tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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岸辺のベストアルバム‼︎

岸辺のベストアルバム‼︎

コンプソンズ

小劇場B1(東京都)

2024/01/24 (水) ~ 2024/01/28 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

まずまずであった。
描かれた世界に作者が登場し、もう一人の作者が登場し、作中人物らも自分が物語中の人物だと気づいたり、動線を探り始めたり・・metaがこんぐらかって入り乱れて、絶叫シーンが増えてきて、といった割といつもの?コンプソンズ芝居であった印象だが、そうした物語構造を骨組みとして、その中を漂う人物による時に鋭く時代に斬り込む言葉や態度が、私には魅力である。昨年の舞台も映像鑑賞し、現代性を帯びて痛烈という記憶だけがある。今作はその印象に比べ薄味に思えたが、斬り込んだ箇所はあった。斬られてナンボな今の日本ゆえ、この演劇は正しく作られていると感じる。演劇への信頼が増す。

兵卒タナカ

兵卒タナカ

オフィスコットーネ

吉祥寺シアター(東京都)

2024/02/03 (土) ~ 2024/02/14 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

海外の作家による日本のしかも日本的なる核の部分に迫る戯曲を、以前読んでいたがこれをどう具現するかに大変関心があった。五戸演出という事で期待もあったが、戯曲に登場する人、事物は純日本製であるのに文体としてはドイツ人ゲオルグ・カイザーの思考が込められている。この両面性を、具象を一定程度削った抽象表現を用いる事で解消し、見事に舞台化した。日本土着の感覚を微かに嗅がせながらも、普遍的・汎用的で骨太なテキストに回収された「物語」は、もはや日本限定のそれでなく、日本の場所と時代設定を用いて国家と人間のあり方を描いた作品と言える。その一方で本作は日本という国に独自のメスで斬り込んだ作品、とも見える。どちらかと言えば後者として私は有難がりたい。
三幕はそれぞれ場所が異なり、三幕三様、展開と共に劇的でダイナミックである。時代はナレーションで確か大正何年、1920年代と認識した記憶。兵卒田中は同じ隊の友人和田と故郷へ帰還する。

小栗判官と照手姫

小栗判官と照手姫

Project Nyx

ザ・スズナリ(東京都)

2024/02/08 (木) ~ 2024/02/14 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

全く予定に入れていなかったが(土壇場で変わる予感はややあったが..)、空いた時間枠にちょうどハマったので観に行った。満席情報は無かったのだが指定席エリアは見た所補助席を除いて満席。最後の一つに自分が収まったかのよう。スズナリの最後列に座るのは多分初めてだ。位置も良かったのだろう、眼前からステージまで視界が開けるようで大変見やすかった。ピンと張り詰めた台詞劇は間近で見たいが金守珍演出の明快なエンタメステージは俯瞰で見るのは悪くないと発見。
「さんせう太夫」に続く女歌舞伎もの第三弾という事だったが、前作に比べ今作はスッと入り込む所があった。前作は安寿と厨子王の姉弟が「悪者」によって母親と引き離されるが紆余曲折を経て遠い地で再会する物語(姉は亡くなっているが霊はそこに居て共に再会を喜んでいる図)。
今作は曇りない心で惹かれ合った聡明な男女(小栗と照手)が引き離され、一方は殺されるも墓穴から出てこの世ならぬ姿、他方は夫の死に随行すべしとの令に本人は従うも入水の際、同行した兄弟の義心により助けられ、人買いに売られる運命ながらしぶとく生き延びる。この二人が様々あって最後には再会を果たすという、ファンタジックなお話。
昔のお話は結末が決まっていてそこに至るまで障害を乗り越えて結末に達するという構図、明確な不幸とそれを潜った末の幸福の対照は、色的にも単調だ。が、このシンプルさ、即ち一人を思い続ける事、信念を貫く事が現代においては稀少であるゆえに、艱難に打ち克って思いを遂げる結末に胸を突かれる。
熊野へ達すれば男は元の姿を得る事を観客は知っており、その日は何時来るのかと成り行きを見守る。二人が全く別々の道を辿り、互いをそうと知らず(一方は自分の記憶も無い訳だが)同道する事となっても、困難は降りかかり、故あって生じる障害に阻まれる。そうしていつしか熊野に至った頃には男は連れ添う謎の女と離れがたい心持ちとなり、目的地への到着が恨めしい。女の方はこの世に残されながら仕える相手も居ない身を、せめてこの誰にも顧みられない腐臭漂う男の道行きを助ける事で人に捧げようとしている。そうした心の内をどちらからともなく打ち明ける事となった時、既に熊野の地にあった男が元の姿に戻る。スペクタクル・マジックをここで使うか、という所であるが、最後尾からは、ここで涙を拭う観客の動きが見える。静けさの中に二人が元あったまぶしい姿への感涙は年齢の為せる技だろうか。「あとは言えない、二人は若い~♪」

