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カテゴリ:ワークショップ告知 返信(120) 閲覧(8017) 2017/04/17 17:56
「感想レッスンの百害」
ヴォイス&アクターズ道場では、既にプロダクションや劇団に所属して、
この作品のこの役をゲットしたい、という目標が限定している方のレッスンや、
このプロダクションに入るには付属養成所に入るしかないから通っているが、
そこのレッスン内容の質と量に疑問を感じるので実質的な演技磨きは道場でやりたいという方のレッスンなど
各人の目的に合わせたレッスンも請け負っています。
志望校合格や希望するプロダクション所属の夢を叶えた報告を聞くのはレッスンを担当している人間として大きな大きな喜びです。
レッスンの質や量というのは比較対象がないと人は判断しづらいもので、
世の中には見学不可の演技レッスンも多く、飛び込まなければ分からないことが多いです。
道場のレッスンは「相手役のいる個人指導」、具体的に演技の改善点を提示していくというのがどんなレッスンなのか
それこそ具体的に見学してもらわなければ分からないので始める前に無料体験をお願いしています。
演技レッスンをビジネスと割り切って、その為には大人数少時間でベルトコンベアー式に次から次へと
一人ひとりにはほんの少ししか演技させず、アドバイスも最低限にするのが一番儲かる商法なのは想像出来ます。
それにしてもこれはないんじゃないかなと思う話しを大手養成所のレッスンでよく聞きます。
「やる気なさそう。つまらなそう。」
ある養成所で3ヶ月間ひとつの課題に取り組んだ声優志望者に3か月分のアドバイスとして講師から渡された言葉がたったこれだけだったそうです。彼女の同期生から聞きました。
これのみ。これが全文。成績表として渡され、口頭などでの他の言葉のフォローも全く無し。
僕がこの生徒だったら、「自分のメンタルが悪いから自分は演技が上手くならないんだ。」と思ってしまうでしょう。
講師が感想しか言わない、印象しか伝えないレッスンだと、受講生で真面目な人ほど自分を責めてしまう傾向があります。
正確に言えばこれは
「(貴方の演技は)やる気なさそうに見える。つまらなそうに見えてしまっている。」
であり、これでもまだまだ言葉が足らず、
なぜやる気がなさそうに見えるのか。それは大抵の場合、役や場面が求めるテンションの高さや感情の強さが表出出来ず、
台詞が相手役にかからず演技が不発に終わってしまっている、ということで、
なぜそうなってしまうのか、
役の人物の気持ちがどこで変わっているか、台本に書かれた気持ちの折れが読めているか、
読めていてもその流れの分岐点で演技(台詞と動き)が変化出来ているかを分析し、
その変化が乏しいから「つまらなそう」な演技になってしまっているのだとしたら、どうしたら
動きにメリハリを付けて、台詞にテンポを出し、かつ言いたい思いを声で伝えるにはどうしたら良いか、
つまり台詞術のテクニックを伝えていくべきです。
ここまでやって初めて「レッスン」と言うべきです。
演技に限らず具体的方法を教えてくれないレッスンはレッスンとは呼べない。
講師の感想を伝えているだけです。
自分の演技が上手くいかない。活き活き演技出来ない。から
レッスンに来た人に「やる気なさそう。つまらなそう。」
感想だけ伝えてどうする・・・
レッスン料払って自主的にレッスンに来ているのだからやる気はあるに決まっています。
こんな「印象だけレッスン、感想だけレッスン」だと
受講者は出口を見つけられません。自分を責めて落ち込んで、演技の改善点にフォーカスした自主練の仕方も教わらないまま
また次のレッスンでも伸び伸びと演技出来ず・・・の繰り返し。
具体的なことを伝えれば、大抵、人はそれを試し、試せば実感出来、繰り返せば自分のモノにしていけます。
「やる気なさそう。つまらなそう。」は、ご本人の「演技がどうしたら上手くなるか分からない。」を
ただ言葉を変えて言っただけ。その方のメンタルが演技に問題があるようにも聞こえてしまう分、
言葉の言い換え方にも百害あるばかりです。
こんな言葉足らずのレッスンだけ受けて、自分には可能性がないんだと思い込んでしまって夢をあきらめ傷ついてしまう人がいるのは悲しいです。
演技が上手くいかないのは演技が上手くいかないだけの問題です。メンタルなんて関係ありません。
元々やる気はあるのですから。
気持ちが乗った方が演技が良くなることが多いのは確かですが、それだって技術の裏打ちがあってこそです。
演技の技術は
・気持ちの持っていき方の技術
・動きや台詞表現に活用出来る具体的なテクニック
の両方を指します。両方必要です。あった方が有利。
気持ちの持っていき方については特効薬はありません。
自分でもなかなか思うように付き合えないのが心ですから。
ただ、気持ちをその役の演技に有効なラインに持っていくエクササイズはあります。
それと、多くのケースや傾向を紹介することで、自分に響く「気持ちの持っていき方」を人は選べるようになっていきます。
そして動きや台詞を活き活きと見せる聞かせるテクニック。
これは力のある講師なら、その方の傾向や段階に合わせて具体的技術を伝えていくことが出来ます。
