同調しすぎるティーンエイジャー。
個人的な意見や感情がひとつの巨大な『わたしたちの気持ち』として集約された日常によって浸食されていく私という固体。集団における絶対的な歪みや不穏さに対して疑問を持たず、馴染み、正当化し、またスルーできるか?みたいな賭け事は、学校という場所が外的要因の多くを占め、まるでこの世のすべてであるかのように認識せざるを得ないある特定の時期を通過した大人ならば少なからず当時と重ねて観ることができるような類の光景が断片的に提示されるが、それによって胸に熱いものがこみ上げてきたり感傷的になったりするようなことはなく、ひたすら行動原理を追っていくミニマルな状態が続いた。
それに反して登場人物たちのあっけらかーんとした妙にファンキーな振る舞いだったり、残酷なまでにポップな台詞だったりに時折クスリとすることはあったのだけれど、それが作品のバランスを若干崩してしまったような気もした。
とはいえ、事あるごとに集団と個を使い分け、更に共感、傍観、客観的立ち位置までをも活用することは、大人の階段を上るためのトレーニングであると同時に、人間の本質は悪だ!という認識を擦り込んでいるようでなんだかおかしかった。
ティーン特有繊細な心の揺れやエモーショナルな何かを期待していくと肩透かしを喰らう恐れがあるが、私を含め感情移入をすることに疑問を感じているようなひとには何となく腑に落ちる点が見つかるかもしれない。