不可能の限りにおいて 公演情報 世田谷パブリックシアター「不可能の限りにおいて」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    Aチーム

    世界中の紛争地帯、戦場、難民キャンプ···。ニュース映像で見るそこで医療に従事する人々。国連の難民支援機関のイメージが強かったがもっと民間のNGO団体が多いようだ。リアルタイムで働いている人間の生の声を真空パック。肌感覚でその体験が伝わる。作者はポルトガル人のティアゴ・ロドリゲス、父はジャーナリスト、母は医師。オリジナルでは黒澤明の『羅生門』を皆で鑑賞し、事実というものの多面性を確認した上、役者達と稽古に入ったという。

    小林春世さんの挨拶からスタート。彼女と山本圭祐氏の印象が残るプロローグ。
    (0)国際赤十字社と国境なき医師団の約30人の職員へのインタビューを再構成。舞台上に集められたメンバーはこれから制作される演劇作品の為に自分達の経験談を語る。「こんなエピソードはどうかしら?」「こういうのじゃ伝わらないわね。」「献身的な英雄なんかじゃあない。ただの仕事だ。」「私、演劇嫌いなのよね。退屈だから!」「録音を止めろ!もうここからは記録するな!」皆が望んでいるような話は出て来ない。出て来るものといえば···。

    不可能=法制度(ルール)が機能せず無法状態にある紛争地帯。そこに正義とされるものはない。不条理な暴力への恐怖に怯えながら任務を遂行す。
    可能=共有する法律やモラルがあり、安全に安心して生活が営める。論理が通用する。

    アルコールを禁止されている地域も多い為、最高の気分転換、最高の娯楽はSEX。SEXをこんなに肯定的に謳歌している共同体だったとは。ウッドストックか!?

    オリジナルでは4名の出演者を14名に変えていてそれがかなり功を奏している。話によって皆バラバラに立ち位置を移動し、椅子と譜面台を様々な場所にセットする。視覚的な演出で朗読劇の印象は薄い。『コーラスライン』のオーディション風景みたいに作品をメタ的重層的に見せる工夫。
    客層は岡本圭人氏目当てが多かった印象。

    破裂した水道管を時間稼ぎに手で押さえる作業。修理業者が来るまでの繋ぎだ。だが修理業者がやって来る保証は何一つない。何という虚しさ。何という無力感。だが目の前の水道管を押さえずにはいられない。

    素晴らしい内容。こういう作品をこそもっと演るべき。出来ればニュース映像をたっぷり使用して、作品の抽象性を具象的にアジテートしたい。世界中に聳え立つリアルタイムの現実と私的共同体で鎖国した日本との対比。政治的な発言はスポンサー的にNGの“夢の国”、日本。公的機関がこんな状況だから皆ネットで騙されちまうんだ。ぬるいことやってないでもっとラディカルに演劇を活用してくれ。公安が隠しカメラで来場者の身元をチェックするぐらいに。思想犯演劇をこそ望む。昔はこういう情報だけで重信房子達はパレスチナに渡った。

    ネタバレBOX

    ①薬丸翔氏。現地に着くと民間人2名が手書きの旗を立て、隣人達の死体を白いシーツにくるんでいる。まだ爆撃は収まっていない。そんな中、怪我人や生存者の救出ではなく死体を大切に埋葬する姿に胸を打たれる。人間は死んで終わりなわけじゃない。

    ②山本圭祐氏。帰国して地元の友人達に現地でのエピソードを聞かれるのだが、いざ話すと必ず皆、興味を失う。皆が求めていたジャンルの話じゃないようだ。辞めた若い医者と地元の駅で偶然出くわす。

    ③清島千楓(ちか)さん。これが自分の仕事だと見付けた。「私は強い!私は役に立つ!」

    ④渡邊りょう氏。手作業で廃墟を病院に再建する医者の話。貰ったミントの種。

    ⑤前東美菜子さん。手術に失敗し茫然自失の若い医師を叱咤激励する。「あなたはこれを乗り越えられる!あなたはこの辛い経験を越えて前に進むことができる!」

    ⑥萩原亮介氏。同僚の小児性犯罪の告発。よくあるネタだが実話だと思うとげんなりする。

    ⑦死体の臭い。

    ⑧山本圭祐氏。小林春世さん?緊急の輸血が必要な少年の為に自らの血を抜いた医師。後にそのことで危機を脱する。闇を走るジープ。影絵でそれを表現。

    ⑨渡邊りょう氏。交戦中の山で瀕死の少年兵を搬送する。その間だけ銃の音が止み、静かな沈黙が訪れる。

    ⑩前東美菜子さん?風呂?

    (11)岡本圭人氏?命の順番?

    (12)萩原亮介氏。⑧で人助けが身を助く訓話を前振りとし、論理が破綻している現実を見せつける。「何故だ?どうして?」

    (13)万里紗さん。ギターで岡本圭人氏。闇夜、怯えた女達と子供達を連れて、殺されないように捕まらないようにここから脱出しなくてはならない。万里紗さんの歌。ポルトガルの民族歌謡、ファド。恐れ怯え震えながら一歩一歩ゆっくりと。

    (14)南沢奈央さん。髪型のせいか何かイメージが変わっていた印象。難民の助けに行った筈が配給の奪い合いを止める為、棒を振り回して彼等を殴っている自分。「なにこれ?」

    (15)とんでもない暴風雨。テントを押さえ付ける面々。手当ての甲斐なく亡くなった子供。その子が吐いた血飛沫が医師のシャツに飛び散っている。母親はそれをそっと拭う。

    ※ここから余談。今作とは直接関係ないが政治と演劇がリンクし始めている予感がするので。
    初めに知性を感じるのは左派の言い分で、言ってることに筋が通ってると支持するが、よくよく知っていくと人間性が下劣。中身がスカスカのこんな連中とは心底関わり合いたくないと皆逃げていく。プロレタリアを根本的に見下した貴族気取りの言論人。信じているものなどハナからない空っぽ。何も信念などないからどうとでも立ち回る。空虚の中の空虚。
    対する右派は言っていることに何の知性も感じず当初は嫌悪するが、地に足が着いた物言いに人情を感じて段々好感を持っていく流れ。どうも人間性はこちらの方がまとも。南京大虐殺、韓国人慰安婦、731部隊···。右派を奉じる者達のイメージは「日本人がこんなことするわけがない!」とガチで純粋に信じている。自分なんかにしてみれば「日本人なんだからこんなこと当然するだろうな」。見ている世界がまるで違う。日本人の美化に自我を重ねているのか?美しいものだけを見せて醜いものを覆い隠す暴力。そんなに美しい偉大な国が何故アメリカに無条件降伏して占領されたのか?醜さがあってこその美しさだろ。
    左翼も右翼も度し難き酷さ。知性のない人気取りゲーム。選挙権を放棄することこそが唯一の政治的表明、そんな時代。無関心無関係を装ってみてもいつの間にかに囚われていく。気が付けばもう手には負えない。

    マルティン・ニーメラー

    ナチスが共産主義者を連れ去ったとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。

    彼等が社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声を上げなかった。社会民主主義者ではなかったから。

    彼等が労働組合員等を連れ去ったとき、私は声を上げなかった。労働組合員ではなかったから。

    そして彼等が私を連れ去るとき、私の為に声を上げる者は誰一人残っていなかった。

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    2025/08/12 22:38

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