抽象的な「こんな感じで言って。」というリクエストではありません。
「貴方はこういう人物を描こうとしているけれど、動きのこの点、話し方のこのポイントがこうなっていることが成果の邪魔をしている。」
無意識に出てくるその方のクセ(クセも演技に利用出来るものとそうでないものがあります)の情報を共有し選別、
今の話し方のポイントをこう変えるとこう内面が変化しているように聞こえる具体的特長を多く紹介し、
その中でその方に響くテクニックを伝え、試していく。
何度も試して身体と心に馴染ませていく。
それは1回2回で終わるような簡単な道ではありませんが、人は漠然と自分をどうにかしたいと思うよりも
「貴方はあそこに行きたいのではないですか?」と具体的目標を提示した方が努力が継続しやすいです。
何か違うよ。ではなく、今の演技のここをこうするとこう印象が変わるよ。です。
その中で、段々と自分がこれからする演技が
・周りの人にどういう印象を与えるかを自分で選べる。
・選んだ表現を何度でも出来る。
ここに「新鮮に」というニュアンスが加われば鬼に金棒です。
一生懸命演技したのに
「やる気なさそう。つまらなそう。」しか言葉をもらえなかった彼女が
自分を責めていないことを祈ります。
やり方を教えず、印象・感想しか伝えないレッスンで成果が挙がらないのは受講生のせいではありません。
ヴォイス&アクターズ道場
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「口を大きく開けることと口を大きく使うことの違い」
全くの初心者にも既にプロダクションや劇団に所属してプロとして活動している方にも
毎週レッスンしていて感じるのは、刷り込みの怖さです。
以前のレッスンで云われた抽象的なダメ出し(←この言葉自体僕は嫌いです。
外国の演出家の現場のように「アドバイス」や「お願い」の方がずっと好影響が出やすい)や
テクニックの差異を具体的に指摘出来ない担当者の、精神論のせいにする押し付けを
「自分が駄目なせい」の理由に真摯に受け止め過ぎてしまって、
出口のない袋小路に自分で自分を追い詰めてしまう・・・
演技中思うように表現出来ないと「ごめんなさい。」を連発してしまう・・・
僕の稽古場では演技が上手くいかなくても「ごめんなさい。」は言わないでほしいと伝えています。
誰に頼まれたわけでもない、演技表現の上達の為に
一生懸命やっているのは確かなことなのですから、
貴方は謝らなければならないようなことは何もやっていない。
レッスン中の「ごめんなさい」癖は付けないでほしいと思っています。
例外はもちろんありますが(笑)、演技者を志す人は基本的に真面目な人が多いと感じています。
真面目な人ほど、刷り込みをいつの間にかトラウマ化にしてしまい、
演技が思うようにいかない悪循環を生み出しがちです。
それを避けたくて、レッスンでは精神論よりも具体的なテクニックを優先して伝えるようにしています。
メンタルも大事。でも気持ちだけあってもプラス技術も伴う表現者には敵うわけがないと思います。
台詞回しのウイークポイント改善の為に、
「口を大きく開けて台詞を言うこと。」を刷り込まれている人の多さには驚きます。
短時間で大勢の受講者をベルトコンベアー式に扱う演技レッスンでは
一人ひとりの癖や傾向に寄り添うことが出来ず、こうしたザックリした指導になりがちです。
顔面体操のようにとにかく口を大きく動かすことをきっかけに、いつしか自分に合った
滑舌克服法を見つけられる人もいますが、口を大きく開け続ける非日常的行為は
演技的にはマイナスに働くことの方が多いです。不自然だからです。
口を大きく開けることと、口を大きく使うことは違います。
発声、滑舌が良く、声に感情が乗りやすくなることを目指しているのに
日常的な表情、リアルな感情の表出から遠ざかってしまうのは遠回りだし、勿体無いです。
以前他所で演技レッスンを受けた経験者の方が、
口を大きく使う簡単な練習法を、実際にやってみせると驚く人が多いことに驚かされます。
口を大きく使うことが滑舌を良くする基礎。
それさえも伝えてない演技講師が多いのは罪作りです。
ヴォイス&アクターズ道場
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演技というのはバランスなんだなと毎週感じます。
すごくザックリした言い方になってしまいますが、
演技というのはデジタルでは割り切れない究極のアナログ行為だと
僕は思っていて、演技は、と言うより人間は、
「身体」、「脳みそ」と「心」の三つで構成されていると思います。
演技のバランスは正三角形がベストとは限りません。
アクションやミュージカル系の俳優は、動き(振り)が付いていた方が
台詞や歌詞が出やすい傾向があります。その場合その方にとっては
身体を頂点とした二等辺三角形が演技に有効と言えます。
どの辺が長い方が演技していて自分のイメージに近づきやすいか、
演っている時は無我夢中で良いのですが、演じた感覚が残っているうちに
自分の傾向を振り返る習慣は大事です。
それが自分という楽器の使い方を知ることに繋がるからです。
先日ある演技派、憑依型と呼ばれる女優さんのインタビューで、
「演技していて楽しいと感じるのは一年に一回あるかないか。
