公演情報
劇団昴「ロミオとジュリエット」の観てきた!クチコミとコメント
実演鑑賞
満足度★★★★★
当日パンフに劇団昴の過去の沙翁作品上演歴が載っているのを見れば、1980年代90年代ほぼ毎年のようにやっている。現在自分が目にしている劇団昴は、海外現代戯曲(時に近作も)の良質な舞台を世に出す劇団、であり、今回のロミ・ジュリも間違いなく「一味違った」アプローチなればこその上演決定だろうと勝手に確信。田中壮太郞氏はコロナ期間に俳優座「セチュアンの善人」を演出し、かなり気張った演出、翻案で魅せていたので当然その期待もあり、まんまとその通りの舞台であった。
「現代」がそこここに散りばめられ、物言い、音楽、衣裳もくだけていて小気味良い。最初に登場する対立する両家の血気盛んな青年らが手にしている「武器」てえのがまず拳銃、日本刀、野球のバット、角材(内ゲバか)。ロミ・ジュリ役に配された俳優の若さも、劇の空気に絶妙な「現代」要素を与え、清新さというか斬新さの域。
対立する両家のいさかいを諫め、度々警告を発する当地の総統の登場のたび、SPの如く迅速に登場する部下たちはサッと一列に並び肩の高さで拳銃を構える。黒の上下に黒のキャップ。女性。この舞台では彼女らの存在感が現代的で生々しく、一瞬目が泳ぐ。現代の戦争、紛争、諍いごとへと連想が広がる。
悲恋の物語の付け足しのように、総統が末尾を飾るのが従来のロミジュリの印象であったが、これと一線を画し、社会がこの未来ある若者(しかも大きな役割を担っただろう両家の子息令嬢)を失った事の重み、対立心に発する互いの愚かな判断の結果として振り返させる総統の言葉が、この物語の総括となるのである。照明が落ちて行く舞台に、戦闘機の飛行音、爆撃音が織り重なって行く。
現代劇的翻案・演出の要素は多々あって、観客はそれらを美味しく頂いた。
ロミオの悪友の一人がラップを奏でればロミオも負けじと何とか返す。二人が本能レベルで好き合い惹かれ合う造形が現代的だが「詩的な台詞による説明」を、台詞ごと身体的反応に昇華させた表現が秀逸。ジュリエットの乳母役の喋り倒すキャラも、己の思うままに生きる(可愛いジュリエットの世話を焼く事そのものが彼女の愛すべき日常であり人生)自愛の姿が、他愛(ジュリエットとその家族を思う心)が本物である事を証す、必然性の演技。双方の親の子を巡る態度(特にジュリエット=キャピュレット側)はさもありなんと身に詰まされる。三日後の婚礼を宣告され追い詰められたジュリエットから相談を受け、神父が捻り出した窮余の策が、他に方法は無いと思わせるだけエライが例の「薬」(一度死んで42時間後に目覚める)。ロミオの元へ送った使者よりも早く「ジュリエットの死」を伝えた彼の友人、毒を売る薬屋、「掛け違い」が交錯する終盤に残る疑問のピース「神父が送った使者」が手紙を届けられなかった理由に「伝染病」が登場する・・。運命を左右する物語におけるツールとして作者が用いた伝染病だが、古来、忘れた頃に襲って来る象徴的な災厄が、この物語においても忘れた頃に登場する憎さを思う。震撼とさせられ、手筈がロミオに達しなかった弁明としては強烈にして余りある。婚礼の朝、娘の「死」を知った家族の狂乱振りも物語のボルテージを否が応に高め、その後に訪れる「死」の静謐な演出が引き立つ。
こうした明瞭な段落分けにより、観客はこれを美味しく飲み込むしかない。
最後に両者ともが打ちひしがれた「敗北」の中にあって、総統の裁定により両家の長が手を差し出し、握る。笑み一つない。再起が約束された未来の光も見えない。
時すでに遅い、だが、そうするしかない暗澹たる悲劇が、再確認されるのみである。
悲嘆の美(裏返せば永遠に結ばれる二人の美)ではなく、「失った」側に主語が移っており、彼らこそ、私たちである、と思わされる。物語の添え物としか思っていなかった彼らこそが、私達だと改めて気付く。(そう感じるのは己が齢がそっちに近いからかもだけれども...。)