ネタバレBOX

なお今回ふと観たくなった理由はチラシに元唐ゼミ(昨年辞めてしまった)禿恵の名前を見た事。唐ゼミでの主演姿しか見ていない彼女が俳優としてどう舞台に映るのかが気になって仕方なくなった。舞台では女買いという男男した役柄で、メイクでは判別できなかったが身も軽くこなしていた。
流れゆく時の中に

流れゆく時の中に

新国立劇場演劇研修所

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/02/06 (火) ~ 2024/02/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

テネシー・ウィリアムスの短編3本を合せてこのタイトルとした。幕間の前に二編、後半一編だったが、体調下げ気味で一作目の中盤で睡魔に。二作目の途中で覚醒。パンフの短いあらすじを読んで「そういう話だったの」と分かった位である。三作目は物書きを続けている(自分に重ねた?)青年が、父母も妹もいなくなった家をついに引き払う日、回想も交えて描いた家族の物語で、「ガラスの動物園」の風景が完全に重なる。若干エピソードは異なるが、父が既にいない事、母と妹という家族構成が同じ。妹は引き籠りではなくかつて水泳大会で優勝した栄光が霞む「都合のいい」女に成り下がる(二場面でその変貌が示される)。母は病気で、妹の事で心配をかけてはいけないと兄は気づかっている。父は小さい頃から家では一言も言葉を発しなかった。・・舞台上に飾られ、引越し屋が運び出して行く調度一つ一つに、そうした思い出を重ねる中、青年のイタリア人の友人が彼を連れ出そうと終始いて、青年の話に付き合ったり世間話に持ち込む。「一人にしてほしいと頼んでる」と言う青年に彼は出て行かない理由をやっと言う。「ここで人生を終わらせる気になるなよ」、だが青年はトランクとタイプライターを両手に抱え、何もなくなった部屋を一瞥して出て行く。
短編だけに人物は深く掘り下げた戯曲になっておらず(台詞で説明し切れていない)、従って若い俳優らは人物の深みをキャラを体現して表現する課題を担わされたようである。それならば米国作品でなく自国のものにしてはどうだったろうか。
昨年観た同じ17期生がやった原田ゆう作品(新美南吉伝)で見ているはずだが、今回俳優を見て「あの時の」とは思い出せなかった。あの時は生き生きとやっていたのが翻訳劇という事もあるだろうが作品が変ると随分変わる。俳優とは難しいもの。

夜は昼の母

夜は昼の母

風姿花伝プロデュース

シアター風姿花伝(東京都)

2024/02/02 (金) ~ 2024/02/29 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

すげえ。3時間10分(「観たい」に書いた3時間40分は誤り)を終えた時の実感。ラーシュ・ノレーン作品でしか味わえない「人間」への深入り、これに迫った俳優(岡本健一が突出)には満腔の労いの拍手を送らねばならぬ。
「パサデナ」「終夜」は一夜(深夜)の劇であったが、今作も昼間を通過するとは言え陽光の遮蔽された家内での1日かそこらの劇。登場人物は父母と二人の兄弟(16歳の弟と何歳か上の兄)。正直な話、脚本としては難があると言える。作者が人物に光を当てる角度を後半付け加えている印象で、「説明」のためには必要だったのかも知れないが、劇的な時間の進行としてはギクシャク感がある。人物像の顕現を「謎解き」としたミステリーと見ると、次第に照準されてきた人物が、ふいに脇へズレる。作者は全てに照準を合せたかったのだろう。
だがこの家族のシチュエーションを克明に描く試みは果敢であり、人間の人格が家族との相互に影響し合って形成される側面と、生来の素質に拠る側面の区別し難しさ、責任の取りづらさ、即ち解決のし難さを浮き彫りにする。特異な人格として岡本演じるダヴィド、山崎演じる酒乱の父マッティン、那須演じる母性と女性性と冷淡さが変幻する母エーリン、堅山隼太演じる自立を模索する兄イェオリ。各々の人物の内的な一貫性が、身体感覚を通った台詞を通して体現されている(達成度はそれぞれだが)一方、家族が積み上げてきた時間の分だけ有機体として「見える」かと言えば、まだまだ、という所だろうか。(しかし家族を舞台とするノレーン作品の最大のネックであり演出・俳優にとっては超難題と言えるのではないか。だが作品はそこを要求している。)
公演終盤にどう見えているか、観てみたいが・・チケットは完売。
詳細後日。

ガス灯は檸檬のにほひ

ガス灯は檸檬のにほひ

椿組

ザ・スズナリ(東京都)