いつも一つ先の台詞をイメージ通りに言えるか、動きにクセが出ず
ナチュラルに動けているか。ちょっと先ちょっと先の自分をコントロールして
演技を置いていくことに精一杯。」
という意味の発言があり、僕は大変驚きました。
丁度その舞台を劇場の最前列で観ていたのですが、
全公演ソールドアウトも頷ける充実の舞台で、
全観客が求めているであろう「何かに取り付かれたような」演技で観客を魅了した、
心、脳みそ、身体の三角形なら心の辺が圧倒的に長い三角形で
演技しているとしか思えないその女優さんの口から
まさに、「私は脳みそ主体で演技をしている。」発言が出たことが僕には大変に意外でした。
憑依型、霊媒師のように自分の身体に役の魂を宿らせて演じるような演技が常の評価の方だったからです。
でも思い直しました。
一つひとつ、瞬間瞬間の演技の要素を丁寧に、イメージに忠実に置いていっているからこそ、
結果的に俯瞰で観た時に、何かに取り付かれたような、乗り移ったような憑依型の演技に観えるのではないか・・・
毎公演、そしてどの作品でもそういう印象を残せるのではないか・・・
本当に自分の「心」に自分が熱中していっぱいいっぱいになってしまうと
案外、お客様に伝わるものは薄味になりがちです。
ましてや、気持ち先行の演技は、回ごとの演技の出来が安定しないことが多いです。
本人はどこか冷静な自分がいて、レシピに忠実に瞬間瞬間を丁寧に仕事をしていっているからこそ、
結果的に激情に駆られて役の時間を生きているように観える。
演技者が気持ち良くなり過ぎないからこそ演技成果が充実してくる。
僕自身、役の気持ちと自分の心がほぼ合致した気がして、今夜の本番は良かったんじゃないかと思った時、
演出家から「もっと距離を取り客観視して演じなければダメだ。」ときついダメをもらったことを思い出します。
逆に演じていて陶酔感が全くなくて、仕方なく一個一個の台詞や動きを忠実に、丁寧に置いていくことに専念して
何とか乗りきった本番後、自己嫌悪に肩を落として戻った楽屋で、
滅多に誉めることはない演出家から「今日は良かった。」と云われ、呆然とした記憶も去来します。
弾けていながらも抑制する難しさ。
まるで職人が持てる技術を駆使しながらも傍目には心のまま踊っているかに見えるような・・・・・
演技者にとってバランスは永遠のテーマです。
バランスを取る手助けが出来るコーチでいたいといつも考えています。
ヴォイス&アクターズ道場
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守秘義務や情報公開に制限があり、
喜びを大きく書けないのがもどかしくもありますが、
映像、広告媒体や舞台など、レッスン受講者のプロとしての仕事が続けて決まり、
大変嬉しく感じるのと同時に以前の自分を振り返って感じ入るものがあります。
僕はずっとオーディションを「受ける」側でこの業界で仕事をしてきました。
現在も現役の俳優としてのそれは変わりませんが、
同時にオーディションに「送り出す」立場、「見る」側にも今はいます。
若い頃はとにかくオーディションが怖くて緊張して、
自分の良いところをなんとか搾り出してでも見せようと躍起になって
結局ガチガチの状態で審査時間を過ごしていたと思います。
冷や汗、失態、後悔、数え切れません。
自分を良く見せようとする意識がまるで透明なベールのように僕自身を覆って、
何の受け答えをしても人間味の薄い、通り一遍の、感情の幅の薄いやり取りのなんと多かったことか。
自分が「見る」側になってしみじみ分かるのは、選ぶ方も怖い、ということです。
昔、ディレクターは3本失敗作を撮ったら進退窮まると現場の現役の何人もの方から云われたことがあります。
制作側の状況はもっと厳しくなっているのが現在の実感です。
オーディションで選んだ人間が、本番でもし良い演技をしてくれなかったら、
それはキャスティングした人間の責任にもなります。
だから選ぶ方も真剣。
オーディション対策のレッスンではこの点を大きく踏まえて、
じゃあどうすれば良いかを一人ずつ検討していきます。
選ぶ側が何を知りたいと思っているのか
何を感じたいと思っているのか
オーディションの帰り道、「もっと出来たかもしれないのに・・・」自己嫌悪するのは避けたい。
自分を盛らず、個性をありのまま見せる。
自分に出来る技術的なことを提示する。
この二つの実行に向けて。
緊張はあっても自分を受け入れるようになるには、
マニュアルをなぞったり、最大公約数をあてがうようなレッスンは不向きです。
各人がレアケース。
僕自身、自分を等身大で出す、そんな自分を認めるようになれるまで随分時間がかかりました。
それは危ういバランスで、媚びる方向と開き直る方向の引っ張り合い。
ちょっとしたことでどちらかに傾きやすいのが「オーディションでのその場の居方」です。
でも自分の緊張との付き合い方、
自分のバランスが崩れそうな時感じるセンサーのポイントなどを知ることにより、自覚することが出来ます。
ヴォイス&アクターズ道場
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僕のレッスンは基本的に「演ってるか見てるか」。
見稽古はもちろん大切でそこから
