誰かひとり/回復する人間 公演情報 誰かひとり/回復する人間」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    conSept主催公演を以前観ようとして断念したがこの度の企画に関心あり観に行く事となった。同劇場で他の公演も予定されているが、料金設定が中々高く、感想の中に「その割にどうだった?」の要素が忍び入り、己の中の資本主義的人間のさもしさに忸怩とする。
    二作品とも文学性の濃い作品で、舞台もその世界に即したものであった。演劇的工夫は装置などに窺えたがその部分は動的でもベースは静的といった印象。第一部のヨン・フォッセは劇作家だから演劇であるが、メタファーか強い。同じ衣裳を来た二人組が三組、どうやら「あちらの世界」の住人のよう。死に別れた相手が一方からは見え、他方からは見えないのか、無視してるのか・・「感じるが見えてない」らしいと後に判明するが、三番目に登場する組はどう関わるのだったか。。対の二人の関係もそれぞれ謎。対話する場面もある(あったと思う)。メタファーであるが台詞は生々しく、観た感じ一つずつ順序立てて進んでいく秩序のようなものがある。深読みを許容する作品でもある、その風格がある。だが抽象を抽象のまま受け止めて持ち帰らざるを得ない作品。休日の早い時刻でコンディション万全でなく読解に難ありだったか。戯曲を予習して観劇に臨むのが理想かもである。
    もう一作がハン・ガン作短編小説の舞台化。ここは西本演出の動的な演出が駆使されていて(戯曲の制約がない..変な言い方だが)、抽象度はやはり高いが、人生に背を向けた「回復したくない」女性のアンビバレントな生への欲求を、最後まで「回復したくない」と本人が言い続けるという中にじんわりと立ち上がらせていた。その女性を豊田エリーが好演。
    公演のコンセプトとしての「ノーベル賞作家作品」だが、そこに何らかの必然性(共通の時代性を表してる、といった)が明確という訳でもなく、私がそうであったように「知りたい(どちらも知らないので)」要求に応える「作品紹介」公演の域を、予想外に超えてくるものが無かったのはちょっと淋しかった。作品紹介公演にしては、これを言ってしまうがやはりお値段が高い。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    ノルウェーの2023年度ノーベル賞作家ヨン・フォッセ(1959~)と、韓国の2024年度ノーベル賞
    作家ハン・ガン(1970~)の作品をセットで上演するという企画。

    同時期にノーベル賞を取ったという以外はスタイルも何もかも異なる2人ですが、「孤独をどう扱うか」と
    いうテーマにおいて被っている点もあるなと感じました。

    ネタバレBOX

    〇ヨン・フォッセ「誰かひとり」(50分)

    場所も時間も明かされないどこか。画家の男とその友人が会話を交わす中、2人と何とかやりとりしようと
    必死な母親と父親とおぼしき男女2組が登場する。しかし、男性とその友人は決して自分の両親へ言葉を
    かけることなく、それどころか身体を向けることなく無表情を貫き続ける……。

    「画を描くことは現実から作家を切り離すこと、孤独を強めること」「しかし、画を描くことを止めたら
    何も残らない、もはや現実はそこに存在しない」

    息子たちと交流することをとうとう諦めて去っていく親の背を前に、ラスト直前でこんなことを呟くように
    言っていたように記憶している。

    血縁に代表されるような一般的な関係よりも強く存在し、また関係を拒絶した果てに残るもの、それが芸術で
    あり、芸術に携わる者一般への宿命を表しているような気がした。何も確かなものがない中、これだけが自分に
    とっての現実なんだといわんばかりの。

    ……とはいえ、物語性は全くない哲学的な舞台なので観賞にかなりの集中力を要したのは確かですね。盛り上がりや
    劇的な場面がほとんど存在しないので、受け止めきれなかった部分がかなりある。

    〇ハン・ガン「回復する人間」(40分)

    「誰かひとり」の役者各氏がそのまま続投。足を負傷した女性が医者にかかるが、彼女の頭をよぎるのはある時から
    疎遠になり、つい最近和解しないまま亡くなった姉のことで……。

    「誰かひとり」よりは状況、登場人物、テーマが見えやすくなっており、したがって「演劇」として鑑賞しやすい。
    壊死しもはや痛みを感じない自身の足のケガが、受け止めきれず麻痺してしまいもはや何の痛みも感じなくなった
    肉親の喪失という出来事と次第に重ね合わされていく。

    舞台では医師の「何でこうなるまでほっといたんですか!」「どんなに小さな傷だって取り返しが利かなくなることも
    あるんですよ!」という叱責が何度も繰り返されるんだけど、肉体的な重傷と精神的な重傷、似て非なる2つがどんどん
    繋がっていく演出に「うわすごいな」と脱帽した。

    「どこから何を間違えたんだろう」「実家じゃない私の家へ帰るんだ」という印象的なセリフから考えるに、女性は自身を
    拘束する姉の存在から次第に少しずつ解き放たれていき、自分の両足で前に進んでいくことを選んだ、ということなのかな?

    「私を回復させないで欲しい」も、自分だけで引きこもって外界から隔絶しどこか諦めたような雰囲気が漂うけど、解釈に
    よっては、傷が癒えることは「せっかく回復した痛みを失うこと」、姉の存在を完全に忘れ去り姉を失ったという事実が
    どんなことだったのかを無くすことなわけだから、女性が「回復させないで欲しい」と願う気持ちも正しいのかもしれない。
    「まだその時ではない」「自分の中で解決させてほしい」というメッセージなのだと受け止めました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2026/03/22 (日) 12:30

    座席1階

    それぞれ1時間程度の舞台で、10分程度の休憩を挟んで上演される。

    「誰かひとり」は2人の青年を巡って展開する。母とおぼしき女性2人と父と見られる男性2人が絡んでいくが、これらの人たちと青年は言葉を交わさずまじわることがない。客席がそれぞれ受け止める心の動きがこの舞台の妙味だと思うが、会話劇大好きの自分にはとても合わない。俳優の胸の内を読んで心象を楽しめる人ならよいのだが。

    もう一つ、「回復する人間」はタイトルに反して、けがからの回復を拒むような女性の物語。同じ会話がループのように繰り返されていくが、ループを重ねて主人公の心が少しずつ動いていく。別役実の不条理劇のような印象もある。

    日曜日の午後、大きな劇場ではないが空席が目立ったのが気になった。リピーターチケットを売っていたので、特定の人には深く刺さるものがあるのだと思うが、自分には受け止めきれなかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    脚本も演出も俳優さんも良い。濃密な世界観に酔いしれた。言葉の編み物が目の前で紡がれていくのを見ているようだ。

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