公演情報
世田谷パブリックシアター「みんな鳥になって」の観てきた!クチコミとコメント
実演鑑賞
満足度★★★★
ワジディ・ムワワド作品の観劇は腰を据えて相応の覚悟で・・・というのも氏の戯曲は情報量が多く、長く、家族の物語だけに濃厚。情報的にも情緒的にも付いて行くのが大変なのでコンディションを整え、大きく息を吸って幕開きを待たねばである。
にも関わらず(午後は休みを取ったのだが)体調低下のタイミングに当ってしまい、前半何箇所か寝落ちした。が、それでも十分過ぎる情報と情緒とが終演時には自分を満たしていた。
過去目にしたムワワド作品「炎」「岸」「森」と若干趣きが異なったのは、(「家族」「民族」「他者」「人類の歴史と己の歴史(人生)」といった概念群についての壮大な問いかけである共通点はあるが)恋愛と性が「歴史」という大きな枠組みの中に組み込まれて叙述されていた過去(観た)作品に比べると、「恋愛と性の側から」歴史を規定しようとした事、である。即ちこれは男女の恋・愛の物語。作者はなぜそうしたのか・・
そんな事は判りはしないが、イスラエルを舞台にパレスチナ問題に触れる作品である事と当然無縁ではない。本作は2017年初演の作、とは後で知ったが、劇中時折伝えられる「自爆テロ」の報など、2023.10.7ハマスによるイスラエル攻撃以降すなわち現在をベースに語った物語かとも思いながら観た。(テルアビブからの脱出を話している家族の終盤の会話から少し時代が違うかな、とは思ったが、パレスチナ=イスラエルという「戦後」最も長く、最大にして最悪の紛争当事国をテーマに据え、作者が描こうとしているのは何か、凝視せざるを得なかった。)
作者ムワワドは「にも関わらず神は与えたもう」というのと同じ次元で、「にも関わらず二つの民族が壁を乗り越える時が来るだろう」と投げかけている。「今は離れざるを得なかった」二人を、いずれは再会せしめる事、又はその時の到来を約束すること(約束を真実たらしめるのは神であり人はそれを「信じる」しかないが、確信とは既にそれが(時を超えて)実現しているのと同義である)、執筆当時さえあまりに現実と乖離した「夢」だったろうその切望を終幕間際に作者は台詞に書き連ね、その筆致が生々しく痛々しい印象さえ残した。
恐らくそれは現在、地球上に存在する概念の内最も「悪」である名「悪魔」とでも呼ぶしかない某国の所行と、これを看過するしかない世界の絶望を前にすると、夢はあまりに儚く、それを語る意義も霞んでしまいそうで、痛々しいのだろう。
ただ私ら日本人の常識とかの国々の人々との違いも考える。悠久の時の中に己の(家族の)生を認知する宗教的な世界観と時間感覚は、引き裂かれた二人がなお結ばれようとする思いをリアルに受け止め得るのかも知れない。
ラストで見せたのは(過去作がそうであったような)世界という不動で深淵な摂理の中の二人、ではなく、この先の世界を見ようとする二人、であり、未来である限りにおいて希望が無いとは誰にも言わせない二人、である。