得られるものは大きいのだけれど、僕自身数多くの場所で
レッスンを受講してきて10分~15分しかやらせてもらえない
(中にはその週まったくやらせてもらえない!)ことが多くて
「これだけしかやらせてもらえないんだ・・・」とガッカリしてばっかり
だったことに由来しています。
もちろんその10分で自分のこの一週間の自主練の成果を
発揮するつもりで臨むのだけれど、それにしても
同じだけやる気がある人なら、一回10分しか演じられないよりは
90分演じ続けられる方が変われる可能性は格段に高くなるわけで、
時間だけでなく、そこで交わされる会話も
「なんか違うなぁ」は禁止。
どのみち演技にこれが唯一なんて正解はないのだからこそ
今この時感じた違いを自分で自分に言葉で説明していく。
そうすることで「新鮮に、何度でも繰り返せる」自分に近づけると確信しています。
自分がこれからする演技が周りにどういう印象を与えるか
自分で「選べて」、それを何度でも新鮮に「繰り返せる」
選べて繰り返せる、それができてくると表現の喜びは格段にアップします。
それを早く味わってほしくて先週のレッスンでも
繰り返し繰り返し、「相手をどうしたくてその台詞を言ってるの?」
「じゃあどこで間を取ったら効果的だろう?」
「感情が収まってしまったのは、ここでブレスを取ったからじゃない?」
「一筆書きのようにここからここまでは一息で言ってみよう。」
まずは投げかけて、自分で考えてもらって、それをやってみて
上手くいかなければこちらのアイディアを試してみて・・・の繰り返し。
感じたことを自分で言葉にして改善策を考えて試す。
何度も何度も演じ試す中で明らかに演技が変化していくのを見ると
9時に入った稽古場の時計が17時を過ぎていても
自分でもビックリするくらい時間が短く感じます。
自分を変えたいと願っている人が実際変化する場に立ち会える喜びは格別で
稽古場で一番エネルギーをもらっているのは僕自身な気がします。
ヴォイス&アクターズ道場では、毎週どのレッスンでも必ず
専用音声ブースを使った声優演技の実習をやります。
声優を目指す方に
プロの現場と同じ手順で台詞量のある役をアフレコする
大変さと楽しさ両方を味わってほしいのと、
舞台や映像の顔出し演技を志望するメンバーにとっても
声の表現に自分の物差しを持つとはどういうことなのか、
逐一レクチャーしながらもう1回もう1回と
何度もマイク・ワークをすることは大きなプラスになるからです。
顔出し演技と声優の一番の違いは本番でも台本を持つ(てもよい)ことで、
記憶力が演技に及ぼす影響的にはそれは心強い味方ですが、
逆に台本を見ながら演るからこそ陥りやすい罠もあります。
・外国の実写作品の吹き替え
・外国のアニメのアフレコ
・日本のアニメのアフレコ
・オーディオ・ドラマ収録
・ナレーション収録
が毎週行う音声ブース・レッスンの5大柱です。
外画(実写作品)とアニメのアフレコの演技のサジ加減の違いなどは
それこそ経験してみないと実感出来ないもので、
アニメと実写ではこんなにやることが違うのかと驚かれることが多いです。
台本を渡して初見で台本を読んだ印象と
画面を観ての印象の違いを自覚することから始めます。
画面に合わせながらのリハーサル。まずは自己流でやってみる。
アフレコが上手くいかないケースにはいくつかの共通点があって、
それを紹介しながら、自分に当てはまるポイントがないか考えながら
何度もリハーサル、小返しを繰り返し、マイク前で収録をしていきます。
立ち位置の譲り合い、マイクを味方につける距離感の切り替えなどのマイク・ワークも
何度もテイクを重ねる実践の中で体得していきます。
外画は韓流ドラマなども手がけますが、英語圏の作品を取り上げることが多いです。
TVドラマなどで快活でナチュラルな魅力を振り撒くアイドルが
外国アニメの日本語吹き替えに挑戦したら
「何この棒読み演技・・・どうした〇〇!」なんてネットに書かれてしまうことがありますよね。
顔出し演技時の台詞だけ聞いていると活き活き話せているのに、
吹き替えになると棒読みに聞こえてしまうケース。
これにも理由があり、解説出来ます。
僕自身が通ってきた道だからです。
英語の原音を聞きながらだからこその演りやすさは外画アフレコ仕事の大きな魅力ですが
同時に落とし穴もあります。
英語と日本語の気持ちの込め方の違い。
よく外国人が日本語は最後まで聞かないと意味が掴めないと言うのを聞きますが、
これは日本語の文章の構造の話しだけでなく、
私たち日本人が声を出す時に無意識に選択する気持ちの込め方のことも指しています。
音感の違い。
原音を聴きながらの吹き替え作業だから無意識に耳が原音に引っ張られてしまい、
抑揚に自身で制限をかけてしまうケースが非常に多いです。
そこに「台本を持って演っても良い」という本来武器になるはずの条件が
逆に「読んでる感」を助長する台詞術の特徴を強調させてしまい、
顔出しの演技で輝いている方が吹き替えを担当するとあれ???と云われてしまう現象が起こりやすくなります。
特別なことではありません。
・音感を鍛えることと、
・原音に引っ張られた時に起こる話し方の変化の特徴
・読んでる時と話してる時の自分の何が違うのか
この3つの傾向と対策を(各人で詳細は違うので)
