かがやく都市 公演情報 かがやく都市」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-2件 / 2件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    好きな作品。音楽を担当した小林顕作氏がMVP。オリジナルの劇中曲はどれも既成曲を選んだような良曲揃い。金澤昭氏が奏でるギターをバックに夜空の広場の落書きを描き続ける小瀧万梨子さんが名シーン。やたら味のある絵。

    筋肉少女帯に『おまけの一日』という曲があって、若くして死んだ少年を憐れに思った神様が「おまけの一日」をプレゼントする。

    おまけの一日、さりとてするべき事もなく、
    何となく日は暮れて、その夕陽を見ながら少年は
    「ああ、僕の一生こそおまけのようなものだったなあ」と思いました。

    小瀧万梨子さんはスカーフを真知子巻きにしてサングラスにコートのパリジェンヌ・ファッション。よく似合っていた。

    清水緑さんがかなり痩せて更に綺麗になっていた。次はこまつ座だ。

    ネタバレBOX

    いつからか宇宙人が地球に来ていた。終末の近い地球で人間を選別してさらう。あと猫も好きだからさらう。いつしか空がとんでもない色になっている。小惑星が衝突して地球の生物は絶滅するらしい。それを何となく知っている人もいる。知ったところでどうする訳でもない。ただ時々ふと奇妙な色の空を見上げている。
    15年前、高校の同級生だった高橋義和氏と亀山浩史氏。実際に宇宙人の亀山氏はその奇妙な行動から「宇宙人」と呼ばれてた。高橋氏は担任の教師(小瀧万梨子さん)のことが好きだったが、産休の為、クラスを離れることに。激昂した亀山氏は彼女の旦那を探し出してボコボコにする。純粋に高橋氏の為だった。
    現在、殆ど人がいなくなった街。高橋義和氏は高校で非常勤講師として都市計画の講義をしている。その授業を取っているのは清水緑さんと一学年上の菊池佳南さん二人だけ。菊池さんは亀山浩史氏の妹で宇宙人だった。菊池さんは高橋氏に好意を伝えるが教師と生徒という立場もあり嬉しく思うものの高橋氏はかわす。
    街の何もない広場はかつて高橋氏が設計した物で清水緑さんはその佇まいを気に入っている。そこでベンチに座りアンケートを取っている小瀧万梨子さん。旦那と飼い猫がここで宇宙人にさらわれたらしい。その行方を捜し続けている。H・G・ウェルズの『宇宙戦争』で宇宙人のことを研究しながら。
    学校を辞めた高橋義和氏は15年振りに亀山浩史氏の住む工場に会いに行く。そんな再会にも「レベルE」を読み続け、人生ゲームを持って来る亀山氏の風変わりな態度に高橋氏は笑う。「お前、何も変わってないな。宇宙人のまんまだ。」
    小瀧万梨子さんは一日24時間稼働し煙を吐き続ける工場が怪しいと睨む。宇宙人の基地では?そこに住んでいる菊池佳南さんは小瀧さんと清水さんを招待する。
    宇宙人はさらった人間を人生ゲームの駒にしているらしい。本当なのか冗談なのか。亀山浩史氏は妹に友達が一人も出来ないことを気にしている。最後の一日だというのに。

    この作家は劇団普通の石黒麻衣さんと奏でている曲の音色が近い気がする。死を前にした安らぎ、何だか全てに優しくなれる気持ちと澄んだ悲しみ。きっと死んでいった者達はこんな想いに溢れるんだろうな。全てが終わらないとこの境地には辿り着けないのか。レイ・ブラッドベリの終末モノの感覚。早朝の冷えて透き通った誰もいない冬の公園と白い息。石黒麻衣さんの世界はまだ来ぬ未来への不安と焦燥が高じて、逆に破滅を待ち望んでいる気すら感じさせる。北野武『ソナチネ』の名台詞、「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」。

    BUCK-TICK 「die」

    僕は両手を広げ 全てを許したいと願えば
    君は空から降り立つ
    真実なんてものは 僕の中には何もなかった
    生きる意味さえ知らない 何にも
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初演も見たんですが、改めて見て、昔よりずっと密度があって、複雑なのかなという気がしてきました。ゴドーや岸田國士を思い浮かべました。宇宙人出てるのに。

    うまく言えませんが、強いて言うなら凄く1995年的です。爽やかな不穏さへの憧憬にも見えます。エヴァからアリ・アスターあたりへの不穏さのエンタメ化の流れからすると、そこまで逃げ道ないほどではないが、爽やかに不穏、というかメインはそこではない感じというのか。

    世界終末前日の夕暮れが永遠に続くようです。

    世界終末まえの最後の夕暮れを、ゴドーのように、ミルクのまえで、ふてぶてしい猫がミルク頂きマンボしに来るのを待っているようにも見えます。

    これが最後のチャンス。世界が滅亡する前に、いつもミルクを知らないうちに頂きマンボして、可愛さを私たちに分け与えてくれない消費されない可愛いさをもつであろうふてぶてしい猫をみるのは。

    たぶんこれ以上ない世界最後の時間の使い方ですよ、ふんとに。
    世界が終わる前にミルク泥棒(可愛いさを分け与えることなしに消えるという意味で)の姿を待つのは。普通に歌になりそうです。おしゃれ泥棒や花泥棒捕まえるのに近いですね(違うか)

    あと、女の子の必死な『こっち向いてビーム』みたいなのを、消費させない、守るみたいなロックな宇宙人的像(ただし社会性なし)を遠くから観る感じとも言うのか。僕はいつも鼻くそほじくっていたので、そんなビームを受けた記憶はないが、そんなビーム出して無力な妹いたら兄本当に大変だよね…。この宇宙人兄は、自分の宇宙人っぷりは消費されても関係ないのに、マジメそうな妹の可愛さが消費されるのは黙ってらんない感が良いッスね(笑 宇宙人設定あんまし核には関わってない感じが逆に作品の核心にも見えますね。

