舞台芸術まつり!2025春

ムシラセ

ムシラセ(東京都)

作品タイトル「なんかの味

平均合計点:23.4
丘田ミイ子
河野桃子
曽根千智
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★★

昭和の家族風景を活写した小津安二郎の映画『秋刀魚の味』を一つのモチーフに、「父が娘に向ける普遍的な眼差し」と「多様な親子の在り方」を同時に現代から見つめた家族劇。

ネタバレBOX

『秋刀魚の味』よろしく結婚を控える娘と父のやりとりを中心に展開される、ホーム・スイート・ホーム物語。同時に、そのB面に、(結婚式の余興を利用して)「バンドやろうぜ!」に突っ走る父の無茶振りが進行している点が面白い。ある種の「あるある」や「やれやれ」といった感触を緒に、観客をグッと物語の内部に引き込む。

昭和の風情の残るバーの店内で娘の迪子(橘花梨)と父の秋平(有馬自由)が会うところから物語は始まる。挙式を控えている迪子は幸せとは程遠い面持ちをしており、その原因が何であるかが明かされぬまま、しばしの間秋平の「バンドやろうぜ!」談義が続く。父に対する諦観と達観の狭間で揺れる娘と、そのことを微塵も気にもとめず自分の希望や願望ばかりを話す父。敏感と鈍感が同じだけ混ざり合った空間を瞬時に作り出す橘と有馬の舞台での居方が素晴らしいシーンであった。冒頭から見事にすれ違う娘と父の間に現れるのは、このバーのママである薫(松永玲子)だ。明け透けな関西弁で「バンドやろうぜ!」に参戦し、急激に距離を詰めてくる薫を溌剌と表情豊かに演じる松永に客席の温度がグッと上がるのが感じ取れる。そんな自分節をひた走る薫に圧倒されつつ、戸惑う迪子。その一方で、秋平とはやけに親密な間柄に見え、迪子は二人の関係を疑い始める。さらにパンクロック風のファッションに身を包んだバイトスタッフであり、薫の娘でもある璃(中野亜美)も現れ、迪子はますます本題に入れず、苛立ちを覚える。そして、そんな4人を巡る家族の真実が後半にかけて徐々に暴かれていく。

さりげなく思えたA面とB面の接着面が、実は家族の物語のクライマックスに大きく影響を及ぼす。そうした伏線の張り巡らせ方と回収の鮮やかさには物語の展開力、演劇の構成力の本領が光っていたように思う。「少数精鋭」という言葉が相応しい、俳優4名の技量の高さもまた本作の魅力であるが、私がとりわけ心惹かれたのは、本作において1対1の人間の関係が豊かに描かれていた点にあった。中でも、最初はコミュニケーションの交点をうまく見出せなかった迪子と璃が、それぞれの生い立ちやそこで重ねてきた苦労や複雑な葛藤を分け合うように話すシーンにはグッとくるものがあった。周囲に誤解されやすい璃が実は思慮深く心根の優しい人間であることが伝わるような、中野の声色や目つきの微調整も見事であった。

この物語に登場する人物は4人ともみんな、自分の思いや感情を容易には明かさない。その「明かさなさ」に通底しているのは、自分以外の誰かを思う気持ちであり、つまるところ「明かせなさ」という手触りとして観客に届いていく。そしてそれは必然的に家族というものからの逃れられなさ、他者と生きていく上での痛み、ひいては「生きづらさ」に繋がっていく。そうした人物の複雑な心中が、比較的明るい劇風景の中に忍ばされていくことで、「ポップな曲調であればあるほどに歌詞の切なさが身に沁みる」というような情感に私は導かれたのであった。そして最後、タイトルをも総回収するかのように、舞台上にある「家族の味」が出てくる点にも抜かりがなかった。

さりげない会話の連なりに、少しずつ違和感を差し込み、真実へと導く構成は実に清々しい。
しかし同時に、やや綺麗にまとまりすぎている印象を受け取ったのも本当のところであった。家族や夫婦がそれ一つの言葉ではまとめきれないほど多様化を辿る現代において、複雑な背景を持つ家族が描かれる上ではもう一歩「ままならなさ」や「やりきれなさ」、あるいは社会への風刺や皮肉を感じたい思いもあった。「優しさ」という主成分で構成されている劇世界に日頃のくさくさした心が包まれると同時に、わずかに「リアルはそうはいかないだろう」と思ってしまう自分との遭遇があったことも記したいと思う。

河野桃子

満足度★★★★

小津安二郎監督の『秋刀魚の味』をモチーフにした、フィクションの力を持つシンプルなドラマ。とあるスナックを舞台に、なんだかお客さんたちもスナックを訪れたような、すこしの余所余所しさが心地よくも、妙にあったかい時間をすごした。

