舞台芸術まつり!2025春

優しい劇団
平均合計点:23.6
丘田ミイ子
河野桃子
曽根千智
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★★★

名古屋を拠点に活動する優しい劇団による大恋愛シリーズ第8弾。本シリーズは普段は別の土地で活動する俳優が公演当日の朝に初めて顔を合わせ、稽古、そして本番と“1日の限りの演劇”を上演する試みである。今回は名古屋から5名、東京から5名、計10名のキャストが出演した。

ネタバレBOX

物語の舞台は、絵本町という町に古くからある謎のお屋敷。ある住人(土本燈子)の語りから始まる。「絵本町と呼ばれているわりにはドライでシビアなこの町」を「メルヘンがまかり通る町」にしたい。そんな思いから彼女はこの町で唯一メルヘンの匂いを感じるこの屋敷を訪ねる。そして、そこで出会った老婆(尾﨑優人)からありとあらゆる可笑しくも愛おしいオバケたちの話を聞く。
劇中には今は亡き偉大な劇作家である唐十郎や天野天街が築いた作風へのオマージュも散見され、それらがただの模倣ではなく、リスペクトを前提に練り上げられたものであることを感じることもできた。

1日で出会い、別れる俳優への手紙でもあるような台本、そして、その手紙への返事を9名の俳優が心身を以て応答するような熱く、眩しい時間だった。個性豊かなさまざまな「オバケ」が登場するが、オバケたちには当然それぞれが生きていた、それぞれの唯一無二の時間が、出会いが、思い出がある。その魂を一つ残らず抱きしめようとする物語の運びには、生まれた時から永遠の約束を持つことのできない私たちの人生や、ひとたび上演されれば終わってしまう演劇という営みへの深い眼差しが滲んでいたようにも感じた。2人1組のペアの物語をいくつか紡いでいきながら、その心情の集積がやがて全員を同じ場所へ、同じ歌へと誘われていく。その描写には人間を信じ、その生命を祝福する力があった。
別々の場所で別々の日々を生きる私たちが同じ空を見ているということ、同じ季節を生きているということ、同じ歌を歌うということ、同じ物語を読むということ。そして時に世界で起きている同じ出来事に喜んだり、悲しんだりすること。そうして、何かの拍子にあなたとわたしがどこかで出会い、やがて別れるということ。俳優も観客もそのことは同じであるということを、この演劇は力強い言葉と身体、そしてその時限りの瞬間瞬間を以て伝えてくれたように思えてならない。全体のグルーヴ感のみならず、ペアとなる俳優がそれぞれ名古屋と東京の俳優の組み合わせになっている点など、物語と演劇における構成にもその信条が隙間なく差し込まれ、1日限りでありながら、いや、1日限りであるからこそ叶えられる風景の連続がそこにはあったと思う。

そして、何より私が素晴らしいと感じたことは、この試みを通じて優しい劇団という団体が展望する新しい演劇の形、その可能性に触れられたことである。この国において演劇という表現活動を、俳優という生き方を選ぶことは決して容易なことではない。そんな中で、「演劇はいつどこで誰が始めてもいいのだ」と思える瞬間はやはりなかなかない。しかし、この作品は1日限りというパッケージによって、そんな普段は叶えられない、観られない演劇の「場」と「形」を実現していた。それは、「演劇」という営みの価値と可能性を見つめ直し、外へとひらいていくための一つのモデルの発明であると感じる。そのことはやはり希望であるのではないだろうか。普段は別々の土地で生活をしている俳優がエリアや世代を横断して集まり、1日限りの演劇を作りあげる。それは、「演劇がこうでなければならない」、「俳優はこう在らなければいけない」といった固定概念を解体し、新たな創作や場を作る挑戦そのものだと思う。地方出身の超若手劇団が、そんな前例のないことに果敢に挑み、同時に演劇の根本的な魅力を追求し、実現させていること。そのことはやはり今の演劇シーンにおいて貴重な在り方であり、ムーブメントであると思う。1日限りの演劇の終わりに客席から絶えず飛び交った大向こうを聞きながら、私はそんなことを強く感じた。

河野桃子

満足度★★★★

作家性と企画の相乗効果。その日出会った俳優たちと、もう一人の出演者に万雷の拍手を送りたい。

ネタバレBOX

まず主宰の尾﨑優人による前説で、企画の概要が話されます。この段階で、客席の多くが引き込まれていくのを感じました。そもそもすでに最初から「1日で出会って上演して解散します!」という企画を楽しみにして来ている方も多い様子なので、あらためて主催者から丁寧に概要を説明されること自体が期待を増幅させる時間なのかもしれません。
説明される企画のポイントはかなり多いですが、飽きさせずに興奮を湧き立てる尾﨑の前説によって、「想像する」「俳優や作品によりそう」という観劇の土台ができあがっていき、わくわく感が募ります。

