ノート 公演情報 ティーファクトリー「ノート」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    初日を観た。川村氏程の熟練なら客の受け止め方を鋭く嗅ぎ分け、日々修正を加えるも手慣れていそうだ(個人の想像です)、という事を考えたのは出来立てナマ物な感触の舞台であったから。原稿用紙の鉛筆書き(かどうかは知らないが)の文字が背中から立ち上るような俳優の様子でもあり。これ即ち筆一本で世に挑む作家魂の顕われ方であろうか・・そんな事を思った。
    オウム事件を題材に書かれた戯曲。架空の教団を設定し、脚色はあるが国政選挙出馬から弁護士殺人事件、地下鉄サリン事件と、それと判る事跡を辿る。
    当日パンフに川村氏は人間の忘却と記憶について記している。確かに事件は確実に風化している。自分の中でも・・若者たち、それも高学歴の者たちがサティアンなる工場まで建て、高度な技術を要する化学兵器を作って無差別殺人をやらかしてしまった。現代の病理が取り沙汰されたがあの問題はどうなったか。人間疎外(これも今や懐かしい単語)が再生産される構造は所与のもの、この世の自然な姿と受容されている、という事ではないか(別の見解もありそうだが)。
    リアルタイムで知る者には未解決のまま思考放棄した疼きのある事件。このテーマに対峙した舞台だ。

    ネタバレBOX

    この戯曲での事件への言及の仕方は、一人の若い死刑囚(=事件の執行部隊)が事件の記憶を失い、そこへ(後で分かるが)既に刑死した他の幹部メンバーたちが彼に語りかけるという形。主に前半では個々の事件が焦点になるが、印象的なのは後半、各人の入団へ至るいきさつを語る場面だ。皆自分なりの必然性を実感的に語る演技は、無論実際の主犯格たちの事情を網羅していないだろうにせよこの戯曲の核であり、「勝負所」かも知れない。彼らは特殊な人間ではなかった・・むしろ時代性を担う典型的な人格であった・・。
    個人史を語る者は誰しも生き生きとする。ちょうど老人から航空兵に憧れて予科練を目指した戦争末期の話を聴く時のような。戦争は悲劇だと判っていても彼の青春は他に譲ることのできない彼自身のものだ。日常生活に倦み、麻原に出会い、教えに魅了された者が確かに居た。
    「いつ間違ったのか」・・どう総括し反省するべきかを事件を起こした当人(教団側)が追及する事は重要であるし、彼らを監視する事も大事だが、犯罪は往々にしてそれを生んだ社会に問いを投げる。社会の側は彼らにどういう反省を求めるのか、また何故彼らのような存在、また事件を社会は生み出してしまったか。
    この芝居の1名を除く登場人物は皆教団に属する人間だが、彼らは死者である事により、一歩社会の側に寄った視線を兼ね、密かに問いを投げている。

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    2019/10/29 07:36

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