ネタバレBOX

冒頭、まずは制作の方の快い挨拶から。そして幕が開き、繊細さと大胆さの同居した巧妙な脚本と、豊かで鮮やかな俳優たちに引き込まれます。
台詞は、説明せずとも4人の人物とそれぞれの関係の背景を想像させ、さりげないとある言葉……小さな引っかかりは感じるものの気にならない程度のものが、後半のある展開につながっていく。
人物造形も同じく、説明されずともいつしか「ああ、この人はそう思っていたんだな」と腑に落ちる。現実の生活でも物語でも、ある人の気づかなかった一面に思い至ったとき、それまでの言葉や時間そしてその人自身を愛しく思うことがあります。そうしていつしか、客席から見ている4人のことそれぞれを、自分にとっても大切な人のように感じられていることに気づきます。たとえば平川迪子(橘花梨)の、頑なで不器用だけれどその後ろにある寂しさと強さ。父・秋平(有馬自由)のわがままな愛情と口にできない弱さ。お店のママ・薫(松永玲子)のあふれる気遣いとまげられない自分。バイト・璃(中野亜美)の若さともなうしなやかさと意地。いずれもさまざまな顔が当然のように同居している。4人それぞれの言葉にしない思いや背景が感じられることで、20年以上の時間や各々のそれまでの人生が想像できる、とても豊かなドラマでした。
物語をとおして、家族のつながりとしがらみが浮き立ちます。また、結婚における仕事や年齢や家庭環境などの格差といった不均衡も見えていきます。「家族」というものには当然ながら、良い面も悪い面もある。そこに答えを示すわけではない。うまくいかない愛情と寂しさを抱えて、きっと多くの人が今を生きているのだと。

全体の建て込みが丁寧だった美術のなかでもとくに、トイレが印象的でした。出ハケの都合かもしれませんが、過去のシーンの出入りでトイレという個の空間が使われていること。プライベートの大事な扉は、他者へも過去へもつながる風穴のように感じられました。きっとあの扉をあけて外へ出ると、いろんな香りがするんでしょう。もしかするとシチューの香りが。

そういえばクリームシチューのCMにはだいたい家族団らんが描かれています。ハウス食品の「シチュー」のCMソングは山崎まさよしの『お家へ帰ろう』であり、植村花菜の『世界一ごはん』(※歌詞に「お家に帰ろう」とある)でした。
ちなみにビーフシチューは長時間煮込むと美味しくなるけれど、クリームシチューは煮込みすぎると材料が分離してしまう。煮込まれすぎないほうが、家族も美味しいのかもしれません。物語ラスト、煮込まれていないできたての「うまっ」は、今の4人の最適距離なんだろうなと感じました。

曽根千智

満足度★★★★

ひとつの家族をめぐる結婚譚

ネタバレBOX

4人の俳優の間に揺蕩う台詞の隙間を縫って、濃密に展開される家族会話劇。実は本当の親子なのに互いに知ってか知らずか、という設定自体は王道ではあるのだが、大阪弁の薫と璃の少しだけ踏み込みすぎる親切心とのバランスで、シリアスになりすぎず、最後まで落ち着いて物語の行方を追うことができた。戯曲展開、情報量のコントロールが巧みであり、観客を最後まで惹きこみ引っ張る骨太な上演であった。

親子の間のわかりあえなさが切ない。「せめてここまでは分かり合えると思っていたのに」と期待したラインを超えて、相手のことが理解できなくなるときにどうしようもない寂しさを感じるのだと思った。どこまでも嫌知らずする父親にとうとう拒否する力もなくなって途方に暮れ、諦めるシーンの切なさは、誰もが似たシーンをかつて経験したことがあるからこそ、客席に深いため息が漏れていた。「相手の嫌がることを強行するな」は当たり前に思えるけれど、大抵の場合、それらは「自分がやらないでいることがストレスフルで落ち着かない」という事象の裏返しであり、父親はいつも最後は自分自身の方が大事であり、父親の気持ちが優先されるべきだというメッセージを発し続けている。このどうしようもない袋小路に、ギターは無力なのだ。

観劇中、取り留めなく過去の家族の思い出が想起される(観客として、一見本編とは全く関係のないシーンが脳裏に浮かぶのはいい上演だと思っている)。集中しているが、意識はどこかに彷徨うような緊張感の上演であった。完全暗転にせず、青光だけを残して逆光の中でゆるやかにシーン展開する照明演出は見事で、家族は嫌でも続き、縁は簡単に切れず、時空も歪まない、すべてが地続きでありそこで生き続けていくのだというしんどさを、身体感覚として舞台と客席一同に共有できていたように思う。登場人物が少なく、集中しやすい会話劇なので、小劇場演劇をあまり観たことない知人・友人も誘いやすい演目だと思った。