2024/01/25 (木) ~ 2024/02/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

椿組夏の花園神社公演にも書き下ろした事のある(秀作だった)作家だけあって、祝祭性高く楽しい舞台であった。江戸から明治への変り目を舞台に、上京した元・お殿様とその娘とお付の者ら、お付に選ばれなかったが一行を追って上京した元足軽(主人公)、彼が住まう事となった長屋の奇妙な面々、彼が川に竿を垂らして釣り上げた幽霊の女、占い師、横浜の異人に嫁いだ未亡人、引き籠るその息子・・等が織り成す群像劇。オープニングや、繋ぎで用いられる楽曲+振付がツボに当てて来て楽しい。

『文明開化四ッ谷怪談』

『文明開化四ッ谷怪談』

サルメカンパニー

駅前劇場(東京都)

2024/01/26 (金) ~ 2024/02/04 (日)公演終了

実演鑑賞

旗揚げ時より福田善之との所縁の劇団との認識あり、うずめ劇場との関わり(客演した姿は見た)等と関心はあったものの今回ようやく初観劇となる。
ほぼ初日であったせいか、俳優の演技がえらく気になった。大声が出ているが、虚しい。まず語り部的な存在が冒頭客をいじった俳優の挙動(の不審)が気になった。素になるなら余程の覚悟をもってやるべきを中途半端にやりやがって・・と終演後どやしつけてやろうか、位の憤りが湧いた。またステロタイプな明治の志士の物言い(二本差しで背筋を伸ばし、前方やや上を見据えて虚勢張って声も張るやつ)も気になった。もっとみっともなく悩んでる姿を観客には見せていいんでござんせんか?彼ら(登場人物ら)は家の外では虚勢張って生きていたんでしょうが、観客に対してそれをやってどうすんの?と素朴な疑問。
福田善之のなんと「書下ろし」で、井村昂氏は補佐的に控える役目だったとか。飲み込みやすいドラマとは言えない。直後に観た椿組の舞台がちょうど時代的に重なり、その庶民感覚に溜飲を下げたものだが、こちらは頭でっかちな士族のよく分からない高尚な?悩みをちまちまやってる感がある。日本の近代小説=私小説のちまちまな感じの、原点でもあろうか?
演出には力を入れている。主役をやって演出もやってる事がそもそも無理難題なのでは・・と思わなくなかったが、福田氏との関係においてはそうなるようである。正直戯曲なのか演技なのか何かぎくしゃく感を否めなかったが、作り手の(というか演出の)気概は受け取った。この観劇後感、次も観そうである。

オセロー

オセロー

滋企画

こまばアゴラ劇場(東京都)

2024/01/31 (水) ~ 2024/02/07 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

素晴らしい。とは書いたものの言い得ていない。これを受け止める感覚の深層にぐっと迫るものがある。「オセロ」を普通に作るとは思っていなかったが全くの未知数。白紙。何も描いてないカンバスに、一体何が描かれて行くのかが開演した後も先が読めない(ストーリーは知っていても)。無論時系列はそのままながら構成は大胆に設え直しており、一つ一つページをめくるようにして結末へと進んで行く。
SPACの「授業」でしか知らない演出であったが、人間感情の普遍とそれに自ら翻弄されて生きる人生の普遍を、共に味わい直す舞台として「オセロ」を構成した。
オセロとデズデモーナの決定的瞬間を迎えるまでの最も凝縮した最終盤、音楽に載せたオートマチックな動きの繰り返しとした。ここが凄い。
ちなみにその直前、冒頭から日常的な会話で観客との間を取り持つ三人は、物語の進行に従って忠実なコロスと化すが、この最終場に移る前に再びチラっと素のモードを見せ、「次行くか」「行くのか」「仕方ない」と言いながらセッティングをする。重苦しい結末しか残されていない段階での小さな呟きに、これほど救われるとは。
夜、変わらず明るいデズデモーナは夫の異状に気づいて問い質し、オセロは積り積った疑惑を告げる。これ以後、オセロに毒を流し込んだイアーゴーは登場しない。妻は夫に自分を殺すのかと問い、疑われたまま死にたくないとこぼすが、夫の意志に変りない事を知る。ついにオセロが妻にアクションした瞬間、華麗な音楽が流れ、「その瞬間」(オセロが妻を絞め殺す)までの椅子一脚を間に挟んでの定型の動きが始まる。ここに様々な要素が詰め込まれている。ユニークに立ち回る赤い体操着の若手女優三人は為すすべなく二人の成行きを見るが、この定型な動きに、一人ずつ絡み、去って行く。次、そして次、その瞬間よまだ訪れないでくれ(訪れるのは分ってるけど)・・との願いもむなしく最後を迎える。描かれるのは二人が出会った(愛を確認した)瞬間のままの感情を今も持ち続けている事。それがその対面し見つめ合う時間の長さによっても示され、それでもなお男は、その感情は報われないのだと「確信」してしまったがゆえに、決まった事のように迷いなく殺しに行く。妻は相手から逃げる事なく最後まで愛を諦めず求め続ける。愛が消えた故でなく愛ゆえの破滅が、耽美的に描かれている。古今東西ありふれた物語設定だが、恋愛が二人の間でしか成立しない何か(他者あるいは他者の作った基準の承認など必要としない)である事が恐らく、ここでは執拗に描かれており、その強固な前提ゆえに悲劇であり美しく描かれるものである。
演出では音楽の優れた用い方も本舞台の特徴。長く心に残り続ける(だろう)時間となった。

