THE GAME OF POLYAMORY LIFE 公演情報 趣向「THE GAME OF POLYAMORY LIFE」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    10年前に初演を観た「因縁」に託けて、観に出かけた。知った顔と名の上田遥のAチームを観たかったが叶わずBチームを観た。両チームの男女の数が同じなのでこちらのチームのムーン役(笠木泉)の裏だろうと想像しつつ観ていたら(終盤になると上田遥では成立が厳しいかも、と思えてきたが)、パンフの図には主人公エンジェル(豊田エリー)の二人の恋人の男女がチームでそれぞれ入れ替っている。
    で、終演後に脳内で両者を入れ替えて想像すると、こちら(A)が自然に成立するような気がした(初演の男女構成がそちらだったのかも)。

    両面客席の中央にほぼ正方形の台、高給そうなフローリングの台上には金持ちらしい簡素さで、伝統色無しの瀟洒な調度(ベッド、テーブル、高めの台・・ふかふかの起毛布で覆われカグスベールでよく移動する)、冷蔵庫、低い木製台、観葉植物、書籍、柱、椅子。
    ポリアモリー(複数との愛)が果たして成立するのかの実験が、初演の印象では「これは成立しづらいな」。金持ちで生活に困らない相手、そのパートナーに相応しい容姿、そうした生活苦から解放された条件下でしか、この「実験」への果敢な取り組みは出来んだろうな・・と。
    二人プラス「もう一人」の恋人は、その二人の関係が倦まない刺激剤、あるいは間隙を埋める「豊かさ」をもたらす人材として「仲間」となり、この三者が持つ「豊かさ」を惜しみなくシェアする関係として、実は利害関係にある、という(貧しい庶民の)発想に持って行かれる。
    今調べると初演の演出は桐山知也氏、最近実力派の演出家として認知し始めたがこの時既に起用していたとはプチ驚き。が、今回はこのテーマを扱うならこの人か、とも思える稲葉賀恵の演出には期待大で、そして望みは満たされた。関係性が整理され、問題がシフトして行く様(ポリアモリーの関係性が危うく変化に晒されるものである証左)も見えて来る。
    ただしこのゲームが有意義に、我々にも共有できるものとして成立するのかと言えば、話は別で、多くの言葉によって関係性が「成り立つ」説明が為される(くどくはないが本人同士の対話の言葉でなく観客に対する説明である)。果敢な挑戦ではあり、感情の揺れ動き、そして「成立するか実は危うい」という事実を直視させ、それでも「今は続けて行く」(そして私達は愛のただ中にある)という事でドラマは終って行く。

    拭えない違和感は、友情は感じるがエロスは別枠、というあたり。
    明治のエライ人は妾を別宅でなく妻と同じ屋根の下に住まわせたようだが、「秘め事」に関しては暗黙のルールがあった事だろう。3人が規則性も無しに常にエゴも含めて相手の前に出したり出さなかったりを、他の二人が居る前でやるのか、それともやはり一対一の時間をそれぞれ作る事にしているのか・・。3Pはやらない、とすれば一対一の時間、残る一人は孤独である、という具合。「パートナー」の別表現である「まぐわいの相手」の側面が、どうしても乗り換えられない。

    性欲を離れた関係をリアルに想像できるのは女性ならでは、なのかも知れない。
    愛がリスクからの、暴力からの防波堤であると考えれば、つまり平和が自然な状態としてでなく暴力を忌避し回避する「態度」として捉えると、「あなたを守りたい」感情は確かに、セックスを抜きに存在し得る。
    コザ騒動を背景にした「hana」に登場するジラースーと呼ばれる旦那さんは、ママのパートナーだが「そういう関係」を好まず、子どもたちを助けるために戸籍上の夫となった人。愛の広さ、深さが沖縄の地上戦の悲惨を背景にする事で「あり」に見えてくる。むしろ輝く。
    本作で描こうとした定義しようのない関係とは、実はそのようなものではないか。

    さて観客の少なさには「あ」と思わず驚いた。通常の客席ならどの程度埋まっていただろうか。対面客席の「客の多い側」に座れば、対面の少なく淋しい客席が見えてしまう。もっと多くに観られて良い舞台だと思う。

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    2026/06/06 03:58

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