(以下、ゆるいつぶやき)
家族を扱う作品の難しさに、多様化しすぎた家族像を背景に共感ポイントを作りにくい点があげられ、作家自身が書きあぐねているのではと、現代作品を観ていると特に感じることがある。『なんかの味』では『秋刀魚の味』を下敷きにしたという公演前情報もあり、関係性が事前にある程度予測できた点がよかったように思う。離婚、離別、死別、虐待、介護など少なからず辛い記憶と結び付きがちな家族の課題について、過度に一般化せず、「それはさすがにないやろ」と突っ込んでしまいそうなくらい離れたところから徐々にフィクションの力を借りて深部に潜っていく作り方が、観客として見ている一個人として心理的に楽であった。

深沢祐一

満足度★★★

「向き合えない家族の真実」

 小津安二郎が1962年に発表した最後の監督作『秋刀魚の味』をモチーフに、保坂萌が書き下ろした会話劇である。

ネタバレBOX

 トリスウィスキーのボトルが並ぶ古ぼけたバーに、平川迪子(橘花梨)が入ってくると、そこへ父の秋平(有馬自由)が続く。10日後に結婚式を控えている迪子は秋平に話があるようでどことなく気が重そうだが、どこ吹く風の秋平は披露宴でギターを演奏させろと急に言い出す始末で埒が明かない。そこへ入ってきたママの薫(松永玲子)は賑やかすぎる関西弁を捲し立てバンドを組もうと言い出し、その距離の詰め方に迪子は困惑しつつ秋平と薫の仲を訝しむ。気だるそうに入ってきたバイトの璃(中野亜美)にダル絡みされた迪子は、つっけんどんな態度がさらに加速してしまい、しまいには秋平に「親子の縁を切る」と激昂するのだった。

 幼い頃に母を亡くして以来祖母と3人で暮らしてきた平川家の父娘は、互いを慮るあまりにぶっきらぼうな対話しかできないようである。ちいさい頃からの不満をぶちまけた迪子は、先程の非礼を詫びた璃と二人だけでココアを飲み四方山話に花を咲かせる。薫に離婚歴があり成人した娘がいることを璃に教わった迪子は、仮に秋平が薫と再婚したら妹ができる、自分は中学生の頃に妹が欲しかったと打ち明ける。璃もまた母子家庭で育ったのだが、男に苦労ばかりしてきた母には複雑な思いがあるようだ。やがて迪子は電話で結婚式をキャンセルして秋平と薫を激しく動揺させる。ここでようやく迪子は、この結婚が新郎側の申し出で破談になったことを打ち明けるのだった。

 『秋刀魚の味』と同様に、本作では結婚を期に顕在化した娘と父親の心の揺れを描いている。しかしそこに隠された家族の真実を明かすミステリを入れ込み、コミカルな会話劇に仕立て上げた点が大きな特徴である。なかなか腹の底を明かさない迪子や秋平と同じく、本当は迪子の母親である薫とすべてを知っているのであろう璃もまた本音をなかなか打ち明けない。説明的な台詞を極力廃し他愛のない会話のなかから種明かししていく仕掛けが秀逸である。

 出演者に当て書きされたという各役はそれぞれぴったりといったところで、特に薫役の松永玲子が会場を大いに沸かせていた。ちいさな劇場ゆえに全体的にもう少し声の大きさを絞ったほうがいいようにも感じたが、皆イキイキと各役を生きていた。当初は「粉ものに白いご飯を強要してくる感じ」などと陰で薫に毒づいていていた迪子が、最後に薫が作ったシチューに「……うま」と嘆息する幕切れもよく考えられたものである。欲を言えば『秋刀魚の味』に描かれていた時代の雰囲気や結婚制度への皮肉を感じたいところであったが、肩の凝らない芝居を大いに堪能した。

松岡大貴

満足度★★★

仕事終わりに、あるいは友人と、誰とでも楽しめる一杯

ネタバレBOX

会話の余白や少しの間、そこに想いを馳せたくなるような、丁寧に仕立てられた会話劇。
娘と父、そして「ママ」とバイトの女性。たった4人の登場人物によるやり取りの中で、家族とは何か、血縁とは何か、そしてわかりあえなさの切なさとおかしみが、にじむように浮かび上がっていきます。

とりわけ印象に残ったのは、ママ役・松永玲子の佇まい。少し押しの強い関西弁のテンションが、この空間にふっと風を入れ、停滞しがちな人間関係に微細なずれと変化をもたらしていた。彼女がいることで、物語がふいに裏返る瞬間があり、そのさじ加減が見事でした。

派手な展開や強烈メッセージがある訳ではないけど、小さな言葉や行き違いを丁寧に積み重ねる。そんな穏やかな舞台だからこそ、観客は自分の記憶や経験を静かに引き寄せながら観ることになるのでしょう。上演を通じて、穏やかに自分の感情の記憶を振り返るような時間でした。誰かを誘って終演後、一杯飲みながらも楽しめる芝居だと思います。

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