サンシャイン・ボーイズ

サンシャイン・ボーイズ

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2024/01/24 (水) ~ 2024/01/31 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

たまに食指が動く加藤健一事務所今回4度目の観劇。「おかしな二人」「ビロクシー・ブルース」は戯曲を読んだがこれに並ぶニール・サイモンの代表作の本作は棚に飾ったままであった。
老境にあるかつて一世風靡したコント師にTV出演の話が来るが、不仲の二人はコンビ解消して10年以上が経つ。この作品、実際にコントを披露する場面を作っているのが、これを秀作たらしめている。二人の人間的なタイプと取り合せが面白く、ストーリーはTV出演可か、ちゃんとコントがやれるか、という所に注目させるが、二人の人間味と往時の関係性を振り返り、新たな今が生まれる仄めかしのラスト。老いのドラマ。

ダンシング・アット・ルーナサ

ダンシング・アット・ルーナサ

劇団俳優座演劇研究所

麻布区民センターホール(東京都)

2024/01/12 (金) ~ 2024/01/13 (土)公演終了

実演鑑賞

未見のこの戯曲に関心あり、久々に俳優座研究所卒公を観劇。
いつもの赤坂区民センターでなく今回は以前馴染みのあった麻布区民センター、と気付いたは良いが駅から反対に歩いてしまい、5分遅れ。他の二人と共に席へ案内されると、冒頭の主人公の語りが終わるあたりだった。
「現在」の彼がかつての日々について語り、抒情的な音楽が高まると共に暗転、回想される日々の物語が始まる、という寸法。この戯曲が「ガラスの動物園」に影響されて書かれたという背景から考えると、冒頭で彼が語った内容は彼自身にとってのその日々の意味、今の思いだろう、が人物紹介までやったかは不明。それらは追々説明されていた。ちなみに語り手の彼は回想劇には実体としては登場せず、周囲は小さな彼がいるらしい透明な空間に時々話しかける。登場するのは折節に観客に語り掛ける現在の彼である。

アイルランド作家による家族の物語。さあ見るぞと勢い込んだが、体調が思った以上に不調だった模様で台詞の「音→意味」変換が頭の中で追いつかない。ニュアンスだけでも掴もうとするが、特に声量の小さい俳優の所では大意を掴む(点と点で線にする)作業が途切れ、張った糸が下に落ちる。また、身体表現にまで落とし切れない若者の演技では説明台詞が大きな壁。(自分の体調を棚に上げて何だが)一幕はほぼ睡眠時間となった。

二幕から覚醒した。父の居ない家族の在りし日の貧しいながらの暮らしの華やぎと、既に忍び寄っている危うさが一挙に表面化して崩れ去る様とが、無慈悲に描かれる。
アフリカから帰還した神父である長男は精神にやや異常を来しリハビリの身で何時ミサが開けるか分からない。家族を仕切るのは長女、それを補佐する次女、内職に勤しむ三女、四女、結婚して子供(主人公)のいる五女。
可愛らしさと痛々しさ、健気さと酷薄さが共存する。ダンシング、というタイトルは彼女らが時折「踊り」を披露する場面に因んでいるが、3度程のその場面はドラマに絶妙に噛んでいる。
ルーナサは祭の事で、回想劇の初めはその祭の思い出を語りながら、踊りを再現する。はしゃいでいるメインは四女で、これに次女が付き合っている。
次の場面は、結婚していながら何故か実家に住む五女を、別居している夫が送って来た夜。家の中では夕食の準備か何かでにぎわうが、月明かりの下「君は最高のダンサー」と言って踊る二人の場面がある。彼は踊り好きらしい。
暫くは踊りから遠ざかるが、ある時壊れたラジオを五女の夫が修理できるらしい、という事でやって来る。「本当は自信がない」が家に入ると彼は任せて下さいと請け負う。「きっとアンテナだ」と当たりを付け、家の背後の電信柱に登り「頑張ってる」姿、それをよそに姉妹らは会話を交わしている、と、ラジオから音楽が流れ始める。努力が報われ褒められ気を良くした彼は、音楽に合わせ「踊ろう」と姉妹らを誘う。まず次女を誘って少しだけ踊った後、かねて一度踊ってみたいと願ってたらしい三女に声を掛ける。普段大人しい清楚な印象の彼女は一旦断るも誘い上手に断れず、実は達者な踊り手で自然体が動き、二人の踊りが盛り上がる。「この位で」と三女にピリオドを打たれた後、次は・・と妻を誘おうとするや、彼女がラジオを切る(恐らくコンセントを引き抜いたか断ち切った)。怒りを抑えて彼を拒絶し、悲しい顔で男は去って行く。
ダンスが人を繋ぐ場面ではなく、断絶を深めた事で不安定さが極まる。

