かがやく都市 公演情報 うさぎストライプ「かがやく都市」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初演も見たんですが、改めて見て、昔よりずっと密度があって、複雑なのかなという気がしてきました。ゴドーや岸田國士を思い浮かべました。宇宙人出てるのに。

    うまく言えませんが、強いて言うなら凄く1995年的です。爽やかな不穏さへの憧憬にも見えます。エヴァからアリ・アスターあたりへの不穏さのエンタメ化の流れからすると、そこまで逃げ道ないほどではないが、爽やかに不穏、というかメインはそこではない感じというのか。

    世界終末前日の夕暮れが永遠に続くようです。

    世界終末まえの最後の夕暮れを、ゴドーのように、ミルクのまえで、ふてぶてしい猫がミルク頂きマンボしに来るのを待っているようにも見えます。

    これが最後のチャンス。世界が滅亡する前に、いつもミルクを知らないうちに頂きマンボして、可愛さを私たちに分け与えてくれない消費されない可愛いさをもつであろうふてぶてしい猫をみるのは。

    たぶんこれ以上ない世界最後の時間の使い方ですよ、ふんとに。
    世界が終わる前にミルク泥棒(可愛いさを分け与えることなしに消えるという意味で)の姿を待つのは。普通に歌になりそうです。おしゃれ泥棒や花泥棒捕まえるのに近いですね(違うか)

    あと、女の子の必死な『こっち向いてビーム』みたいなのを、消費させない、守るみたいなロックな宇宙人的像(ただし社会性なし)を遠くから観る感じとも言うのか。僕はいつも鼻くそほじくっていたので、そんなビームを受けた記憶はないが、そんなビーム出して無力な妹いたら兄本当に大変だよね…。この宇宙人兄は、自分の宇宙人っぷりは消費されても関係ないのに、マジメそうな妹の可愛さが消費されるのは黙ってらんない感が良いッスね(笑 宇宙人設定あんまし核には関わってない感じが逆に作品の核心にも見えますね。

    バブル以降のマンガアニメーションの構造化言語化が進んだ今、この戯曲を分析するなら、凄いマンガアニメーション的な感じの心象風景にも見えます…。意外と似た戯曲はないですよね。皆無?…逆に本家のマンガアニメーションでは、これだけノスタルジックな世界前日の夕暮れは現在では珍しいのかもしれません。なんか。でも世界が終わりそうなのかどうかすら、僕には…わからない。世界は揺らぎの世界を抜けて、日本の法治は洗練され、かつての揺らぎはそこまででもなくなってしまったようにも見える…。

    かつての揺らぎの煙漂う夕暮れの世界。いまもあるのか?年取った僕にいま見えるのか?

    …いや、でも小難しいこと少し言いましたが、難しくないです。全然素敵です。たぶん若い人のほうがすぐ飲み込めるかも。そうであってほしいですね。

    たぶんイスタンブールとか尾道みたいな、汚くて綺麗で、猫と坂がたくさんあって、海が近くにある街とは別の忘れられた街が、あるんだなって。このまちに欠けているものがあるのが、かがやく都市のようにも見えます。

    もうちょい細かく書ければ。今日はとりあえずここまで。

    エーアイのおかげでこの百倍くらい作ってピックアップできるから便利です…なんだかんだ言って技術の進歩は偉大…

    ネタバレBOX

    タイトルはル・コルビュジエの輝く都市から来たらしい。

    ル・コルビュジエの輝く都市…なぜか日本では邦訳が最近まで全然出ていないのに、ニュータウン開発などの聖典にされて開発業者が科学的の名のもとに権威ビンタの便利な道具にした感のある謎の書…ほとんど誰も通して読んでないのに…。本人にしてみたら『ちゃんと読めよ、温帯で風向きが複雑に変わる日本で全く同じことをやれなんてひと言も書いてないよ』と言いそうな…。

    そして、その真実?は…となると、ル・コルビュジエがフランスでこの本を書いたのは1930年代。ナチスドイツがヨーロッパを飲み込もうとしている時期だった。

    ユダヤ人やコミュニストを地球上から殲滅するぞとかいう、ほとんど精神疾患に近い倫理崩壊した総督に、隣国ドイツが率いられ…フランスはもうダメかもしれない…そんな時代だった。

    フランスの文化人たちも『もうヨーロッパはダメだ。チリかサハラ砂漠に極限都市を作って、ナチスが滅びるまで1000年でも2000年でも待ち続けよう…』そんな悲壮感が漂っていた、らしい。

    ちなみにヨーロッパの歴史はそもそも敗者の歴史で、大航海時代のポルトガル、産業革命イングランド、ナポレオンのフランス、ユーラシアのアメリカであるロシアと、どん底の国が発展して脱出して巻き返すことで時代の最先端を更新してきた。

    ル・コルビュジエもその文脈のなかで考えるとよくわかる。

    ル・コルビュジエの輝く都市は文明が妄想的な戦争で消滅しつつあった時代に緊急避難的に『もう時間がない。このままじゃ生まれつつあったクリエイティブな文明社会は滅んで、パラノイアのような指導者の率いるナチスとソ連に全てが飲み込まれるかも…!』という悲壮な声をあげながら天才が思考実験した精華の極限都市で、そんな切迫感が歴史上なかった日本にそのままの形で置くと、息苦しいのは当たり前…だって平安時代なんて寝殿造みたいな謎のアウトドア建築を編み出すほどのナチュラリスト日本で、ル・コルビュジエいる?みたいになるのは当然…ただ中東のドバイなどの砂漠都市では猛烈に役立っている…そんなことを踏まえると、なんか作品に対する見方が変わってくる気もする。

    これは本当に地球なのか?地球の取り残されたまちなのか?宇宙を彷徨う脱出シェルターか何かなのではないのか?ということで。もちろん、戯曲にはそんなこと全く書いてない。タイトルからそういう見方もできるのかもしれないな、というあくまで想像。

    そもそもル・コルビュジエの輝く都市の都市はvilleで、メトロポリスではない。どちらかというと文脈からするとhabitantに近い、気がする。そういうのも脱出シェルター説に与する理由もある。

    そこで、ウェルズの宇宙戦争の本を布教する謎のおばさんの存在。

    これは、こっそり地球にやってきた宇宙人のウイルスや最近によって、宇宙人も地球人もほとんどいなくなって彷徨う都市…まちではないのかな?とか思う。いつか誰かが迎えに来てくれたら、とか祈りながらの。

    ここまでで結構重層的にも見える。ほかの作品タイトルが出てくると、短くてもきちんと分析して、試しにいくつか構造化してみて、作品に合うかどうかを見極めないとなな感。

    最初ル・コルビュジエの存在をどこまで解釈するのか悩んだ。というのも日本人は都合の良いところだけ切り取って解釈して、ル・コルビュジエの輝く都市を書いたときの文明が世界から消えるかもしれないという強烈な焦りや哲学、そもそも砂漠や高地などの極限状態で文明が必要最低限の資源で生き延びるには、なんて考えたこともないなかでアイデアだけ、哲学正反対のバウハウスと一緒くたに形だけ導入した経緯があるから。

    でも見てて、これは普通の建築家よりずっと文明論的にきちんとル・コルビュジエを解釈しているのではないかという結論に勝手に達したため、このように書いております…。

    すみません、前置きばかり長くなって、あとで書き出せれば…

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    2026/01/25 22:17

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