一人ひとり具体的にポイントを指摘し、何度もマイク・ワークを繰り返していくと
必ず人は進歩していきます。演技が変わっていくのを見るのは大きな喜びです。
アフレコ・レッスンも、収録を1回しかやらせてもらえなかったり、
台詞の数が10以下の役しか演らせてもらえなかったりすると
どうしても取り繕って自分の良いところだけを見せよう聴かせようとしがちになります。
ボリュームのある役を何テイクも重ねてアフレコ実習するレッスンの利点は
自分の演技のサジ加減を試し、失敗もいっぱい出来ることで、
失敗の遠因まで毎回各自に具体的に説明していくことが前進のサポートになると感じています。
ヴォイス&アクターズ道場
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「講師が楽を出来る演技レッスンとは 1」
私自身が長年、様々なレッスンを受けてきて(今現在でもいろいろ受けています、それが当然だと思っています)、
おかげで新しい自分と出会えたレッスンがあった反面、
効果が少なかったレッスン、時間の無駄だったと感じたレッスンもありました。
どんな習い事でも様々な講師やレッスンがあるものでしょうが、
特に演技レッスンは、講師の資格は定められておらず、また出来不出来を数値では表せない、
技術の発揮もそれぞれの個性や特長と連動してはじめて効果を大きくするものだけに
講師の実力やレッスン内容の是非をチェックしづらいものです。
私自身が今まで受けてきたレッスンを比較することで、レッスン選びの参考になればと思います。
比較対象があった方が人間は自分の欲しているものを把握しやすいからです。
どんな劣悪な環境にいてもそこから積極的に何かを掴んで這い上がってくる人はいます。
でもやる気ある方がもっと良い環境に自分を置ければそれに越したことはないでしょう。
人数や時間についての考察は後に廻して、講師が楽を出来る、手抜きが出来るレッスンとは
どんなレッスンなのか、私が実際に経験したものを紹介します。
〇講師が手を抜けるレッスン
1、人数とカリキュラムのバランスが悪く、一通り演技させるだけで時間が経ってしまうレッスン
これは必ずしも担当講師に手抜きの意思があるわけではなく、経営側からのリクエストで
雇われ講師として仕方なくこうしているケースも多いです。
しかしながら、限られた時間で人数が多いクラスなのに、判で押したように二人一組のテキストしか
用意出来ない講師が世の中に多いのもまた事実です。
私自身、大手の商業主義の養成所の雇われ講師を始めた当初、
テキストの探し方が分からず、図書館と本屋を頼りに(今ならネットもありますが)テキスト発掘に必死でした。
世の中実に沢山の台本、シナリオ、脚本と呼ばれるものがありますが、二人きりの会話の場面が一番多く、探しもしやすいです。
そういうテキストしか探せない講師側の事情に、生徒側の要求を裁断して、
例えば2時間の1クラス・レッスンで人数が20人以上いるのに、2人一組の台本だと10組以上の組み合わせを作り、
結果、1組あたりにかけられるレッスン時間は長くて15分、短ければその回は自分の出番が一度も回って来ず、
クラスメイトの演技を見てるだけ・・・。
演技レッスンを受けたことない方が読んだら嘘でしょうと思うと感じますが、
様々な環境に身を置いた方々と話しをしてきて、こういう経験が多い方に非常に驚かされます(つづきます)。
僕は仕事柄毎週いろいろな方と出会います。
人間て面白いし愛しいと感じます。
素直にそう感じられるうちは、自分自身
「演技」を生業とする資格があるのかもしれないとも思います。
どんな心持ちで演じたら良いのか、
またレッスンしたら良いのか考える時、
思い出す言葉がいくつかあります。
30歳を過ぎて劇作家を志した秋元松代氏が
表現の創作に対して途方に暮れた時
三好十郎氏が伝えた言葉、これもよく思い出します。
「あなたが、これだけは ぜひともいいたい。
それをいわねば、あなたの精神の大切な部分が
錆びてしまうと思うことが 一つはあるでしょう。
それを分かりやすく 誰か一人の人に
話しかける気持ちで書けばいいのです。」
作家と演技者は表現方法が違うけれど
「伝えたい。分かってほしい」が原動力なのは一緒な気がします。
本を読むことと演技を観ることも鑑賞方法は違うけれど
「自分だけじゃないんだ」と感じたい気持ちが動機なのは一緒な気がします。
こんな心持ちでレッスンをしていきたいといつも思っています。
出演するのとレッスンの両方やっていることのバランスが
自分にプラスに働いている実感が大きくて、毎日毎日
とにかく演技・芝居のことばかり考え思考している現在が嬉しいです。
夢の中でも今日見た受講生の演技の特長を反芻して、
「この例えでアドバイスすれば良かった。」、
「この伝え方をすれば助詞上がりが直ったかもしれない。」と思って、
目が覚めて既視感の強さに笑ったりしています。
マニュアル通りのことは言わない、フォーマットをなぞらない個別対応は
講師がうかうか出来ずこちらの緊張感も半端ないのですが、
そのレッスン効果は大きく手応えも確かなので、
これからも毎回受講生全員に
それぞれの課題に合わせて別々のことを具体的内容で