先述した「ガラスの動物園」の影響はパンフに書かれていた通りであったが、ドラマの殆どを占める回想場面に漂う憂い、壊れやすさでもある美しさは無情に砕かれるといった要素が確かに共通している。だがイデアとしての美しさは倫理的な死を意味せず、思い(魂?)は漂うのだ。(これを別役実は捕えて戯曲化したのやも。)
違う点は、「ガラス」は戦後アメリカの繁栄の「陰」を印象づけるのに対し、本作は強国イギリスに翻弄された小国の、常に変わる事のなかった宿命の色彩が垂れ籠めている。
最近映画「ベルファスト」を観てアイリッシュの魂に触れた思いであったので、それが観劇に反映したのかも。

それにしても、この作品を数年前に観ていた事は後になって気づいた。
後半を観ながら「どっかで観たかも」という感覚はよぎったのだが、風のように過ぎっただけだった。同タイトルを民藝が昨年上演した事は知人から良い舞台だと紹介されたので覚えていたが、自分が観た舞台としては忘れていた。この脳の状態は中々マズイな。(独白)

劇読み!2024

劇読み!2024

劇団劇作家

アトリエ第Q藝術(東京都)

2024/01/20 (土) ~ 2024/01/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

最近は精力的に本格公演を打っている劇団劇作家の久々の「劇読み!」。行けたのは2日目「玄界灘」のみだったがこれが傑作だった。金達寿による同名小説の原作を約90分(通常上演をやったとしても100分程度ではないか)の上演にした。この内容では中々の大著だったのではと窺わせるが、この尺に収めた脚本も高い出来である。

みえないくに

みえないくに

公益社団法人日本劇団協議会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/01/18 (木) ~ 2024/01/21 (日)公演終了

実演鑑賞

前半の幾つもの(恐らく重要な)場面を寝てしまった。どう感想を書くかと迷うが、、
翻訳家事情が最初に語られるのだが、異言語を逐語的に変換する事の困難は、翻訳を続けている内に気づくような真実ではなく、始めた時点で不可能だと気づく位のものだろう。そこで翻訳家の経歴についての想像が萎えてしまう。嘘っぽくなる。その他の部分でもリアリティに?が挟まる箇所がある。
それが後半になってある種の劇的な緊迫感が生じる。だが私は置いて行かれた。60歳の出版社勤務の女性に「懐いている」JKとの関係性も飲み込めずに終わったが、これを納得させる説明が伏線として語られていたのかも知れない、、とか。

架空の小国の架空の言語(文字)の美しさと、その言語で書かれた小説に魅せられ、そこに夢を見た人達がいた。それが出版界事情という壁、そしてこの小国が他国を攻撃し消滅させられたという衝撃の事実の前に挫折する。しかもかの小説家は軍事政権の攻撃を支持する声明を発したとのニュースも。
全ては闇の中にあり、鬱々とした日常は「夢の無かった」殺伐とした現実の時間へ回帰する。それはもしや彼ら(彼女ら)のもう一つの(その美と出会わなかった)人生か、あるいは出会ったがゆえに味わう喪失の残酷さか。。

ラスト、壮一帆演じる翻訳家がかの国に行こうとスーツケースを引きながら訪ねてくる。そこは定年を前にただ一つ有意義な仕事を残す事に賭けていた出版社勤務(土居裕子)が引き篭もる部屋。そこにJKも居り、真実を見ようと決意する三人の旅立ちの絵で幕が降りる。
成立したかも知れないドラマの様相を想像力で補填したが、届かないものが残る。
歌わない土居裕子の芝居を堪能できたのは収穫ではあった。勿体ない観劇になった。

境界

境界

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2024/01/06 (土) ~ 2024/01/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

