誰かひとり/回復する人間 公演情報 conSept「誰かひとり/回復する人間」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    ノルウェーの2023年度ノーベル賞作家ヨン・フォッセ(1959~)と、韓国の2024年度ノーベル賞
    作家ハン・ガン(1970~)の作品をセットで上演するという企画。

    同時期にノーベル賞を取ったという以外はスタイルも何もかも異なる2人ですが、「孤独をどう扱うか」と
    いうテーマにおいて被っている点もあるなと感じました。

    ネタバレBOX

    〇ヨン・フォッセ「誰かひとり」(50分)

    場所も時間も明かされないどこか。画家の男とその友人が会話を交わす中、2人と何とかやりとりしようと
    必死な母親と父親とおぼしき男女2組が登場する。しかし、男性とその友人は決して自分の両親へ言葉を
    かけることなく、それどころか身体を向けることなく無表情を貫き続ける……。

    「画を描くことは現実から作家を切り離すこと、孤独を強めること」「しかし、画を描くことを止めたら
    何も残らない、もはや現実はそこに存在しない」

    息子たちと交流することをとうとう諦めて去っていく親の背を前に、ラスト直前でこんなことを呟くように
    言っていたように記憶している。

    血縁に代表されるような一般的な関係よりも強く存在し、また関係を拒絶した果てに残るもの、それが芸術で
    あり、芸術に携わる者一般への宿命を表しているような気がした。何も確かなものがない中、これだけが自分に
    とっての現実なんだといわんばかりの。

    ……とはいえ、物語性は全くない哲学的な舞台なので観賞にかなりの集中力を要したのは確かですね。盛り上がりや
    劇的な場面がほとんど存在しないので、受け止めきれなかった部分がかなりある。

    〇ハン・ガン「回復する人間」(40分)

    「誰かひとり」の役者各氏がそのまま続投。足を負傷した女性が医者にかかるが、彼女の頭をよぎるのはある時から
    疎遠になり、つい最近和解しないまま亡くなった姉のことで……。

    「誰かひとり」よりは状況、登場人物、テーマが見えやすくなっており、したがって「演劇」として鑑賞しやすい。
    壊死しもはや痛みを感じない自身の足のケガが、受け止めきれず麻痺してしまいもはや何の痛みも感じなくなった
    肉親の喪失という出来事と次第に重ね合わされていく。

    舞台では医師の「何でこうなるまでほっといたんですか!」「どんなに小さな傷だって取り返しが利かなくなることも
    あるんですよ!」という叱責が何度も繰り返されるんだけど、肉体的な重傷と精神的な重傷、似て非なる2つがどんどん
    繋がっていく演出に「うわすごいな」と脱帽した。

    「どこから何を間違えたんだろう」「実家じゃない私の家へ帰るんだ」という印象的なセリフから考えるに、女性は自身を
    拘束する姉の存在から次第に少しずつ解き放たれていき、自分の両足で前に進んでいくことを選んだ、ということなのかな?

    「私を回復させないで欲しい」も、自分だけで引きこもって外界から隔絶しどこか諦めたような雰囲気が漂うけど、解釈に
    よっては、傷が癒えることは「せっかく回復した痛みを失うこと」、姉の存在を完全に忘れ去り姉を失ったという事実が
    どんなことだったのかを無くすことなわけだから、女性が「回復させないで欲しい」と願う気持ちも正しいのかもしれない。
    「まだその時ではない」「自分の中で解決させてほしい」というメッセージなのだと受け止めました。

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    2026/03/29 07:26

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