満足度★★★★★
個人的に注目な俳優ぞろい、しかも紅一点に黒沢あすか(初お目見え)という思わせぶりな布陣に惹かれて観劇。無論今作のテーマも注目なのであるが、戦争を巡る議論の本丸とも言える「開戦に至る経緯」、古川氏なら骨太に書いてくれるだろうと、期待しつつも幻滅を覚悟で、よっしゃと足を運んだ。
すこぶる評判が良いので、逆に怪訝に思う。というのも、史実とその問題点に触れながら人間ドラマとしての着地ができた優れた舞台であったから。自分と世間の感覚はずれている、と思っているので「なぜ受け入れられたのか」と考え始めてしまう。
劇チョコは「あの記憶の記録」の2013年以来、だいぶ見落としたと思っていたら、ほぼ全て観ていた。振り返れば「エレジー」を例外としてどれも大きな歴史的事象を題材にした舞台。戦後囚われの身となったナチス親衛隊が罪と向き合う「親愛なるわが総統」、南京大虐殺の実行責任者として処刑された松井石根の罪の認識に迫る「無畏」、いずれも第三者的人物との対話から「罪」の焦点となる部分に迫るという、優れた「内省」の軌跡を描く劇であったが、今回は「総力戦研究所」(劇では開戦前1941年に若手エリートが集められ戦争遂行の実現性が検討されたという)の所員が戦後、亡くなった仲間を悼むために久々に集ったという設定で、それぞれの思いが交わる群像劇となっていた。
酒宴の中で「研究所」時代を回顧し、雑談の中で「問題」に触れて行く手法は、直接の利害関係人のいない日常感覚を観客も共有しながら話題に入って行く効果を持つ。
そうする中で、わずか10年前に開戦か否かを決するプロセスに(結果は同じであったにせよ)「関わった」事実の軽重が、各人各様にあるというあたりが見えてくる。
彼らは亡き仲間の追悼のために集まったのであったが、前半は「研究所」でみた風景の再現に興じ、日中戦争期間の軍と政府の「決定」の是非が話題になる。そして誰一人、開戦が勝利を導くとは考えなかったと言う。だが後半、会場となった料理店を営みホストをする亡き仲間の夫人を通して、生前の故人の事、そして集った者同士の近況、つまり戦後の時間枠へと意識が向かう。
劇の相をガラリと変えるのは、夫人とその「伴侶」となった故人との出会いとその後のエピソードの回想からだ。またどことなく伏線となっていた、故人と辛うじて連絡が取れていたという一人の広島体験の証言も・・。具体的な「死」の場面が、日本の指導者が導いた戦争による犠牲を想起させ、戦後の生の全てを償いのために捧げたらしい故人の姿から、焦点は戦後責任、即ち現在の自分たちの態度にシフトする。彼ら総力戦研究所(そのものが描かれているかは判らないが)の元所員が、政府の政策遂行者に対し何を為し得たのに何を為し得なかったか、歴史のifへの想像力が動員されていく。
現在、日本の過去の侵略的要素を含む事実が「不利」と認識され、現在の日本にとって不利であるゆえにそれを認める事を避けるべきだ、との合意がある。日本が侵略をしていない、とする認識は事実ではなく、虚偽事実が独り歩きしているが、これを選択する人は「日本に不利なことを言いつのって日本の不利を確定し、自らに利を誘導しようとするコスイ策謀だ」とする陰謀論で「敵」を見出して喜ぶ類。敵というものにしがみつきたい層が相当程度存在すること自体この社会の不健全さを表すが、あの戦争で他国民を殺戮した数には及ばないまでも百万単位の自国民の死者を出した事の方を問題にするなら、「学ぶ」べき事はもっとある。
「しっかり考える」という態度を持ちたいものだがこの作品は情熱をもって「あるべきこと」へ向かおうとした戦後間もない日本人の姿を映してもいた。
(歴史的には1980年代までの日本での戦争責任論は為政者の国民に対する責任を言い、他国への侵略行為の責任が議論されるのは後の事になる。)