コロナ期に配信でみた一人芝居で知った劇団。劇団の歴史はそれなりのようだが出演陣は益田喜晴氏(喜頓と読みそうになる)がベテランの域である以外は4名とも若手(と見えてover thirtyかも)の男女。皆が劇団員風情であるが、にしては?中々の実力。短編は既存作品とオリジナルを織り交ぜた11編。「境界」とは格差、無理解の壁といった幅広い概念だが、冒頭の「笑顔」は教団信者の作り笑いで教会に引っ掛けたな、とふと彼らの手にあるビラを見ると「ものみの・・」おっといきなり実名??と窺っていると、徐に客席にそれを配り出す。見れば「ものみの櫓」、なんじゃこりゃであるが開けばおみくじであった。・・といった正月らしいのがこの公演の趣向、一つ一つが楽しめる短編集としたのもそうした事のようで最後はプチ獅子舞も登場した。チェーホフの短編や、思わずぐっと来る山本周五郎「壺」、トリは落語「井戸の茶碗」(要諦を押さえつつ最短化して上出来)。等織り交ぜながらオリジナルも気の利いたお話。中でもやや長尺の「消防民営化」(近未来)「国境」(現実)は現今の「問題あり」な風潮を抉って笑わせ、何気に秀作であった。
こういう風刺の効いた劇は例えばロシアだとか、どこか「後れた国」の融通の利かない役人や金欲性欲に弱い地主、地方領主はたまた王様など煮ても食えない権力を揶揄する話だと昔は思っていた。
今はわが国の話である。

チョークで描く夢

チョークで描く夢

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2023/09/07 (木) ~ 2023/09/18 (月)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

映像配信を鑑賞。これもレビュー未記入であった。
だいぶ忘れているが、二つの時代を描いている、というのが(当時こんな議論したのかなー、といった疑問を乗り越えて)徐々に見えて来た。中津留節と言える議論劇だが、極めて大事な、しかしあまり表面化されない議論が舞台上で繰り広げられた事それ自体に心を揺さぶられる。差別について、人権について、日本は未だ発展途上どころか退行の様相すら見えるが、少々飛躍した考えを述べれば「彼ら」はその事を私たちに考えさせるために「こそ」存在するのであり、生まれ来たのだ、と考えると、健常者のカテゴリーに安閑としている自分たちも病気を抱え偏屈さ暢気さ優先順位の奇妙さそれぞれに程度の差はあれ「異常」と共に生きている生き物ではないか・・。その「栄誉」は私たちの中にもあるのだ。
昨今、改めてこう問いたくなる場面が多々ある。「自分が真っ当であると考えている理由は何か。その根拠は・・?」皆がそうしているから・・そう言っているから・・。それは、理由になっていないのである。

犬と独裁者

犬と独裁者

劇団印象-indian elephant-

駅前劇場(東京都)

2023/07/21 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

こちらも未記入だった。劇団印象のこのかんの舞台(テーマ:芸術と戦争の連作)全て配信で見ている。広い舞台で上演したチャペックを題材にした「水のあしおと」の次か。小さな劇場に戻り、今度はロシア文学者ミハイル・ブルガーコフという小説家が題材である。ロシア・ウクライナの文学者である事から掘り下げたものだろうか・・。帝政ロシア時代のウクライナ・キエフに生まれ、ソ連時代を生きた文学者だが、作品が発禁処分となる長い期間が今作の舞台になっている。来歴を見ると興味深いので調べてみるのはお勧め。

老いらくの恋

老いらくの恋

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋ホール(東京都)

2023/05/24 (水) ~ 2023/05/31 (水)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

感想が未記入だった。こちらは配信で鑑賞。ほぼ正面からの撮影で寄りの距離は切り替えているが凡そ劇場観劇している見え方に近い。俳優の顔も小劇場のように間近でまじまじと見る瞬間はないが、音声がしっかり録れているので支障ない。
なので「劇場で観たっけ?」と記憶が混濁しそうになる。

さてお話はこの作家がシリーズ的に執筆しているらしい農村を舞台にした物語。都会から勉強だか実習だかでやってきた若い女性の働き手が場を明るくしている「時期」を切り取った舞台になっている。これがデフォルトで実際には「お寒い」農村事情を覗かせるという事ではなく、農業に勤しむそれぞれの世代の若者たちの現在進行形を描く。無論ドラマには葛藤と対立があり、舞台となる農家の居間で説教臭くなく自説を語っている相手、その若い彼女のつぶらな瞳を媒介に「あるべき農業」のイメージを膨らませた観客は、青年グループのリーダー的存在が「厳しい現実に対応する道として」その逆を行こうとするのがフラストレーション。やがて終盤に至りその対立は超克され大団円に向かうが・・舞台で語られる素朴にそうだな、と思える言葉が、あっさりと、バッサリと両断される今の日本が(そこには描かれていないが)思われる。これだけでは足りない、もっと言葉をもって跳ね返さなければ・・・と、大団円に悦ぶ一方で脳の片隅でもう一人の自分がぐずっている。

The VOICE

The VOICE

ブス会*

遊空間がざびぃ(東京都)

2022/11/24 (木) ~ 2022/11/30 (水)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★★

