公演情報
劇団 枕返し「菊五郎と天狗の冬」の観てきた!クチコミとコメント
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2026/02/01 (日) 13:00
ダメを絵に描いたような、パチスロと競馬好きで、おまけにスナック好きで、金が無いと相手が子どもだろうとお構い無しに、大人気なく難癖付けて恐喝、恫喝する30代の不良中年男「菊五郎」。
それとは、正反対に物心ついた頃から天狗の元で育った心優しい少年「冬彦」(但し、どう見ても冬彦を演じる小学生役の役者は、老け顔と言うにも無理があり過ぎる、どこをどう見積もっても不細工で味のある思いっきり太ったオジサンにしか見えなかった)。
その冬彦が、物心ついてから、育ての親の天狗でなく、本当の産みの母親に一度もあったことがないことに思い至り、2人は東京にいる冬彦の母親探しの旅へ出ることに…。
次第に打ち解けていくふたりの数奇な旅はやがてと言うような感じのロードムービーが劇になったような感じでもあり、どこか懐かしく感じ、昭和の日常平和系特撮ドラマ『怪獣ブースカ』や『チビラくん』、アニメで言うと『ドラえもん』と言うよりかは、『オバケのQ太郎』とかに近い緩やかな展開でありつつ、長谷川伸の戯曲『瞼の母』へのオマージュが強く感じられた。
それに加えて、民話や柳田邦男の『遠野物語』の座敷童子のエピソードのように、妖怪と人が時に恐れつつ、共存して生きている緩やかな感じが劇全体を覆っていて、良い意味であらすじを読んで私が感じたことと同じような、期待通りの劇だった。
しかも、今の時代、世界各地で紛争、戦争、飢餓、テロが絶えず、異常気象が続き過ぎて環境問題も解決するどころか、動物にとっても、人間にとっても、地球自体にとってもかなり深刻な状況になっており、さらに、ポピュリズムが台頭し、米大統領は大統領令を連発し、民主主義を軽視蔑視するような言動、行動が目立ち、とても多様性とは程遠い世の中になってきて、日本でも高市早苗首相の支持率が異様に高まっていたりと憂慮すべき自体となっている、かなり将来に希望が見えない世の中において、この劇の中では実際に会ったことも、親子としての思い出もない冬彦の母親に、小学生の冬彦はただ無性に会いたくなった、只それだけの理由でクズ男で腐り切った菊五郎と行動を共にし、冬彦の産みの母親に会いに行くのみならず、その旅を通して、行動を共にする菊五郎の腐り切った心を、人としても終わっているように見える(具体的には、天狗のところで冬彦が修行しているんだから、競馬の予想も当てられるだろうと言ったことや、スナックで冬彦が小学生なのもお構いなしにスナックに一緒に入り、冬彦のことなどお構いなしに、店の女の子やスナックのママと飲み明かして盛り上がったりする言動等)のを、長旅を通して、冬彦にそのような意図はない筈だが、冬彦のちょっとした何気ない発言や健気な言動、行動から、結果的に緩やかに菊五郎を成長させていくと言うような登場人物たちの描き方に、人は年齢など関係なくやり直せるんだと気付かされた。
今の不寛容な時代にこそ、互いを思いやるようになるまで、根気強く理解しようと努める冬彦の姿勢には、頭が下がる思い出あると同時に、私たちも見習うべきところが多いと感じ、気を引き締めた。
去年、原作長谷川伸の戯曲『瞼の母』の映画化である無声映画『瞼の母』を活弁上映で観たことはあるが、その中に出てくる旅の博徒でヤクザ者の番場の忠太郎が実の母親と出会うが、宿屋を経営して娘がいる母親は、『息子は9つで死んだ』と言うようなことを言って聞かず、金目当てと番場の忠太郎を疑い、お互いにすれ違い、1人、再び番場の忠太郎が宿屋を出て、悪漢を斬って去っていくという在り方で、どこか物悲しく、鬱屈とした終わり方で、それと今回の劇の最後のほうで冬彦が産みの母親を前にした場面とで、全然置かれた状況は違えど、今回の劇でも冬彦の本当の母親に娘がいるのは共通しており、偶然かも分からないが、こんな偶然あるものなのかと感じた。
また、今回の劇の最後のほうで、冬彦と菊五郎が、冬彦の実の母親が娘と幸せそうなのを見て取って、これで良いんだと自分に言い聞かせて冬彦はまだ小学生なのに、その辺の大人より大人になろうとする踏ん切りの付け方をする在り方に、長谷川伸の戯曲原作無声映画『瞼の母』の番場の忠太郎と実の母親との場面と全然違うけれども、どこかオマージュを感じさせる場面に、既視感を感じさせられた。
冬彦の本当の産みの母親を前にしても、冬彦が内心動揺しながらも、ここで自分が出て行って、娘と幸せそうにしている母親の現在を壊し、過去を思い出させるのは酷だと考え、冬彦は自分が挨拶さえせずに、ひっそりと身を引く決断をするという在り方に胸を打たれた。
それと同時に、冬彦の判断が非常に現代的な価値観だとも感じた。
その何とも言えない、どこか切なく物悲しい在り方に、親子とは、必ずしも本当の親と再会することばかりが良いことなのか、本当の親を前にして、もはや人間ですらない自分を育ててくれた育ての親の天狗のほうが大事にした方が良い存在なのか、答えが出にくい問いが頭の中を駆け巡り、深く考えさせられた。
シナコ役がイメージを思いっきりブチ壊していて、もはや実在のシナコを侮辱してるんじゃないかと思う程、太っていて、思いっきり見た目オバチャンで、とんでもなく痛くて、存在感あり過ぎて、逆に大いに笑えた。
天狗や雪女、天狗のもとで修行する子どもたち役も、冬彦筆頭に明らかに小学生には見えない雰囲気も笑え、個性豊かで、大いに楽しめた。