公演情報
「渡りきらぬ橋」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★★
https://blogs.yahoo.co.jp/suwansong2014/37367356.html
二時間、緩やかな川の流れのように、でも、その中に突然、水の色が変わるくらい深く、どうしようもなく踠いても、浮き上がれないくらい深い性差の悲しさ、人を恋する事ってなんなんだろう?って観終わって、反芻する。少し古臭いお話なのかな?とおもっていたが、実際は、2019年の今の日本でも、あり得るようなことでもあった。ただ、今よりもっとこの時代の女性たちは、しんどかったのだろうと思う。きっと、私の想像では、足りないほど。・・・
満足度★★★★
笑えた。笑えた。無邪気に笑える作品は、ストレス解消の何よりのクスリになる。男が女を演じるのもいい。女性の観客にとっては鑑賞の対象になるからだ。「青鞜」については少しは知っていたが、「女人藝術」のことは全く知らなかったので、新鮮だった。緩急のテンポもいい。若いセンスを感じた。
満足度★★★★
面白かった。小劇場で女性役をみな男が演じると聞いて、どうなるかと思っていたが、思いの外はまっていた。笑いとシリアスのメリハリの付け方が絶妙で、飽きずに見られた。出てくる男は浮気者ばかりで、女はさみしさをまぎらわす(あるいは男を見返すように)文筆や雑誌作りに打ち込んでいく。男女の関係が明らかに非対称な話で、男としては見ていて尻がムズムズした。
長谷川時雨夫婦、生田俊月夫婦、岡田八千代夫婦、それぞれの冷えた仲でもくすぶる愛、という関係がよく演じられていた。ただ互いに「理解」しあった仲なので、大きな修羅場はない。そこが物足りないといえば物足りない。男のわがままをそんなに簡単に許していいのかと。ぎゃふんといわせてくれた方がすっきりするんだけど。
「女と男が対等になった社会では、私たちもこんなに傷つくことはないのでしょうか」というセリフがある。もちろん、現代もまだ「対等」ではない。「対等」になる日など来るのだろうか? もしきたとして、それで男女のもつれがなくなるかと言えば、違うだろう。「対等」になるとしたら、男ばかりでなく、女も浮気するようになって、それで男も傷つくようになる。それで対等になるという構図しか思いつかない。今でも外で働く女性、共働きだとそういうことはかなりある。男も傷つけば、女の傷はいえるのだろうか。とてもそうだとは思えない。
満足度★★★★
鑑賞日2019/06/28 (金) 19:00
女性初の劇作家である長谷川時雨の評伝劇、というより、彼女が創刊した雑誌「女人藝術」を取り巻く人々の群像劇だと思う。面白い。明治末期という時代背景や「青鞜」の平塚らいてうや樋口一葉に関して知っていないと分からない部分もあるように思うが、そのあたりの作劇は巧い。女性の役も男性が演じるという手法は、演出のシライケイタが当パンで語っているように、「男らしさ」「女らしさ」でなく「人間らしさ」という形の表現を目差しているように思えた。
実演鑑賞
開演前、観客の前に演出家と脚本家が姿を見せたのが、彼らなりの誠意だったんだろう。
芝居の評価=劇団の評価じゃないし、もともと
骨太で良質な芝居する人気劇団。
どんな感想でも固定客は来るから、あえてここにも書いとく。
コリッチの★評価ほどあてにならないものはない
満足度★★★★
役者もやるが演出力あって演出に専念?と思えば、脚本も物し、脚色ばかりか完全オリジナルまで書く。演出・執筆とも劇団外からのオファー多数である・・。一定の才能は認められるが「これ!」という突出した舞台を観た記憶が私にはなく(「birth」凱旋公演も然り)、「きっとこの人は人脈作りに長けた人なんだろう。」というのが、いつの間にか出来上がったシライケイタ観であった。
で、今回・・この印象に大きな変更を迫られなかったが、なかなか面白い芝居だった。
オール男性キャストという特徴は、私には良い印象を残した。公演は趣向と合わせて記憶され、今後「性別と配役」問題を論じる際の貴重な参照事項を作ったと思う。つまりこのチャレンジは一応の成功を遂げた。
満足度★★★★