観られず悔しかったブス会の本作を、一年後の今配信で鑑賞できた。ラッキーである。ペヤンヌ女史の映画公開に合わせた模様。
その映画の題材とも通じる舞台でもありそうだ。
氏の居住する住宅地区には「変わらなさ」を象徴する木々たちがあり、20年住み続けた結果としての歴史も地域にあった。それに気づかせた突如現前した道路計画、区行政の存在がペヤンヌ氏の視界に入って来る。
従来とは作風を大きく変え、題材に即して地域住民の言葉を拾い登場人物とした。南阿佐ヶ谷の風景が(どこがどうと知っている訳ではないが)瞼に浮かび、共に想像する時間。風が吹き、国道を通る車の音を遠くで聴く・・。異儀田女史はどんな芝居にもあの風情で収まるな・・と感心したり、土地に根差して暮らす人たちの声を本人に代わって発する俳優たちも同志に見え、演技エリアを示した輪っかの外に一人体操座りして見続けるペヤンヌ氏に「見届ける人」のモデルをチラ見しながら観客もその目線を彼女に倣いつつ送る。何か見えない線で繋がれた「関わり」を感じる体験に浸った(映像鑑賞にも関わらず・・)。

夜を歩く

夜を歩く

劇団肋骨蜜柑同好会

新宿眼科画廊(東京都)

2023/12/08 (金) ~ 2023/12/12 (火)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

映像にて拝見。久々に観た肋骨蜜柑の今作はフジタ氏作でないので比較評価する基準がないが、フジタ氏特有の難しいフレーズ、概念を橋渡しに用いる手法?は封印。新宿眼科画廊というスペースを活用した趣向とテキストが有機的として独自に立ち上がっていた感触。喧騒の都会の深夜が時限的に異次元となったのか、迷い込んだ者の実は錯覚か幻覚か、何組かの会話・エピソードが並行して群像劇風。奇妙でいて懐かしいような体験に誘われた。
映像鑑賞の一度目は得てして抜けが多。二度目の視聴をしようと思っていたらPCトラブル、期限が来てしまった。何かもっと発見がありそうだったんだが・・

ネズミ狩り 2024

ネズミ狩り 2024

劇団チャリT企画

ザ・スズナリ(東京都)

2024/01/06 (土) ~ 2024/01/08 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

劇作家樽原氏の新境地!?と思ったら過去作品の再演。初演は2008年王子小劇場、再演2011年3月(楽日2日前に震災)アゴラ劇場。後者のチラシは鮮明に覚えていたが、何と13年前とは。。
今回はスズナリで短時日での上演との事で馳せ参じた所。チャリTの他作品とは一線を画する作り込み舞台(そば屋の店内)、抽象的な装置が一切ない。芝居も回想や他場面挿入がなく全て時系列に沿って展開する。笑い要素は若干入りつつも終始リアリズムでテーマ性もはっきり浮かび上がる。へーこんな戯曲を書いていたんだな、と敬服した。今回主役(女将役)を演じた女優が好演(割と近い過去二度程見た記憶)。青春事情舞台で二度見て覚えたおばさんキャラ笑わせ女優も配して、安定の舞台だ。元服役者の社会復帰の困難さ、世間の偏見、死刑制度の是非・・。
芝居では被害者目線で加害者に極刑を望む側と、加害者の人生に寄り添う側の対立が、姉妹(女将とその妹)のついに暴発した口喧嘩の中で顕現する。度々訪れる雑誌記者を手厳しく追い払う若手(だがベテラン)そば職人にも溜飲を下げる。悪く描き過ぎとも言えるが、SNSやネットでは姿を現わす偽善塗れの下衆人格に肉体を与えた役として、私にはリアルな「存在」に見えた。

事実愚かな世論が適切な被災地支援に積極的とは見えない政府を指弾せず、「言いつけに背いて」現地に入った議員を攻撃する誘導にまんまと乗せられる現実。こういう時いつも思い出すのが「未必の故意」で安部公房が描いた人間たち。利害の前には非合理を恥じないとある島に暮らす土着日本人の実態が日本人精神の「淵源」を抽出したようで興味深かったが、実は今の姿だった。。

いま思い出した。アワード投票が、昨日まで‼︎ ウーまたやってしまった。順位は決めていたのでこのネタバレ欄に紹介しておく。

ネタバレBOX

1位 MyrtleArts「同郷同年 2023」
2位 名取事務所「屠殺人ブッチャー/慈善家 -フィランソロピスト-」
3位 イキウメ「人魂を届けに」
4位 燐光群「わが友 第五福竜丸」
5位 PARA/布施安寿香/和田ながら「祖母の進化論」
6位 東京演劇アンサンブル「送りの夏」
7位 シス・カンパニー「いつぞやは」
8位 オイスターズ「きいて、はなさないで」
9位 劇団俳優座「閻魔の王宮」
10位 オフィスコットーネ「磁界」