だからこそ、開演してすぐに暗がりから一人目の俳優……物語の舞台となる絵本町でメルヘンをもとめる絵本作家(土本燈子)が登場する導入が、非日常へといざなってくれて心地よい。作家にメルヘンを語る役割が、尾﨑演じる老婆(事前公開あらすじでは劇作家)であるという設定も、メルヘンと演劇愛にあふれていました。そして10名の俳優たちにより、次々と繰り出される天下一武闘会のような目まぐるしい共演という饗宴に、舞台に向けて意識が集約されていたところ……終盤、客席後ろの会場出入口から、あらたな出演者が登場します。視野が広がり、メルヘンの世界にすこし現実の風が吹いたように感じました。後説では、彼らが学生であることも紹介されました。全体をとおしてフィクションと現実を接続する巧さに舌を巻いた企画でした。

作品では、この町で起きた様々な恋が語られます。初対面の別地域同士の俳優による4つの物語は新鮮で、企画としても、1日で出会い作品を作りまた別れるというのも恋かもしれません。さまざまな恋物語を語る劇作家と、メルヘンを求める絵本作家の出会いもまた恋なのでしょう。それはそのまま、観客が演劇に出会うさまが恋だといわれているようでした。

これが恋だというのなら、私の恋心を奪ったのはもう一人の出演者でした。10名の出演者にその呼吸を逃すまいと見えない熱い眼差しを送り、自身は影ながら照らし続けた照明の、その動きと佇まいと生み出す効果によってこの空間が下支えされていたと思います。

この公演がすべて「1日で」おこなわれていると聞くと作品の不安定さを懸念するかもしれませんが、むしろ現段階では「1日で」あることで作家性が引き立っているようにも感じました。作品の構成が1対1になっており即興として成立させやすく、様々な先人を想起させる演出手法やイメージを共有しやすい作風で世界観を統一させられるかなと想像します。もしこれがオリジナル脚本による本公演であれば期待されることが増えるかとは思いますが、ことこの企画においては強度があるていど担保される状況ができているのではないでしょうか(準備などを見ていないので断言はできませんが…)。
今後シリーズが回を重ねると、より安定し、即興による高揚感は薄れるかもしれません。しかしそんな懸念よりも、どうなったとしても新たな胸躍る企画をうちだしてくれるんじゃないかという信頼感が手放せません。芯のブレない企画に、演劇の楽しさをあらためて思い起こさせていただきました。

曽根千智

満足度★★★★

「個性を味わい尽くす」という体験

ネタバレBOX

稽古は1日、当日集まったメンバーで即興演劇を行う企画。台詞は概ね入っているが、ときどきプロンプターとなった主宰が登場し進行をサポート。会場全体でトラブルを楽しむという構造が斬新で、演劇の可笑しみが存分に引き出された上演だった。戯曲はオムニバス形式でモノローグを中心に組み立てられており、なし崩し的にぐだぐだにならないように工夫されている。その分、俳優の責任は重く、声の響きやミザンスはある程度指定があるとはいえ、その場の応用力で組み立てていかねばならない集中力の必要な過酷な上演である。

トラブル発生時、また上記のような緊張感と極度の集中の中では、役というよりは、俳優個人の個性や特性が前に出やすい。声のよさや所作の個性が端々に瑞々しく感じられ、まさに俳優を見る上演として合目的的に構成されていた点、とても興味深かった。無論、俳優だけでなく、スタッフワークの個性も滲む。俳優より目立っていた灯りを操るダンサーのような動きの照明担当や、劇中音楽の選定、主宰の前説と全て資源が限られた中でDIYでやっているからこその味わい深さがあり終始チャーミングであった。

(以下、ゆるいつぶやき)
全編、動画写真撮影OKなのには驚いた。1回きりの上演だからこそ、ネタバレも何もないのである。コロナ過以後、演劇のアーカイブ化がぐっと進んだが、今回のような会場全体の空気感やカメラに映りにくい微細な面白さをアーカイブしづらい演劇もある。隣席の方々がみんなお気に入りのシーンをアップで撮影しているのを見て、各々のスマートフォンで記録を撮り、各々で保存しているというのは演劇のライブ性の新しい保存・共有方法であるように思えた。監督気分で主体的に作品を楽しもうとする姿勢を促せるのもいいですね。