    バブル以降のマンガアニメーションの構造化言語化が進んだ今、この戯曲を分析するなら、凄いマンガアニメーション的な感じの心象風景にも見えます…。意外と似た戯曲はないですよね。皆無?…逆に本家のマンガアニメーションでは、これだけノスタルジックな世界前日の夕暮れは現在では珍しいのかもしれません。なんか。でも世界が終わりそうなのかどうかすら、僕には…わからない。世界は揺らぎの世界を抜けて、日本の法治は洗練され、かつての揺らぎはそこまででもなくなってしまったようにも見える…。

    かつての揺らぎの煙漂う夕暮れの世界。いまもあるのか?年取った僕にいま見えるのか?

    …いや、でも小難しいこと少し言いましたが、難しくないです。全然素敵です。たぶん若い人のほうがすぐ飲み込めるかも。そうであってほしいですね。

    たぶんイスタンブールとか尾道みたいな、汚くて綺麗で、猫と坂がたくさんあって、海が近くにある街とは別の忘れられた街が、あるんだなって。このまちに欠けているものがあるのが、かがやく都市のようにも見えます。

    もうちょい細かく書ければ。今日はとりあえずここまで。

    エーアイのおかげでこの百倍くらい作ってピックアップできるから便利です…なんだかんだ言って技術の進歩は偉大…

    ネタバレBOX

    タイトルはル・コルビュジエの輝く都市から来たらしい。

    ル・コルビュジエの輝く都市…なぜか日本では邦訳が最近まで全然出ていないのに、ニュータウン開発などの聖典にされて開発業者が科学的の名のもとに権威ビンタの便利な道具にした感のある謎の書…ほとんど誰も通して読んでないのに…。本人にしてみたら『ちゃんと読めよ、温帯で風向きが複雑に変わる日本で全く同じことをやれなんてひと言も書いてないよ』と言いそうな…。

    そして、その真実?は…となると、ル・コルビュジエがフランスでこの本を書いたのは1930年代。ナチスドイツがヨーロッパを飲み込もうとしている時期だった。

    ユダヤ人やコミュニストを地球上から殲滅するぞとかいう、ほとんど精神疾患に近い倫理崩壊した総督に、隣国ドイツが率いられ…フランスはもうダメかもしれない…そんな時代だった。

    フランスの文化人たちも『もうヨーロッパはダメだ。チリかサハラ砂漠に極限都市を作って、ナチスが滅びるまで1000年でも2000年でも待ち続けよう…』そんな悲壮感が漂っていた、らしい。

    ちなみにヨーロッパの歴史はそもそも敗者の歴史で、大航海時代のポルトガル、産業革命イングランド、ナポレオンのフランス、ユーラシアのアメリカであるロシアと、どん底の国が発展して脱出して巻き返すことで時代の最先端を更新してきた。

    ル・コルビュジエもその文脈のなかで考えるとよくわかる。

    ル・コルビュジエの輝く都市は文明が妄想的な戦争で消滅しつつあった時代に緊急避難的に『もう時間がない。このままじゃ生まれつつあったクリエイティブな文明社会は滅んで、パラノイアのような指導者の率いるナチスとソ連に全てが飲み込まれるかも…!』という悲壮な声をあげながら天才が思考実験した精華の極限都市で、そんな切迫感が歴史上なかった日本にそのままの形で置くと、息苦しいのは当たり前…だって平安時代なんて寝殿造みたいな謎のアウトドア建築を編み出すほどのナチュラリスト日本で、ル・コルビュジエいる?みたいになるのは当然…ただ中東のドバイなどの砂漠都市では猛烈に役立っている…そんなことを踏まえると、なんか作品に対する見方が変わってくる気もする。

    これは本当に地球なのか?地球の取り残されたまちなのか?宇宙を彷徨う脱出シェルターか何かなのではないのか?ということで。もちろん、戯曲にはそんなこと全く書いてない。タイトルからそういう見方もできるのかもしれないな、というあくまで想像。

    そもそもル・コルビュジエの輝く都市の都市はvilleで、メトロポリスではない。どちらかというと文脈からするとhabitantに近い、気がする。そういうのも脱出シェルター説に与する理由もある。

    そこで、ウェルズの宇宙戦争の本を布教する謎のおばさんの存在。

    これは、こっそり地球にやってきた宇宙人のウイルスや最近によって、宇宙人も地球人もほとんどいなくなって彷徨う都市…まちではないのかな?とか思う。いつか誰かが迎えに来てくれたら、とか祈りながらの。

    ここまでで結構重層的にも見える。ほかの作品タイトルが出てくると、短くてもきちんと分析して、試しにいくつか構造化してみて、作品に合うかどうかを見極めないとなな感。

    最初ル・コルビュジエの存在をどこまで解釈するのか悩んだ。というのも日本人は都合の良いところだけ切り取って解釈して、ル・コルビュジエの輝く都市を書いたときの文明が世界から消えるかもしれないという強烈な焦りや哲学、そもそも砂漠や高地などの極限状態で文明が必要最低限の資源で生き延びるには、なんて考えたこともないなかでアイデアだけ、哲学正反対のバウハウスと一緒くたに形だけ導入した経緯があるから。

    でも見てて、これは普通の建築家よりずっと文明論的にきちんとル・コルビュジエを解釈しているのではないかという結論に勝手に達したため、このように書いております…。

    すみません、前置きばかり長くなって、あとで書き出せれば…

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