アドバイスしていくという「お約束」は自分に課していきたいです。
未だに見学者を迎えるはじめましての時など
私は極度に緊張してしまいます。
相手がどんなに若く、演技経験が無くても関係ありません。
むしろ私の対応の仕方で、演技そのものへのその方の印象が
がっかりするものになったりしたら、それは大変淋しいことなので
慣れることなど出来ません。
自分の出演で現場入りする時も同様に心臓バクバクで、
経験の多さや加齢と共に周りの方の対応が変わってきたことと
自分が相変わらず新人時代と同じビビリであることの実際との落差に
「表現に携わる仕事に向いてないんじゃないか。」と
今でも思う日があります。
もっと「こうありたい自分」はいつでも百歩先を歩いているかのようで、
自分に満足出来ず、ましてや自分の演技に満足出来ないことは
ずっと続く道なのでしょうが、逆にこういう人間なのだから
不安に震えながらも演技をしたいという心の声を抑えきれない方々の
やる気に対して、惰性でなく真摯に向き合え出来ることもあるはず。
自分のコンプレックスを力に転化するべく
演技のことばかり考え続けていきたいです。
ヴォイス&アクターズ道場
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「自己紹介の作戦 1」
オーディションでは自己紹介が付き物です。
ほとんどの場合、同じ役の候補に挙がっている俳優は
同じ場面、同じ台詞を言わされます。
逆に言えば、課題を披露する前後の自己紹介部分のみが
その候補者の肉声・考え方をスタッフが察する機会になります。
自分自身の過去の数々の失敗、そして今、
沢山の方の自己紹介を自分が聞く側になっている経験から
勿体ないなぁと思う例を紹介したいと思います。
新人の声のキャスティング選考に審査する側で参加した時のこと。
控え室に集められた方々を5名一組のグループに分け、
一度廊下に並べた椅子で待機してもらい、前のグループが終わったら
控え室の隣室に入ってもらいそこで一名ずつ自己紹介後、
役の組み合わせを変えて何度か台詞合わせ。
という典型的なオーディションの流れでした。
5名ずつ入室してもらい、端から順に自己紹介。
最初のグループの面接が始まって、
一人目の方が「私は子どもの頃からアニメが好きで、声優に憧れていました。」
二人目の方が「私も子どもの頃からアニメが好きで、声優になりたかったです。」
僕自身が子どもの頃からアニメが大好きだったので、緊張しながらも一生懸命
自己紹介をがんばっている様子をこちらも一生懸命聞いていると・・・
三人目「同じなんですけど、私も子どもの頃からアニメが好きで、声優を目指しています。」
四人目「私も子どもの頃からアニメが大好きで、声優って素晴らしいって思っていました。」
ここでようやく僕自身「んん?」と感じて、まさか最後の五人目の方だけは・・・と思ったら、
やはり五人目の方も「私は子どもの頃からアニメが好きで、声優に憧れていた」方でした・・・。
演技が終わって次のグループの入室。
次の一人目の方が「私は子どもの頃からアニメが大好きでした。」言い始めた瞬間、
その方には申し訳ないけれど、「嘘・・・」って思いました。
隣室である控え室の話し声がオーディション会場にも聞こえています。
廊下とは薄い壁で仕切られているだけの会場なので、大きな声でハキハキ自己紹介する
オーディション受験者の声は廊下で待機している次のグループの方たちには聞こえているはず。
控え室にいる方たちだってちょっと耳をすませば会場の声は聞こえていたのではと感じます。
その日のオーディションでは28名の方にいらしてもらったのですが、
結局そのうち21名以上の方の自己紹介が
「私は子どもの頃からアニメが好きで」という枕詞でした
(途中から意識して数を数えたので上記表現です)。
勿体ない・・・。
そりゃあ「子どもの頃からアニメが好き」だったから
声優に憧れて、今このオーディション会場にいるのでしょうから
それは嘘ではなく、純粋な心の声なのでしょうが、
勿体ない!ひたすら勿体ないと感じました。
僕は自分が、オーディションを見る側だけでなく、受ける側もやっているので
(自分で言うのも何ですが)こういう時相手の気持ちが分かるので誠意を持って見ます。
莫大な数のオーディションを僕自身落ちてきましたが、
ちゃんと見てもらえた、これで落ちるなら諦めがつく、そう思えたオーディションは
今でも良い思い出です。そりゃあ悔しいけれど、やるだけやった。そう思える体験は
ある種の清々しさがあって、その作品のオンエアを見ても完成に到るまでの
道程を思って嬉しく見られます。
逆にちゃんと見てもらえなかった、手を抜かれた、惰性の対応だったと感じた
オーディションははっきり言ってムカついて、時間を無駄にした思いが強く、
うらめしい気持ちが強かったです。
受ける側の気持ちが分かるし、その観点からオーディションを見る側に呼ばれているわけなので
自分なりに本当に一生懸命審査に臨むのですが、それでも正直言って、
次から次へと人が変わってもまるで判で捺したように
「私は子どもの頃からアニメが好きで・・・」攻撃が続くと
その既視感にクラクラし、目まいがしそうでした。
でも、それぞれの方がそう自己紹介しているのは
