焼肉ドラゴン 公演情報 新国立劇場「焼肉ドラゴン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    故郷と家族
    舞台からグイグイきて、引き込まれっぱなしの160分(休憩除く)。
    笑い涙する素晴らしい舞台。

    終演とともに、強く強く拍手を続けた。

    ネタバレBOX

    通称「焼肉ドラゴン」の店内と、そこにつながる路地、そして共同水道がある。
    冒頭から焼く匂いで客席が包まれる。

    日本が一番熱かった時代、すなわち、高度成長期の華、万博前後の在日の町が舞台。
    高度成長の陰に、かつて日本に利用され、切り捨てられ、忘れられ、差別されている在日の人たちや韓国から来た人たちが暮らしていた。

    焼肉ドラゴンの店主夫婦は、自らの人生を「宿命・運命」として、嘆きながらも受け入れざるを得ない。彼らは、懸命に働きながらその宿命や運命から抜け出したいと思っていたのだが、結局はそうはならなかった。それは、「故郷を捨て、家族を捨てたときからの」と主人は言う。それも彼らの意思であるとは言えないものなのに。

    彼らは、息子や娘に自分たちの希望を託す。娘には良い夫を、息子には学問を。しかし、それも、彼らの思い通りにはならない。
    娘たちは、あちらこちらにぶつかりながらも、なんとか自分たちで人生を選択していく。しかし、息子はその期待の重圧に耐えきれず、自らの気持ちを伝えられないことから、言葉を失ってしまい、さらなる悲劇へと進む。

    3人の娘たちは、それぞれ韓国人、在日の人、日本人に嫁ぐことになる。そして、韓国、北朝鮮、日本へと散り散りになっていく。彼らの将来はやはり、宿命や運命に翻弄されていくのであろうか。

    在日の一家という、一見特別な姿を描いているようで、実は普遍的な家族(特にその時代の)を描いているのではないだろうか。両親は子どもたちのことを想い、子どもたちは両親に反発しながらも、家族の絆を深めていく。
    働いて働いて、家族を幸せに、子どもに学問を、という姿は、自分の両親の姿とダブるものがあり、それだけで、もう胸が一杯になってしまうのだ。期待に応えられたのだろうか、とか。

    物語では、家族と彼らを取り巻く他人の生活に首を突っ込む人々が暮らすコミュニティは、子どもの結婚・独立と生活の場としての町の立ち退きで壊れていく。
    子どもたちは、それぞれの事情で両親のもとから、距離的、あるいは気持ち的に離れていってしまう。

    つまり、これは高度成長期での、(帰るべき場所としての)故郷の喪失、(子ども世代の独立というだけではない)家族の離散、そして(人々が生の姿で対峙する)コミュニティの崩壊であり、現在進行しつつある無縁社会のスタートではなかったのではないだろうか。
    それは、高度成長に浮かれつつ、核家族化が進み、そうした姿は都市部を中心に日本中で起こっていたことなのだ。

    家族の絆は、本当は絶対に切れないものである、と信じつつも(父親のラストの台詞がそれを強く感じさせる)。

    時代の熱気とともに、舞台の上には生きることの熱さがあった。
    ときにはぶつかり合い、罵り合いながらも、相手を想ったり、共感したりそれがストレートに伝わってきた。ときおり聞こえる飛行機の爆音。
    そして、四季の気配がとても美しかった。

    また、ラストの情景には、涙を禁じ得なかった。娘たちとの別れの抱擁と息子の両親への想いとで。

    ラストの父親が発する台詞がとてもいい。宿命だ、運命だ、と言いながらも、明日がいい日であることを強く信じることこそが、生きていくための糧となるのだから。

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    2011/02/18 05:47

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