追記。
今回の軸は時代(現在)と鋭く切り結んだ舞台(として迫ってきた舞台)、とした。ランクに入っていてもいい振い落とした公演は今回も多数。

名取事務所は、年初の「占領の囚人たち」そして書き下ろし「ホテル・イミグレーション」が出色であったりヒット連発だったが一つに絞った。公演は2本とも秀作だったが2度目の観劇(新演出)となった「ブッチャー」に圧倒された。
小品を集めたオムニバス系の優れた公演にも出会えた。「君といつまでも〜Re: 北九州の記憶〜」、「Mrs.fictions in 本多劇場」、feblabo「ホテル・ミラクル The Final」。
メジャー系を理由に外した「ガラスの動物園/消えなさいローラ」、またKAAT「アメリカの時計」、新国立「エンジェルス・イン・アメリカ」。他に「ある馬の物語」、太陽劇団「金夢島」もインパクトあり。
先鋭的、挑戦的、刺激的だった舞台に、お布団「ザ・キャラクタリスティックス」、チェルフィッチュ「宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓」、地点「騒音。」、SPAC「人形の家」、ゆうめい「ハートランド」、文学座「アナトミー・オブ・ア・スーサイド」、開幕ペナントレース「HAMLET |TOILET」、遊戯空間「吉良屋敷」、EPOCMAN「我ら宇宙の塵」ナイロン100℃「Don’t freak out」、KAAT「虹む街の果て」、あと赤堀氏の「日本対俺」もかな。
小劇場演劇、ストレートプレイの良品、ここ風「チョビ」、ala「フートボールの時間」、Pカンパニー「会議」、トローチ「熱く沼る」、ワンツーワークス「アプロプリエイト」、ハツビロコウ「レプリカ」「ワーニャ伯父さん」、文化座「旅立つ家族」、昴「われら幸運の少数」ゴツプロ「ブロッケン」、ウォーキングスタッフ「クラブ」、俳優座プロデュース「検察側の証人」、ストアハウス「父と暮らせば」、劇団普通「風景」、ムシラセ「つやつや・・」二本立て、俳小「マギーの博物館」、青年劇場「お好きな場所をどうぞ」、PLAT「たわごと」。
舞踊ではイデビアンクルー「幻想振動」、人形劇ではひとみ座「モモ」。
配信は除外しているが、でなければ恐らくベスト10入りが、コンプソンズ「愛について語るときは静かにしてくれ」。あとはTRASHMASTERS「チョークで描いた夢」、渡辺源四郎商店「千里眼」。
捨てられない性格は治らない...。

追記の追記。
個人的にこの年最大のトピックはナカゴー鎌田順也氏の逝去、そう思ってる人はきっと多いだろう。これからの人だった。主宰亡き後テント公演を敢行した水族館劇場の健在ぶりも嬉しいトピックとして記しておく。
『赤目』『長い墓標の列』

『赤目』『長い墓標の列』

明後日の方向

座・高円寺1(東京都)

2024/01/11 (木) ~ 2024/01/18 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「長い墓標の列」。一年前にワークインプログレス(という名の公開稽古)を拝見して本公演が観られなかった作品。出演陣はどうやら新しいが、男女役入替えの趣向は変わらずで、一年越しで成果を拝見の趣きである。
役人物が独特の立ち上がり方をする。女性は男性を演じるに不十分な身体、逆も然り。人形=形代の様式を連想するが、演技態が統一されてもいない。ワークイン..ではこれに加えて女優が素の女性に戻ってキャピキャピ演じたり遊びを織り込んでこれは悪ノリでは、と否定的評価であったが、見て行く内に骨太な戯曲が立ち上がって来たのであった。

ネタバレBOX

10分の休憩挟んで2時間50分程。二幕から神妙な場面となる。一幕は義憤で血気を沸かせているのと対照的だ。二・二六事件、日中戦争勃発と来たその翌年(1938年)のとある大学にて、マルクス主義とも資本主義とも距離を置く政体を唱える山名教授の「処遇」を話し合う会議が開かれるその時間、山名の弟子や学生らが元気に議論している。軍当局の目が大学に対しても鋭くなる中、学問の陶冶を受けた者の知的胆力がそれらを払拭し、大学自治にもとる大学当局を指弾する姿も快活である。これご彼らにとって青春の季節でもある事を象徴するのが、弟子の一人花里が山名の一人娘弘子に告白し、弘子は受け入れる、という場面。ところが二幕では「正論」が持ち得た威光が陰り、現実の前に敗北して行く。ここに至って彼女たちのかりそめ身体を通して言葉がそれ自体の意味を伝えてくる。
山名と彼の一番弟子である城崎との議論は今の日本で為されて一向に不適合がない。圧巻。

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