砂漠のノーマ・ジーン 公演情報 名取事務所「砂漠のノーマ・ジーン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    小劇場B1だと思っていて、「劇」小劇場だったことに驚いた。ステージ上は2枚の大きな鏡が斜めに置かれ、中央奥で合わさる。その前にはレースカーテンが引かれている。
    プレトークとして名取事務所代表・名取敏行氏がトーク。この脚本は甲斐義隆氏の持ち込み、初対面。一日で読み終え翌日には上演を決めた。だが上演予定が詰まっていたので3年掛かった。役者も演出家もその時すぐに口約束で決めた。代表をここまで駆り立てた脚本とは如何に?

    2000年9月、オーストラリア北部ダーウィン。人口の約4分の1がアボリジナル。シドニーオリンピック開幕を控え厳戒態勢の国際空港滑走路に不審な女性(森尾舞さん)が侵入。大声で喚き散らし逮捕拘束。その後黙秘を続ける。彼女の叫んだ言語が25年前に最後の話者が亡くなった幻のユーリア語だと気付いた言語学者(西尾友樹氏)は興奮する。アボリジナルの滅んだ部族の言葉を話せる人間が今もまだ生きている!早速無理を言ってコンタクトを取る。何とか彼女からユーリア語について聞き出さねばならない。マジックミラーの部屋にいる彼女に隣室からスピーカー越しで話し掛ける言語学者。

    言語学者の台詞は全て英語。舞台上部に日本語字幕が入る。小劇場B1のようなニ面の客席だと観客全員に見える位置に字幕を投影し辛い。だから「劇」小劇場だったのだろう。そして謎の女性は片言の英語しか話せない。彼女の母語、ユーリア語として日本語を使う。言語学者は知っている数少ない単語以外、何を話しているかさっぱり理解出来ない。

    言語学者スピロ・イリアディス役西尾友樹氏は今回の役柄を「想像を絶する挑戦だった」と語る。発音までオーズィー英語だそうだ、これ全部覚えたのか?かつて三船敏郎がメキシコ映画『価値ある男』の主演に招かれ、スペイン語の全台詞を丸暗記して到着し現地のスタッフを驚嘆させたエピソードを思い出した。(発音に問題があった為、公開は吹替に)。

    謎の女、ミラ・ナパチャリ役森尾舞さんの演技が神懸かっている。
    叔母、祖母、母親、娘となり語らい続ける。当初それは幻聴の聴こえる統合失調症患者、多重人格者のようにも見える。だが彼女の唯一無二の凄い所は物語と共にどんどん若返って美しくなる様。精神を解放して自由に魂を広げる内に苦悩は癒やされ心が澄んでいく。彼女の語る、とあるアボリジナル一族の歴史に観客は夢中だ。グレートビクトリア砂漠にあるエミューフィールドに彼等の聖地がある。聖地を目指し何度でも旅に出る。これがアボリジナルの「ドリーミング」なのか?ずっと感覚的に掴めなかった「ドリーミング」に触れたような感触。今月末、燐光群が上演する『高知パルプ生コン事件』も森尾舞さん出演とのことで俄然観たくなった。

    今作の森尾舞さんを見逃すな!鬼気迫ってる。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    5〜6万年前からオーストラリアに居住していた先住民、アボリジナルは文字を持たず、口頭伝承、歌、絵画(ドット画)で歴史や伝統を子孫に伝えた。目で見る伝達手段としての絵、耳で聴く伝達手段としての歌。

    ドリームタイム(アボリジナルの創世記)に歌で創られた大地の地図=ソングライン。ここはアボリジナルのアカシックレコード(世界記憶)。アクセスすると時間も空間も越えて一族の精霊達と語り合える。ここには全ての記憶があって誰もがいる。

    『進撃の巨人』の「道」の設定に近い。というよりも『進撃の巨人』がアボリジナル文化を元にしているのだろう。ユミルの民=エルディア人の精神が繋がる場所とされる「道」。その「道」の源泉となっているのが「座標」=創造主。アボリジナルでいうとドリームタイム=天地創造神話。
    時間という概念を持たないアボリジナル、過去も現在も未来も同じこと。天地創造は遥か昔のお話ではなく今現在である。この感覚は「共同幻想」のことなのだと思う。同じ血族はずっと通じ合って生きている。時代を越えて共に生きる。「共同幻想」を共有して繋がっている。

    25年前、病院で癌で亡くなった老婆の残した録音を聴かされるミラ。「叔母さんだ!」ミラの母親の妹である。その病院にミラも付き添った。だが叔母は病院で叫ぶ。「逃げて!逃げるのよ!」何処までも逃げなくてはならない。捕まったら矯正施設に入れられて何もかもを奪われてしまう。何もかもを壊されてしまう。マリリン・モンローになれなくてもいい。逃げ続けよ、ノーマ・ジーン!皆に愛される必要などはない。逃ゲ続ケロ!

    居眠りが多かったのは字幕のせいでもある。ドラマとしては西尾森尾の関係性が段々と変わっていく様をこそ見せたいところ。言語がテーマなのは判るが、やはり日本語で演るべきだったとも思う。西尾森尾の遣り取りが日本語だった方が話に集中出来る。「ドリーミング」を体験させることこそが主題。

    エピローグは自分的には不要。椅子を振り上げてラストの方が好き。

    BARBEE BOYS 「ノーマジーン」

    何故なんだノーマジーン?
    俺のこと嫌ってるなら
    笑ったり誘ったりしないでいいよ

    無理をして笑う 我慢して遊ぶ
    ちゃちな幸せが目当て
    いつからか鏡 怖くって外す
    いつも夢見ていたのに

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    2025/10/01 21:49

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