シライケイタ+いわいのふ健というと(私にとっては)あのバイオレンスの名作「殺し屋ジョー」である。説明を読むと本作はバイオレンスとは無縁の作品のようだが何か面白いものを見せてくれるのではないかと期待してやってきた。
にわか演劇ファンの私には女性脚本家長谷川時雨と言われても全く知らないし、その内縁の夫で流行作家の三上於菟吉もまったく縁がない。…と思っていたら於菟吉の代表作は「雪之丞変化」であるという。これは子供のころ母とTVの劇場中継で観たことがある(と思う)。つい最近、長谷川一夫主演の映画(1963年)も録画したばかりだ。ちょっとは接点があるということでテンションが少しだけ上がった。
ジョーも今回は日本髪に着物で登場する。あの格好良いジョーも「ごつい」女になってしまったがまあ合格だ。
男性が女性を演じるメリットは表現がマイルドになることだと感じた。色々と女性の権利について主張されると、正直、私の中でも「ピーチクパーチクうるさいなあ」という偏見が顔を出す。しかるに男性のフィルターを通すと「まあそれはそうだよね」と妙に物分かりが良くなったりするのが面白い。逆に悲しみもマイルドになるのはデメリットだ。時雨が於菟吉の浮気に悩まされても彼女に辛い様子が感じられなかった。もっとも12才年上で彼の才能を見出したことに誇りを持っていたであろう彼女には辛さを打ち消す満足感があったのかもしれない。それなら本作ではそこはデメリットではなく狙い通りということになる。
殺し屋ジョーに導かれて全く異なるところに来てしまったが、1時間55分飽きることもなく、初めて来た土地の景色をただあるがままに楽しむように、それなりに面白く観ることができた。
満足度★★★★
小劇場劇団としては大胆な試みを一度に三つやっている。
昇り目のシライケイタがひきいる温泉ドラゴン、主要俳優も全員参加して力の入った本公演である。物語は日本初野女流劇作家と言われる長谷川時雨が活躍した女性運動勃興期。ドラマでも、よく取り上げられる大正リベラリズム最高潮の時代の文芸界人間模様だ。
大胆な試み・第一。女性を主人公にしていながらすべてメールキャスト。体格のいいカゴシマジロー(林芙美子)、いわいのふ健(岡田文子)、筑波竜一(長谷川時雨)、みな女性役で和服で登場する。第二。四か所、テレビのスタジオインタビューのような形式で、登場人物が、亡くなった人を呼び出してインタビューする。例えば、時雨が一葉に聞く。第三。現実の史実を踏まえている。
特に斬新とも言えない演劇的な工夫であるが、それなりに難しい演劇的趣向を三つそろえて、本公演をやるのは劇団が上向きの時でなければできない。
その結果はどうだっか。
残念ながら、成功したとは言い難い。女性を男性がやるのは日本演劇では珍しくない。ことにこの世界は新派という老舗がある。その水準まで、とは言わないが、せめて、和服の着方、その時の歩き方、当時の言葉、くらいは今少し演じてくれないと、テーマとなっている女性の閉ざされた世界そのものが表現できないことになってしまう。メールキャストにこだわった意味がわからない。新劇団にもいい女優はいる。借りてきてもいいではないか。インタビューシーンを挟むというのは面白い発想だが、解説以上に出ていない。もっと積極的に絡める方法も、折角、大きな橋を道具で出しているのだから、演劇的な処理で、できると思う。解説を入れているにもかかわらず、約百年前の話だから、説明不足が生じる。もっとも解り難かったのは、当時のメディアである雑誌や新聞の上に成立していた文壇の社会的な意味合いだろう。「女人芸術」そのものを今少しわからせてくれないと時雨も理解できない。
さらに、芝居で言えば、人物が多すぎてそれぞれ紹介に忙しく、肝心の女人芸術の編集を巡るドラマや、三上於兎吉と時雨の不思議な夫婦関係が説明的・表面的になってしまったことや、舞台のつくりが部屋を上手に置いているので、さぞ、下手側の観客席は見難かったろう、とか。音楽のつくりが安直だ、とか。
いろいろ、不満はあるのだけど、若い劇団がこういう機会に演劇的実験を試みて、その成否を肌で学ぶのは必ず将来役に立つ。
この演出家は、他の劇団に招かれて「殺し屋ジョー」という舞台を、はるかに悪い条件で成功させている。次回は余り捻らずに、力量を発揮されることを祈っている。