ハロースクール、バイバイ 公演情報 マームとジプシー「ハロースクール、バイバイ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    しなやかに広がる記憶の質感
    そのひとときに蘇るもの、その時間から広がっていくもの。

    一行の台詞をフレームにして、
    閉じ込められたその時間の質感を、
    美化されることなく、
    でもとても瑞々しいものとして
    感じることができました。

    ネタバレBOX

    客入れ時にすでに舞台上では
    ユニフォームを来た選手が数人、ストレッチをしている。
    ステージ上で表現のシステムが動き出す前に
    すでにかもし出された空気があって・・・。

    だから、物語の始まりのシーンたちがスムーズに展開していきます。

    中学校の女子バレー部、先輩が抜けた後の部活の様子などが
    ランダムと思えるような切り取り方で
    舞台上に次々と現れていく。

    やがて、
    いくつかのシーンが残像を重ねるように繰り返され
    一つになっていきます。
    しかも、同じシーンについて観る側の視座を変化させることで
    その時間に立体的な厚みがうまれていく。

    シーンの時系列も、
    最初は記憶の曖昧さを模したように
    順番が伝わってこない。
    でもシーンのつながりがいくつも浮かび上がり
    ゆっくりと流れというかシーン間の因果が生まれて、
    その場の空気が
    時間をたどるようにして膨らんでいくのです。

    たとえばカツサンドの匂い(悪臭)や
    ひとりでのマックのこと。
    体育館の倉庫の感触や
    サッカー部の級友のリフティングにまつわるエピソード。
    断片がはめこまれて時間が満ちていく感じ。
    バレーボールの練習や合宿、
    試合の高揚が
    舞台全体をみたす。
    一方で
    それらの記憶から派生するがごとく
    解けるように蘇る場面もあって。

    言葉では語ることができないような
    さまざまな記憶の密度が醸成されていきます。
    重ねられていくシーン達の組み上げは
    その場の空気に観る側を包み込むだけではなく
    記憶の濃淡までを織り上げていくのです。

    ひとつの刹那を醸し上げるために繰り返される
    シーン達の精度の作りこみが、実は凄いのだと思う。
    シーンのつながりに違和感を感じさせない
    役者達の場面を繋ぐ切れに目を瞠る・・。

    そうして構築された空気の厚みは
    よしんばどこかデフォルメされたような
    歌詞の校歌であっても、
    浮くことなく、むしろ彩りとして
    その場にすいっと引き入れてしまう。

    何度か、きっと一行分ほどの長さの、
    それが春の終わりの出来事だったことをつぶやく台詞が語られて、
    とても効果的だと思いました。
    バレーボールの試合の記憶も
    取り壊されていく級友の家である銭湯も
    その台詞の内側に置かれて・・・。
    よしんばしっかりと膨らんでいても
    時間がばらけることがない。
    台詞が重ねられるとき、
    体感的にどこか物憂く、
    ちょっと汗臭く、きれいなばかりではない、
    でもビターで、少しだけいとおしいその時間が
    拡散することなく
    すっと記憶の色へと変化して
    観る側に置かれていくのです。

    終演、そして客電がついても、
    舞台上の空気に浸されたまま、
    少しの間立ち上がることができませんでした。
    べたな言い方ですが、
    しっかりと舞台に取り込まれてしまっておりました。

    この作り手が
    今後どのような空気を舞台に醸していくのか
    ほんと、楽しみになりました。

    ☆☆☆□□☆◎○○



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    2010/11/26 15:20

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