舞台芸術まつり!2025春

まぼろしのくに

まぼろしのくに(東京都)

作品タイトル「kaguya

平均合計点:19.4
丘田ミイ子
河野桃子
曽根千智
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★★

日本最古の物語『竹取物語』を下敷きに据えつつ、しかし単なる月の昔話の再現にはとどまらず、宇宙から現代を望遠する新たな“かぐや”の物語が生まれていた。

ネタバレBOX

舞台はかぐや姫所縁の奈良ではなく、隣の三重。そこに日本最古の歴史を持つ家具屋がある。その「かぐや」一家は、一族が「かぐや姫の末裔」だと信じてやまない。そのせいか、周囲からはオカルト一家として周知されている。そこで暮らす15歳の少年・ノゾム(二瓶大河)の夢は月に還ったとされる先祖のかぐや姫が実存するのか確かめることであった。ノゾムは自作の望遠鏡で夜な夜な月を覗く。

アダムスファミリー顔負けの白塗り、デコラティブな衣装、ユーモラスな美術など視覚的に追いたくなるようなアングラ的仕掛けが随所に施されており、そのことが劇の内部とどう繋がっているのかを考えながら観る楽しさがあった。
俳優のキャラクター造形の豊かさやその豊かさを生き生きと表現する俳優陣のプレイフルな芝居も含め、風景として飽きさせないシーンの連なりに興味をそそられた。

かぐやを家具屋へ、かぐや姫を少年へ、竹取の竹は宇宙望遠鏡へと変換させながら、中盤くらいまでは正直なところ何が何だかわからぬファンタジーとオカルトが手を繋ぎあったような世界観でストーリーが爆進していく。
空想とも妄想ともとれるようなふんわりとしたやりとり、混沌と混沌のその継ぎ目に時折意味深なセリフが差し込まれるも、その全貌や核心がなかなか見えてこない。観客をスペクタクルな世界へと誘いながらも、ある意味では放置しているような清々しさがありつつ、やはりもう少しストーリーラインを追った上で本作のセリフやシーンを噛み締めたいという衝動にも駆られた。登場人物たちの脳内を遊泳するような感覚に陥ることはできたが、そこからの広がりについては決め手に欠ける部分があった。リリカルなセリフ選びや、その中に施された言葉遊びなど、特徴的なテキストが目立ち、1センテンスに放たれる言葉の輝きに思わず前のめりになる瞬間もあったからこそ、そこが一つのところへと集積して行く「うねり」をつい期待してしまった点もあると思う。

しかし、「うねり」が全くないわけではない。物語の終盤である「カルト事件」と「銃撃事件」が浮かび上がり、現実に起きている問題に望遠の焦点が当てられ始めてからは、風景が一気に反転していくような体感がたしかにあった。これまで闇雲に紡がれていたと思っていたシーンが一気に生々しく襲ってくるような。そんな心持ちである。
誰かにとっての切実を容易に妄想と判断するときに失われるもの。
遠くにあるものを見つめすぎて、近くにあるものがぼやけること。
ラストにかけて痛々しく疾走していく現実の走馬灯を前に、この物語はそこに手を伸ばしていたのかもしれないと感じたりもした。

煌びやかな装飾に反して、俳優陣の芝居が緻密であったことも特筆したい。とりわけkaguyaを演じた高畑亜実の沈黙の表情、言葉を言い終えた瞬間の眼差しが印象に残り、観劇中も思わずその姿を目で追ってしまった。
スペクタルな想像の世界に見せかけて、その実焦点は超現実に当てられていたこと。観劇後すぐにその実感には辿り着けずとも、帰路の中で振り返る毎にあらゆるシーンの別の触感を感じるような余韻があった。この物語を経て、今後劇団が展開するビジョンにも関心が強まる観劇となった。