それが事実で、だからこそ言わずにはいられないから言っているのでしょう。
その気持ちも分かります。
ではどうすれば良いのか、僕の考えを書いていきます(つづきます)。
ヴォイス&アクターズ道場
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「自己紹介の作戦 2」
新人に限らず、僕自身が受けるオーディションでも
寄席の噺家さんのマクラのごとく、クリスマスの時期なら
「クリスマスで思い出すのは・・・」、
バレンタインの前後なら
「バレンタインといえば・・・」と
自己紹介を始める方はよくいます。私もその一人です。
自分の前、前の前、前の前の前の方と同じエピソードで
自己紹介を始めてしまった方たちと私との違いって何だろう・・・
私の場合だと、誰かが自分と被る話題やネタをやったら急遽内容を差し替えます。
誰だってそうすべきと思うでしょうが、これがなかなか難しい。
次がすぐ自分の番だったらあっという間に順番が来てしまい、しどろもどろになりがちです
(そういう体験も私自身いっぱいして来ました)。
最初、自己紹介分を考える時、作文形式で私は考えます(それ自体苦手ですが・汗)。
音読して1分間になる自己紹介文をまず書いてみてください。無理に1分に納めることは大事ではありません。
かといって短過ぎても何を言いたいのか分からない内容になりがちですので、最低1分の目安で書いてみます。
やると分かるのですが、一つ二つの話題で引っ張って引っ張って何とか1分間の展開になりがちです。
作文していてそうなのですから、これが何も持たず人前で同内容を話そうとすると
「あの~、その~、えっと・・・」が多く入ってきます(慣れなければ当然です)。延びちゃいます。
1分間前後の自己紹介を求められることが業界では一番頻度が高いです。
1分前後でとスタッフから云われて1分越えてもそこで制止されることはまずありませんが、
謀らずも長引く自己紹介はほとんどの場合、本人にとって損です。
逆に上手いなぁと感じる自己紹介は実際には1分半~2分を越えていても短く感じます。
体感時間の不思議ですが、自己紹介慣れをしていくことで話している自分と聞いている側の
感覚が合致していくことは可能です。
自己紹介の焦点の合わなさ、肝心な話題の欠如、余分な言葉の頻度や傾向は
いくら録音機器で録ってもなかなかセルフ・チェック出来ません。
聞き返すだけでも一苦労ですし、どうしてもそこに主観が入るからです。
客観性の獲得には「読める」状態でのチェックをお勧めします。
まずは作文風、日記風、エッセイ風などなるべく書きやすいスタイルで始めてみます。
最初は箇条書きで結構です。
・出身地について
・なぜ演技したいと思い始めたか
・実際に演技を始めたきっかけ
・思い出の役
・悔しかった思い出
・今後の夢
などなど、まずは話題を書き出してみます。
1分の自己紹介でも4つは話題が変わるのを目指すのが良いと思います。
一話題15秒目安。やってみると分かりますが、30秒で伝えられる内容を
15秒に短縮することは練習次第で可能です。
本番では緊張して「あの、その」が入っても20秒以内で抑える。
人前で1分フリートークするのも慣れなければ苦痛ですが、
15秒ごとに区切って考えれば、電車で次の駅に着く間にでも
シミュレーションしやすくなります。
各話題について、5秒しかないとしたら、一番言いたいことは自ずと見えてきます。
その言葉をどう修飾するか、15秒で言えることは想像するより豊富にあるものです(つづきます)。
ヴォイス&アクターズ道場
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レッスン開始から丁度一年経った方の日記をご紹介します。
「2年目を迎えて」(立川朝子)
昨年7月から夢組でレッスンをしている立川朝子です。
あっという間の1年だった様な違う様な感じです。
でも悪い意味では決してありません。
1年間をこんなに濃く感じたのは何十年ぶりだろうか?
道場に入る前は、会社に行って、帰って、ご飯を食べて寝る。
そんな毎日の繰り返しで、あっという間に1年が過ぎ、2年が過ぎ…
振り返ってみても何も記憶に残ってないという状態。
道場に入ってからの記憶ははっきりくっきり。
体験レッスンに行く前夜は緊張しすぎて眠れず、そのまま朝を迎え、
皆さんの芝居を見て物凄く気おくれし、夢組に入ってからも
皆さんの芝居のうまさに気おくれし、「もう私の芝居、絶対最悪」と思いながらやってました。
最初の頃は覚えた台詞がちゃんと言えてるのかも分からない位緊張しました。
恥ずかし…
人見知りが激しく、とってもとってもあがり症な私。
友人たちからは「朝子が芝居するなんて七不思議の一つだよね」とか
「事実は小説より奇なり」と言われる始末。
そんな私が芝居をやろうと思ったのは、
子供の頃から芝居を観るのが好きだったから。
子供の頃から芝居の世界には憧れていた。
でも私ごときがと思いながら諦めてました。
しかし人生は1度しかないと思い立ち挑戦!!!
そう思うまで何十年かかってるんだよ~ってツッコミたくもなりますが、
行動に移せたことで良しとして頑張っていきます。
3年目を迎えてを書くときは、これだけ成長しましたと書ける様になりたい。
いや、なります!!!
