眠る男 公演情報 眠る男」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★

    濃厚な時間を過ごす
    舞台装置、音楽、照明、衣装、全てが、これまでの中で最上級に素晴らしかった。舞台と客席にあたりまえに存在する境界線を消し、観客を巻き込んでいき、作品世界にいざなっていく演出が面白い。演出家である吉野氏の描く世界の完成形を見た気がした。
    演奏と楽曲が特に素晴らしい。レベルも高かったが、作品の世界を劇場空間いっぱいに満たして一体感を作りあげたのは、間違いなくバンドの力。音が空間を支配していた。
    そして、開場した瞬間から最後の一人の客出しまで、役者は一瞬たりとも息を抜ける瞬間がない。ずっと張り詰めて、表現し続けなければ…というか、あの世界の一部でなければならない。すさまじい集中力を要求されるだろうし、自我を失いそうな気すらする。

    ネタバレBOX

    ラストに「何かを持ち帰ってくれ」と言われましたが、実は持ち帰れたものはなかった。そういう意味では、物足りなさがあった。
    肉声の効果音でセリフが妨げられてしまったせいで、言葉で感じ取れなかったこともあると思う。加えて、あの場で感じることが全てであって、あの空間でのみ成立する空気感と世界観であって、劇場のドアの外に日常世界には持ち込むことはできない。観客が舞台世界の構成員であったがゆえに、劇場の一歩外に出た瞬間に、素に戻ってしまった、というのもある。当事者の立場になった観客は、もう観客として作品世界を客観的に安穏と見下ろすことを許されなくなってしまうのかもしれない。
    覚えているのはその最後のセリフと、既知の女優の微笑が怪しくも美しかったこと、そして音楽の繰り返しの躍動感(ただし、瞬間的な感覚のみで、記憶に残るフレーズが一切ない不思議)。
    何かを持ち帰る、と言う意味では、昨年の「糸地獄」の方が、色鮮やかに心に残った。だからこそ、開演前と上演後の演出には心を捉まれた。
    完成度が高く美しかった前作の勢いを最大限に利用したと言う考えが妥当だとは思うが、もしも、本作を見越して前作を上演していたのであれば、その視野とスケールの大きさに脱帽。。。
    もしかして、何か欠けたようなこの物足りなさには、次回作へと繋がるための何か罠がはりめぐらされているのではないか・・・と勘ぐってしまったりもする。三部作の真ん中のような印象を受けるので。
  • 満足度★★★★★

    刺激的
    本当に素晴らしかった。
    視覚、聴覚から入ってくる情報が身体中を駆け回る。
    これだけ濃密な時を過ごさせてくれる作品には中々出会えない。

  • 満足度★★★★

    難しかったけど・・・
    真剣に芝居に向き合えたような気がする。個人的にはとっても面白いと思った。でも難しい。開演前の三文芝居から続いているような続いていないような。考えてもほとんど思考が拡散してしまう。ただ,観れて良かったとは思う。それにしても,役者さんも大変だなぁ。2時間超をあのジャングルジムのような舞台装置?の上で,絶対身体痛くなるよなぁ。感心します。

  • 満足度★★★★

    みてきた
    ピアノ・ギターがよかった。
    全体的に独特な感じでした。

  • 満足度★★★★★

    無題1138(14-176)
    13:00の回(カンカン照り、熱い)。12:30開場(客入中には演奏と三文芝居)。「真面目に見ると疲れるよ」「お手洗いは今のうち」「本編ではありません」「三文芝居中 リラックスしてね」等の案内は山羽さん。字が掠れてゆくのがちょっと不気味。

    座席は先日(二日目)とほぼ同じ、今回はネットで公開されている台本を読んでの2回目、原作にない台詞はオリジナルでしょうか。「蝶番男」は観客として登場し、舞台はこの男へ語りかける...父は客席にいる、舞台を産み創るのは観客だと叫ぶ。

    役者、ダンサー、バンドそして演出。どれもLive感に満ち、私好みでした。

    しばらくネットで原作(岸田さん)について調べていると...「1999年の夏休み」の脚本は岸田さんだったのですね。この映画をいつ観たのか覚えていませんが(TV放送だったのか?)、萩尾さんの作品・作風とよく合っていました。

    「1999年の夏休み」角川ルビー文庫も買ったし...

    このとき深津さんは「水原里絵」で出演、その後「満月のくちづけ」を観てCDを買っていました...

    処女作ということは70年代、新劇 「1977年1月号 第285号」に掲載されたようですが、この作品を創るきっかけ(時代なのか。社会なのか、個人的なものなのか)が何だったのか...

  • 満足度★★★★

    ジャングルジムの孤独
     岸田 理生自身の抱えていた父性との格闘や、詩としては単語間にやや距離を取り過ぎるきらいのあった彼女の文体は、舞踏家・点滅の身体表現、役者達のどこか寂しげな存在感の表出、多用される影・陰影のイマージュ等によって、彼女のシナリオ表現に身体を宿らせる。而もその身体が、存在の、逃れようも無い寂しさ、侘しさを表現して「言葉」を魔術のように立ち上げるシーンがあり、岸田 理生の才能の質を感じさせる。(追記後送)

  • 満足度★★★★★

    無題1133(14-171)
    19:30の回(曇)。19:00開場で実質開演~21:19終演。入って左がメインの客席でコの字型配置。上手、ピアノ、ベース、ギターとパーカッションの3名。役者、ダンサー、奏者による130分、終演後の面会なし。

    そこにあるのは濃密な異界。原作はネットで閲覧可、帰りの電車で斜め読みしてもやっぱりお話はよくわかりませんでしたが「舞台」の設定、流れる「時」の毒々しさがとても印象的。

    佐々木さんは同じここで「半神」を観たのが初めてで4作目になりました。西出さん、山羽さんも「半神」出演者。石井さんは直近ですと「赤い下着、覗くその向こう側、赤の歪み(キ上の空論2014/5) 」。点滅さんも2作目。

    バンド演奏がこれまた素晴らしい。

    ※一緒に観に来た女性の位置がちょうど空調直撃だったそうで、かなり寒かったと言ってました(隣の私は普通でした)。

    ネタバレBOX

    雑記:

    みると…中央に黒いイントレ、群がる人々、その周りを彷徨する者、いや、それは中に一歩踏み入れた受付(眠っているのか…)から始まっていて、壁一面に貼ってある「ことば」に封印されたように感じる。

    いつもの1オーダーはなく、すぐに「三文芝居」が始まる、男たち女たちは黒い骨格に縛りつけられずっとそこにいる、人でないものだけが彷徨している、上半身をはだけた男のカラダ、女の腕や足に黒い文字(女帝、娘、男、片眼、愚者…)、客席にいた男は舞台に連れ出される、戸惑い、アコースティック&エレクトリックG、B、(KORG)電子パーカッション、ピアノにヴォイス。

    時計の振り子のようにカラダが時を刻む、湧き上がる竜巻のように役者の吐くことばが渦巻く、目を閉じ、唄う…

    長い時間、よくこの姿勢でいられるものだと思うし、終始危なげない動き、頭が天井につく高さ。

    目の前に迫る点滅さん…赤い眼が…

    役者さんは出ずっぱり。柿喰う客の「露出狂」が舞台に切立った「山」を置いて、役者さんはずっとそこにいましたが、座るといっても本作では「床」ではなく「パイプ」。


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