河野桃子

満足度★★★★

『竹取物語』を下敷きに、原罪や家族との血のつながりなどさまざまなモチーフを散りばめ、物語は縦横無尽に時間と空間を行き来します。

ネタバレBOX

まず、怒涛の台詞量に対する、俳優の力強さが目を引きました。出演者たちは勢いがあり、言葉が明確で、各々のシーンをそれぞれが牽引しています。
自分たちを「かぐや姫の末裔」だと信じる家具屋一家。長子ども部屋宇宙のまんなかにいる15歳のノゾム(二瓶大河)の素朴さと抱える感情の大きさが、いつしか作品の芯になっていきます。ノゾムをとりまく家族たち(ミヤツコ/渡久地雅斗、マダム/町田達彦、アダムス/玉木葉輔)のパワーが強く、ノゾムをノゾムたらしめている説得力がありました。3人の女や空中飛行士たちなど個性ゆたかな面々にノゾムは翻弄されています。だからこそ、ノゾムがkaguya(高畑亜実)に出会うことで世界が変わり、とくに後半、高畑の佇まいはこの物語の根底を下支えしていました。出演者みなさんのパワーが強いところは魅力的な一方で、ほとんどの時間が「動」「in」の状態にも感じられて落差がすくないことが、全体のインパクトを削いでいるように感じられました。

入り乱れる多くの要素を具現化し、彩っていくスタッフワークが力強く印象的でした。衣裳とメイクの意味付けは大きく、美術の転換や小道具の仕掛けに工夫がありました(様々な仕掛けと工夫が用いられているのですがクレジットがなく、もしや皆さんで考えて作られているのでしょうか…!?)。しかも次々と変化が繰り出されます(舞台監督さんお疲れ様です…!)。変化の量に比して空間の動きが小さくも感じられたので、たとえば変化に緩急をつけるとか、あるいは作品の構造をシンプルにするなど、全体に通す太い芯に動きをつけられれば、空間全体を変化させ大きな衝動をもたらすことができるのでは、と思いました。

「CoRich舞台芸術まつり!」の第一次応募文・団体紹介にて「作品は、唐十郎氏や野田秀樹氏などといった小劇場ブーム時代の特徴を感じると観客から評されることが多い。」と書かれています。たしかに具体的な作品名を想起させる台詞や演出はいくつかありました。また音楽についても様々な作品で使われているものがあり、すでに観客のなかにあるイメージへの影響は受け手によってかなり異なるのではないかと想像します。
しかし作者の視点や見解は面白く、とくにkaguyaの存在やキャラクターが提示するものは現代的で、過去と未来をも横断し鑑賞者の思考を広げる効果がありました。全体的にエピソードパワーも盛りだくさんであるため、たとえばこのkaguyaが周囲にもたらす影響に焦点をあてて人物背景の描写を深めていくと、より深みが出たように思います。

観劇にあたっては、チラシの段階で上演時間がわかっていることと、「観劇あんしんシート」(さよならキャンプ作成)があったことは非常にありがたく、それら懸念点についてとても安心して客席に座ることができました。

曽根千智

満足度★★★

疾走感と混乱の中でかぐや姫の罪を問う

ネタバレBOX

冒頭シーンから一貫して、膨大なセリフ量とハイスピードな展開に圧倒される。独自の美学で演出された、自分たちをかぐや姫の血族であると信じて疑わない片田舎の家族の物語である。洗脳される息子と死んだと見せかけて洗脳を解こうとする母。主人公を父と呼ぶ得体のしれない女。錯綜する家族模様の中、「かぐや姫の原罪とはなにか、地球で罰を受けていたのはなぜか」を課題設定し直す後半から物語はさらにスピード感を増す。権力、富、愛情の権化となり主人公ノゾムを追い詰める母親、社会的な孤立、そこから流れるようにつながる首相暗殺事件のイメージにも結着するように見えたラストシーンの戸惑いの感情の共有は、物語全体の疾走感との落差によって効果を増しており、他に類を見ない鑑賞後感であった。

イマジナリーフレンドとして舞台に散りばめられた人形や、ミニキッチンの演出など舞台美術と俳優との間の強固な信頼関係が見て取れた。膨大なきっかけがある作品の中でスタッフワークが光る。

原作となる竹取物語のイメージ上でのコラージュ(宇宙、竹、道化など)と、物語の骨子(夫選び、月への帰還、原罪など)の借用が明確に言及されずに混在しているので、見ている側としては今描かれているのがどちらのレイヤーにある表象かの判別がつかず混乱しやすい。その混乱をも逆手にとってラストシーンに繋げてほしいという期待があった。またジムノペディなどの有名曲を使う場合、観客側に想像力の引き攣れが起きる。音楽、効果音の使い方に既視感がある点を演出時にどのように考えたかは気になった。