2年目もよろしくお願い致します。
【主宰からひとこと】
初日記をありがとう。
勇気を出して無料体験レッスンに参加してくれた日のことよく覚えています。
私自身演技をやりたい、俳優になりたいと誰にも言えず悶々とした時間が長かったから
はじめの一歩を踏み出すのにどれだけ勇気が要るか、私なりにですがよく分かります。
なので無料体験レッスンはなるべくハードルを低く、
こんな風に気軽に、でも本格的に演技を探求出来る場が池袋にあって、
希望すれば安全・堅実な条件で芸能案件にも挑戦出来ることを、ただ知ってほしい。
勧誘されるのでは?何か押し付けられるのでは?余計な心配をせずに
演技に夢中になっている人たちの輝きを、ただ感じる体験になればと思っています。
その上で、日常生活でも役立つ自分の中の表現力を自覚出来る「言葉のお土産」を持って帰ってもらいたい。
自分の声や話し方が周りにどんな影響を与えているのか知ることは、
自分がどんな自分になりたいのか、具体的に見えてくることに繋がるからです。
朝子さんが驚いたように目を見開いてレッスンの様子を熱心に見てくれて嬉しかったこと今も思い出します。
あの時お伝えしたことをブレずに、ひたすら深く掘り下げているのがその後のレッスンだと思います。
人が人の声を聞いて心が動くポイント
自分の表現に目盛りを持つにはどうすれば良いのか
伝えたいことに向かっていく綱渡りのようなレッスンなので、その時々のその方のバランスを見ながら
「右、右!」今度は「左、左!あ、やっぱり右っ!」とどうしても同じようなアドバイスを繰り返し言うことになります。
大人数の流れ作業的レッスンでなく、少人数の付っきりレッスンだからこその細かさが効果的なのですが、
同じことを云われて凹んでしまい、自分を責めてしまう方も中にはいます。
レッスンでは良くなったところも必ず伝えるよう心がけていますが、どうしても改善点にフォーカスがいきがち。
でも着実に表現が変化してくれていて遣り甲斐を感じています。
丁寧に一つずつクリアにしていきますから、凹まずに喰らい付いてきてくださいね!
ヴォイス&アクターズ道場
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「声優アフレコ演技の感想」
せっかくシーンスタディ用とアフレコ実習用の二つの専用稽古場があるのだからと
8月に開催した、声優アフレコ演技ワークショップ。
やる気ある方と出会いたい一心で、どうなることか内心ドキドキでしたが、
蓋を開ければ皆さん大変熱心で、文字通り時間を忘れるような私自身充実した体験になりました。
いただいたご感想を、手を加えずそのままご紹介させていただきます。
先日はありがとうございました。
学校で行われているもの以外の外部のWSに参加させていただくのは
これが3回目でしたが、参加したものの中で、両部参加して良かったなと思うWSでした。
私は考えすぎて駄目になるタイプなのと、不安とかがあると見た目から
自信が無いように見えてしまうようなので(専門学校の同期から言われました)、
適度に力を抜くことも必要だなと思っているのですが、
演技面で声のメモリのイメージがあれば、少しは緊張しないのかなと思いました。
また、ナレーションにおいて、「~だ。~だ。」と連続で同じ語尾の時にどうするかというところや、
クロージングなど、学び、ふと普段何気なく読み聞かせであったり音読する時のことを思い浮かべて、
更にそこに気持ちが入っていたりすると無意識にこう読んでいるな、と思いました。
ただプロは常にこうでないといけないので、どうしたらすぐに出せるのかという
具体的な引き出し作りが本当に大事だと思いました。
実は、このWSの時にも、前半回りの人がアフレコ経験があったりして聞いてて
「上手いなー。」と少し萎縮してしまっていました。
途中から気を持ち直して自分らしくアフレコできたように思います。
なので両部参加して本当に良かったです。また、役でよく元気な子が似合うと言われるのですが、
今回やっていてアニメのキャラの無邪気なところが楽しく感じました。
ただ私は外画の時にやったようなクールで頭の回る人やカッコいい人に憧れているので、
ハマり役を伸ばしつつもっと研究していきたいとも思いました。
最終的には、WS後にお話させていただきましたが、
声だけの演技と言われないプロの役者になるのが目標です。
長くなってしまいましたが、濃い時間をありがとうございました。
またお世話になることがありましたら、ぜひよろしくお願い致します。
H・Mさん(女性)
自分らしい演技って何だろう。そもそも心の籠もった演技って?
うかがう悩みは私自身も通って来て、そして今でも何度も繰り返し自問し続けていることに他ならず、
数学のように綺麗に割り切れる答えは、きっと死ぬまで出ないものかもと感じつつ、
消去法で、これは避けるべき、これは残すべきという基準が長年の経験と蓄積から私の中に
それこそ山のようにあって、それを惜しみなく伝えるのがワークショップやレッスンの時間だと思っています。
少人数で何度も何度もアフレコ演技のテイクごとに演技細部を変えることに挑戦出来る、
ただリピートするだけでなく、何を意識し何をどのくらい変えたら結果がどうなったか、
感じ考えたことを共有していく時間は、表現の物差しの目盛りを自覚、開発出来るもので
その有意義さを再認識しました。
大きな役を何度も何度もアフレコしていくワークショップなので、飽きっぽい方には向かない企画です。
やる気ある方と出会いたい。その方の課題や疑問ととことん向き合えたらと思っています。
9月18日(月・祝)
13:00~16:30 アニメの部
18:00~21:30 外画の部
で次回は開催です。
http://yuichisato.com/news_170719/
参加者の変化を実感出来、私自身も成長出来る時間。今から楽しみにしています。
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