ノート 公演情報 ノート」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
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  • 約1時間50分。オウム真理教の地下鉄サリン事件を、私はオンタイムに経験していた世代。誰が、なぜ、何を…を俳優が再現するフィクション。知らない若者はぜひ。今起こってもおかしくないと思う。死刑についても考えられた。

    ネタバレBOX

    修行の場面はテレビで見たことがある。
    上九一色村の富士ガリバー王国もつぶれた。
    映画「教誨師」を思い浮かべるシーンあり。
  • 満足度★★★★

    狂信的なテロを起こす集団も、個々の人はちょっとした社会とのずれをきっかけで居場所を求めてきただけで、心の揺れを内包しつつも、嫉妬や同調圧力、慣れといったどの組織にもある要因で行動が過激化してしまう。その流れ、セリフが一つ一つ説得的で巧みでした。

    ネタバレBOX

    Tを演じる主演の役者さんは演技にやや固さがあるように感じましたが、かえって役柄にはマッチしているのかもしれません。幕切れ近く、牧師に思いを託す場面ではウルっと来てしまいました。
    選挙運動に出くわした友人がTを説得するシーン、確かにバブルに浮かれていた俗世間も一種の狂気だったわけで、どちらが「あっち側」だったのか考えさせられました。
  • 満足度★★★

    しっかりとした構成、照明は美しく変化し、舞台空間は劇なるものを現出させる。
    しかし、私は観客席に取り残された感覚を受ける。なぜだろう?あの事件が風化したからか?
    彼らは決して特別なわけではなかった。洗脳もどうなんだろう?そもそも、この事件を取り上げることで何が言いたかったのだろう?なぜ、今なのだろう?
    色々なことを考えながら家路に着いた。そんなことを考えさせるためならば、私はまんまと作家の作戦にはまったことになるなと可笑しくなった。

  • 満足度★★★★

    第三エロチカを主催した川村毅の同世代の劇団は少なくなった。劇団活動をやめた方や、他の組織に加わる方、教える側になった方もいるし、亡くなった方もいる。遅れてきた60年代、華やかな80年代を準備した世代。その中で、T.Factoryと改称した川村毅の劇団は一貫してかつての小劇場の空気をまとって、独特のカラーの作品を作り続けてきた。ロビーで還暦記念グッズを売っている。
    この世代にとって、オウム真理教事件は、たぶん他の世代よりも切実な同時代感があるのではないだろうか。この舞台は、この事件に関わった死刑囚にその経緯を問いただす、という形式で進む。事件は一応終結しているが、同時代人にとって、自らの内にもある事件の真実を探ろうという意識がこの戯曲を書かせている。裁判記録は詳細なものが公刊されているが、それでも、「ノート」(脚注)をつけたくなる。それがこの舞台だ。
    川村の舞台はスタイリシュだ。今回もたぶん川村自身のプランの端正な美術に、照明は原田保、音響は原島正治で、完成度は高い。だが、結局、この事件はなぜここまで行ったのか、多くの市民を巻き込んだのか、その深層が、今までも映画や小説、舞台でも幾度も描かれてきたが、世代の違うものには今なおよく理解できない。
    1時間45分。

  • 満足度★★★★

    初日を観た。川村氏程の熟練なら客の受け止め方を鋭く嗅ぎ分け、日々修正を加えるも手慣れていそうだ(個人の想像です)、という事を考えたのは出来立てナマ物な感触の舞台であったから。原稿用紙の鉛筆書き(かどうかは知らないが)の文字が背中から立ち上るような俳優の様子でもあり。これ即ち筆一本で世に挑む作家魂の顕われ方であろうか・・そんな事を思った。
    オウム事件を題材に書かれた戯曲。架空の教団を設定し、脚色はあるが国政選挙出馬から弁護士殺人事件、地下鉄サリン事件と、それと判る事跡を辿る。
    当日パンフに川村氏は人間の忘却と記憶について記している。確かに事件は確実に風化している。自分の中でも・・若者たち、それも高学歴の者たちがサティアンなる工場まで建て、高度な技術を要する化学兵器を作って無差別殺人をやらかしてしまった。現代の病理が取り沙汰されたがあの問題はどうなったか。人間疎外(これも今や懐かしい単語)が再生産される構造は所与のもの、この世の自然な姿と受容されている、という事ではないか(別の見解もありそうだが)。
    リアルタイムで知る者には未解決のまま思考放棄した疼きのある事件。このテーマに対峙した舞台だ。

    ネタバレBOX

    この戯曲での事件への言及の仕方は、一人の若い死刑囚(=事件の執行部隊)が事件の記憶を失い、そこへ(後で分かるが)既に刑死した他の幹部メンバーたちが彼に語りかけるという形。主に前半では個々の事件が焦点になるが、印象的なのは後半、各人の入団へ至るいきさつを語る場面だ。皆自分なりの必然性を実感的に語る演技は、無論実際の主犯格たちの事情を網羅していないだろうにせよこの戯曲の核であり、「勝負所」かも知れない。彼らは特殊な人間ではなかった・・むしろ時代性を担う典型的な人格であった・・。
    個人史を語る者は誰しも生き生きとする。ちょうど老人から航空兵に憧れて予科練を目指した戦争末期の話を聴く時のような。戦争は悲劇だと判っていても彼の青春は他に譲ることのできない彼自身のものだ。日常生活に倦み、麻原に出会い、教えに魅了された者が確かに居た。
    「いつ間違ったのか」・・どう総括し反省するべきかを事件を起こした当人(教団側)が追及する事は重要であるし、彼らを監視する事も大事だが、犯罪は往々にしてそれを生んだ社会に問いを投げる。社会の側は彼らにどういう反省を求めるのか、また何故彼らのような存在、また事件を社会は生み出してしまったか。
    この芝居の1名を除く登場人物は皆教団に属する人間だが、彼らは死者である事により、一歩社会の側に寄った視線を兼ね、密かに問いを投げている。
  • 満足度★★★★

    弁護士一家殺人事件や地下鉄サリン事件等、あの歴史的にも最悪の大事件。
    主人公は、このどちらにも直接関わった犯罪者であり死刑囚。
    この主人公を如何にも悪人顔の方ではなく、むしろ優し気で繊細な印象を受ける役者さんが演じており(おそらく実在の人物を特定していないのでしょう)これは既存の先入観や作品全体のイメージに独特の影響を与えていたと思います。

    その当時の記憶を辿る精神的なところがメインに描かれ、何故に彼等はこんなにも凶暴で大それた行動をとってしまったのか、決して一般人とかけ離れた境遇でも性格でもないのに。
    心の中にぽっかり空いた穴をとんでもない「教え」で占領されてしまった人のコトバが折り重なり、当時読んだ記事やテレビの映像をだぶらせながら見入っていました。
    どこかアノ教団とはまた違った世界のような雰囲気も感じます。
    照明もセットのひとつであるかのよう、舞台の表情を様々に変化させていました。

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