもが日米戦回避となる結論が、なぜ内閣をはじめ、国民の総意にならなかったか、を描いていく。
この作品を特徴づけるのは、それを明らかにするユニークな手法である。
戦後五年、総力戦研究所のメンバーはそれぞれの持ち場で市民に戻っている。その仲間の一人、日銀から出向していた一人が亡くなって、その人が戦後にむかえた後妻が経営している居酒屋で開かれるしのぶ会に当時の会員が集まってくるところからドラマは始まる。すでに数人の故人もいるが、生き残った彼らは、自分たちの研究が戦争を止められなかった理由に改めて向き合うことになる。集まった九人のメンバーはかつての開戦前の自分たちの意見がどのように当時の施政者、政府や軍によって退けられていったかを演じてみるのだ。ここも普通は一人一役になるところだが、夫々がいろいろな役を演じる。つまり、東条も松岡も近衛もいろいろな研究員がやる。その趣向は、意外に利いていて、誰もが行き当たりばったり時世に流された判断しかできなかったという事を如実に表すことになった。反面、研究員ひとりひとりは、それぞれの専門分野で事実と科学に基づいて開戦反対を唱えるのだが、その背景となる個人の信条はえがかれていない。
それが描かれるのはドラマの枠になっている戦後のシーンだが、ここは、亡くなった研究員の後妻(黒沢あすか)のドラマが、圧倒的でほかの研究員のエピソードはかすんでしまう。
戦争を止められなかったことを深く恥じた故人は、戦後闇市の仕切りや担っていたのだが、たまたま、戦後の混乱の中で自殺しようとして見も知らぬ女を助け、生活のためになるならと後妻にまでしていたのだ。おおきな社会の悲劇を救えなかったからといって、ひとりの悲劇を見過ごしていいという事にはならない、と言うのが彼の戦後の信条である。ドラマの全体の軸として舞台となる居酒屋の女将でもある女性の運命が、前半の国の運命の裏打ちとなって効果を上げている。惜しむらくは黒沢あすかはガラはいいのだが演技がストレートで、戦後を生き抜いてきた女には見えないところだが、それはないものねだりだろう。
全体は、メタシアター作りの歴史ドラマと言ってしまえば、その通りなのだが、責任を押し付けあう倫理感の乏しさが当たり前になっている今の世の中では上演する意味は大いにあった。それは、単に芝居のスタイルとしてメタシアターであるなし、などという事を超えて、
歴史を俳優という肉体を使って立ち上げてみるという演劇の効用だろう。
少年のころ見た東条の演説が(まったく形は違うが)いまの総理大臣の論理構成と全く同じであることにも気づかされた。これもまた演劇の効用で、権威的な政府が演劇を弾圧したがる意味もよくわかった。
満足度★★★★★
日中戦争から日米開戦まで、どこで選択を誤ったのかを検証していく。珍しい知的社会派エンターテインメントといえる。歴史の検証を楽しく見せた戯曲・演出・俳優の軽妙な演技は素晴らしいものである。近衛文麿の目印をえんじ色のたすき(勲章?)に、松岡洋右は帽子を目印に、歴史上の人物を違った役者(登場人物)が入れ替わり立ち代わりして演じる。おかげで変化が生まれて全く飽きなかった。ただ、近衛文麿と松岡洋右の責任が大きいとするのはどうか? わかりやすいが、零れ落ちるものも多い気がする。ただ、東条英機を主犯のように扱う俗論ではなく、一つの歴史の見方として説得力があった。自分でも調べてみたい。
加藤陽子『とめられなかった戦争』と日中戦争と日米開戦はダブルが、その途中、日独伊三国同盟や南仏印進出はあまり考えていなかったので、ここは発見であった。
加藤陽子は満州事変までさかのぼっているし、わたしがかつてこの問題で記事を担当したときは対華21か条の要求までさかのぼった。日露戦争の勝利や、明治維新にまでさかのぼる人もいる。奥の深い問題だが、あまり「歴史の必然」ばかり考えると、ありえた別の道が見えなくなるのは注意。
1941年の「総力戦研究所」の模擬内閣は史実。そこに注目した発想が面白い。その史実から発想して、日中戦争からの歴史の検証に広げたのが古川健氏の工夫である。
満足度★★★★★
凄え舞台。「兎にも角にも絶対観ておいた方が良い」としか言いようがない。よくもこんな脚本が書けたものだ。
日米開戦前、総力戦研究所に集められた民・官・軍の若手のエリート達。シミュレーションを試行するも結論は日本必敗。しかし日本は戦争に突入し、シミュレーション通りに敗けた。
戦後、同僚の三回忌に奥さんの居酒屋に集まる面々。そこで即興劇宜しく日本がどうやって間違えていったのかを再現してみせる。
役者陣は実際に飲み食いし、とことんリアルを追求。黒澤明の『どん底』を思わせる演技合戦。
もうこれは映画ではないか。カメラを回せば、大島渚の『日本の夜と霧』のような作品が撮り上がる完成度。岡本喜八の『日本のいちばん長い日』や庵野秀明の『シン・ゴジラ』調のポリティカル・エンターテインメント。(ゴジラは日米開戦。)
黒澤明(原作山本周五郎)調の人間の熱い血がどくどくと脈打って流れている。演出の狙いは『生きる』の後半っぽくもある。
独りアウトレイジの粟野史浩氏はいつもながら最高。
この題材をエンターテインメントにする作家の力量に敬服。
満足度★★★★
鑑賞日2021/02/19 (金)
価格4,330円
19日初日の舞台(2時間弱)を拝見。
終戦から5年。病死した同期を偲ぶため、その妻の営む居酒屋に集った「総力戦研究所」の研究生達が、日米開戦の意思決定までの経緯を振り返り…。
登場人物達によるロールプレイング的な進行で訴えかける、実に見応えのある2時間だった。
それから、本題からはそれるが、劇中、ちょっとだけ登場する広田弘毅の印象が、私が承知していた『落日燃ゆ』(城山三郎著)でのそれと正反対だったのに、少なからずショックを受けた。
軍部や松岡洋右への見方が劇中でも揺れていくのと同様、歴史上の人物・組織を評価することの難しさを、改めて思い知らされた。