深沢祐一

満足度★★★

「舞台と客席をひとつにする熱狂」

 開演前の舞台上には出演者たちが談笑したり準備運動をしたりするなか、作・演出の尾﨑優人が客席に向けて前説を行っている。通し稽古をしておらずほぼぶっつけ本番であることに動揺の笑い声がたびたび起きた。

ネタバレBOX

 やがて開演時間になると明かりが落ち、舞台奥に設置された会場トイレのドアを開けて俳優が舞台へ足を踏み入れる。日常と地続きの非日常を感じられるこの幕開きがまずうまい。彼女は絵本町と呼ばれる町の住人(土本燈子)であり、誰も曲がらない三丁目の街角にある通称「オバケ屋敷」へやってきたという。別段なにも不思議なことが起こらないこの町をメルヘンあふれるものにしたいと願う住人に、そこにいた老婆(尾﨑優人)が幽霊たちを呼び出す。ピアノが置いてある部屋で座敷童子(石丸承暖)と出会ったお嬢様(夏アンナ)は、座敷童との交流と別れを回想する。プラモデルに熱中するあまり数々の人造人間を作るにまでなった博士(吉成豊)は、人造人間たちと合唱をして大騒ぎである。演劇部員(早舩聖)は俳優(好姫)から芸道を学び、大人気の子役(千賀百子)は芸能界の鬼(宝保里実)にみっちりしごかれる。幽霊たちの様子を見届けた住人は、いま見聞きした様子を絵本にすると誓ってオバケ屋敷を後にするのだった。

 本作の魅力は尾﨑を含む出演者たちの熱量のある芝居と、詩的かつナンセンスさもある独特の台詞である。特別な舞台装置はなく、簡素なスピーカーからブルートゥース経由で音楽を流し、スタッフが手で持ち運びできる照明を使い明かりを作るというなんともシンプルな作りながら、想像力を刺激された所以である。特に中盤、出演者全員で「ちゃぶ台」をモチーフに激しい台詞の応酬合戦見せたくだりは圧巻であった。もう少し声のトーンを落とし聞きやすい速度での台詞回しのほうがなおよいとは感じたが、冒頭の前説を含め客席は沸きに沸いていた。場面ごとに俳優の見せ場が設けられていて、さながらボードヴィルを見るような面白さがあった。

松岡大貴

満足度★★★

「いま・ここ」で生まれる出来事を、そのまま一つの作品として提示しようとする、ある意味では非常に無防備で、そして挑発的な企画

ネタバレBOX

当然ながら、準備された完成品を見せるというより、その場で何が起こるか分からないこと自体が“見せ物”となる構造である以上、一定の混乱や、物語としての密度の不均衡は避けられません。また、オムニバス形式の構成は、各エピソードの色彩を豊かに見せる一方で、全体の流れとしてはやや散漫な印象を残しました。幽霊たちのエピソードはどれも魅力的で、それぞれに演者の技量と個性がにじみ出ていましたが、中心となるドラマの軸を追いかけると、観客の感情が深く流れ込む場所が限定的だったようにも思います。

ただ、そうした構造的な“粗さ”を単なる未完成として切り捨てることもまた難しく、むしろその荒削りなフォルムが、俳優たちの肉声や身体、あるいはスタッフの存在感すらも、舞台上の一要素として等価に立ち上がらせていた点はやはり興味深く、ブルートゥースで再生される音楽や、手で持ち運ばれる照明という、いわば“段取りの可視化”そのものが、舞台の外縁をかたちづくる演出として働いていたことは確かです。

また、この作品の真価は、完成度や技巧に求められるものでもありません。
むしろ、予測不能な展開と、劇場全体を巻き込む“やってみなければ分からない”という共犯的な空気が、ある種の熱をもたらします。観客の声出しや、全編撮影OKという自由な環境も、舞台をどこか二度と戻れない「一度きり」の場として輝かせていたように思います。

だからこそ、もう一歩、その“過剰な偶然性”をどう制御するのか、あるいは、どこまで制御しないまま魅力に昇華させるのか、といった編集感覚が加われば、この企画はより強度のある枠組みへと成長するのではないでしょうか。観客と舞台がともに揺れ動く時間として、その揺れのなかに何が残り得るのかを問うという点において、今年のCoRich舞台芸術まつり!でも印象的な作品でした。

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