『翔べ!原子力ロボむつ〜めぐりあい時空編』<10人版> 公演情報 渡辺源四郎商店「『翔べ!原子力ロボむつ〜めぐりあい時空編』<10人版>」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    畑澤氏の前説で記憶が確認できたのが、初演から数年置かずF/Tトーキョーでの高校生バージョン(素舞台での大人数による)があった(確かにしすがも創造舎、要は体育館)。本作は東日本大震災翌年に製作された劇で、震災の影を引き摺った期間は観劇気分も独特なものがあった。「揺れのあった場合はお席にてお待ちを。スタッフが誘導します」のお断りもこれ以後の必須になった。これが言い訳臭く響く事もあって疼く事もあった(我々も被災可能性のある身、とする事で今塗炭の苦しみにあるだろう被災者を差し置いてお芝居なんぞに興ずる罪深さを緩和する。同じ疚しさを持つ者はこれに「うん、そうだそうだ」と同意する。思いを馳せる、という事による贖罪。震災直後に敢行した公演の最後には、なぜか長い拍手が起きた。こんな状況の下でよくやった、という事だろうか。集団心理というものをひしひしと感じた期間だった)。その次がコロナ。これも大きな画期であったのは語るまでもなし。そして物価高。演劇環境に様々な困難がひた寄せる今、この15年の振り返りを余儀なくされる演目でもあり、「秀作であった」とだけの記憶から、それを再度確認しに行く特別な観劇でもあり。
    4人バージョンを目にする事ができなかったが、再び新鮮に立ち上がる手作り感たっぷりの近(遠)未来SF舞台を堪能した。
    音喜多女史がほぼ変わらぬ姿でそこにいるのは驚異であるのだが、二体のアンドロイドが相前後して機能停止した後、人類の記憶の走馬燈のように主人公の過去が巻き戻され、束の間の幸せに浸るあたりなんざ、憎い。そして、いつかは訪れる人類の終末を、色を付けずただそれとして提示して芝居は終わる。それで十分である。核廃棄物と人類との果てしない付き合いのメタファーではあるが、これを通り越してある。主人公が森の中に見出す核兵器ロボットの残骸「むつ」と持つ交流は、劇中僅か。しかし全てが無くなった時、忘れた時に思い出す存在として現れ、最後の会話を交わす。このむつの「願い」に、滅亡という淡白な事実に精神のありかを微かに残す。人が永遠を渇望する所以に気付かされる。
    まあそんな事で、やはり名作であった。

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    2026/10/02 21:59

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