(以下、ゆるいつぶやき)
竹取物語での最も大きな謎である、「かぐや姫の犯した罪とは何なのか」について、「血族の原罪」として作中で扱おうとしていた点、意欲作であったと思う。改めて竹取物語を見返してみると、貴族男性どころか帝でさえ寄せ付けない常識破りの自由さを持ち、気が強く頭の回転が速く、他者の思いのままにならない「おもしれー女」であることがわかる。ノゾムの祖母はそんな自由な女性で、それを孫であり、部屋に引きこもって人形と遊ぶのが好きな内向的なノゾムがある種の憧れを持って追いかけるという構図なのが、物語で描かれない時間の奥行を感じさせた。

深沢祐一

満足度★★★

「激しい身体が描く少年の思慕」

 『竹取物語』を自由奔放に翻案しながら家族の愛を描く意欲作である。

ネタバレBOX

 日本最古の歴史をもつ家具屋の嫡男ノゾム(二瓶大河)は七夕の夜に輝く星に願いを込め望遠鏡を覗く。ノゾムの願いは月に還った遠い先祖のかぐや姫が実在するのか確かめ、月からの迎えを待つことだった。そんなノゾムを祖父のミヤツコ(渡久地雅斗)は古びた家具とおびただしい数の人形に溢れた部屋に住まわせ、妙な夢は持たずこの地に留まれと諭すのだった。ミヤツコをはじめ一家はかぐや姫の末裔と盲信しており、近隣の人々から「アダムスファミリー」と揶揄されている。ノゾムの両親であるらしいアダム・アダムス(玉木葉輔)とマダム・マダムス(町田達彦)とは疎遠のようである。

 ノゾムの部屋の人形が次々に立ち現れては動作する様子を見ていて、どうやら現実と妄想の境目が描かれていることが少しずつわかってくる。そこで立ち現れたkaguya(高畑亜実)と名乗る少女との対話を経て、ノゾムは両親への愛の渇望を叫ぶ。kaguyaに導かれるようにして家族の知られざる過去を知り、自身が地上に縛りつけられていることを知ったノゾムは、宇宙へと旅立つのであった。

 本作の魅力は大量のセリフの応酬と激しさが横溢する芝居である。俳優は皆早口で舞台上所狭しと動き回り、流れるようなあっという間の2時間であった。登場するキャラクターは皆個性的でクセが強くグイグイ押してくるが、もう少し引きの芝居があってもよかったのではないか。

 セリフの言葉遊びや人形が人間に変化する身体表現など作り手側の表現したいことは十分に伝わってきたが、そこに専念した結果人物造形が乏しい印象を受けた。空に願いを込め母を慕うノゾムの激情であるとか、祖父ミヤツコの歪んだ願望など掘り下げれば深いドラマになった箇所が流されていってしまった点は残念である。加えて、身体表現の場面では不意に力が抜けて空間がさみしくなる点も惜しいと感じた。

松岡大貴

満足度★★

物語はどのように結末に向かうのか

ネタバレBOX

“日本最古の物語”「竹取物語」をベースにしながら、母性の不在、家系への呪縛、自己神話化といったテーマを織り込み、登場人物それぞれの混乱を舞台上に並列的に提示していました。

舞台は冒頭から疾走し、俳優たちは場面転換も息をつく間もないほどに駆け抜けていきます。台詞の応酬や身体表現、人形が人になる瞬間など、演出の仕掛けは豊富であり、思春期の少年の妄想と現実が立ち上がる世界観は、そのゴシック的な表出と相まって魅力的でした。

膨大な台詞量、テンポの早さ、身体表現の過剰──いずれも「熱狂への階段」として好意的に受け取ることもできるのですが、反面、それぞれの場面やキャラクターの表現は少々形式的になっていたと思います。意図的な部分もあるとは思いながらも。
また、近年の暗殺事件を下敷きにしたイメージに収斂していくラストも、月(ムーン)、母(マザー)、ムーンショットなど言葉のいわゆる縁語構成的な展開で物語を推進して行くには、意味と言葉の距離が果たして効果的であったのか疑問が残る部分です。

それでも千年の昔、かぐや姫がこの世を去った物語が、今、母を求める一人の少年の物語として蘇るという仕掛けは面白く、かぐや姫が犯した「罪」を〈血族の原罪〉として再設定しようとした着想と合わせて、家系の妄執や家父長制的な構造、思春期の葛藤、過去と現代の衝突など、それらの交差点としてさらに踏み込める可能性もあったと思います。
竹取物語という古典の失われない魔力を改めて思い出させてくれました。

このページのQRコードです。

拡大